第136話 正体

 デボラに案内されるがまま、魔王は西の塔の三階までやってきた。

 長い廊下の奥の、さらに奥にある渡り廊下を渡って、湖の上に突き出した小塔に案内される。塔のてっぺんには鐘楼しょうろうがあって、小さな教会みたいだった。


 扉を開けて中に入ると、壁に設置されたキャンドルに一斉に灯がともった。


 中はがらんとした礼拝堂のような雰囲気で、奥のほうには、祭壇みたいな台が置いてあった。

 といっても、魔族は神に祈りを捧げたりしないので、実際には礼拝堂ではないのだろう。

 魔王城にも似たような感じの大聖堂があるが、とくに宗教的な意味はなく、葬式や結婚式を行うための、単なるホールに過ぎない。


 魔王は扉をキッチリと閉めず、三つ目のモグが入る隙間を開けておいた。


「こんなところで誰に会えと言うんだ」

 魔王は不機嫌な声で言った。


「今にわかりますよ」

 スーツ姿の女は、赤い絨毯じゅうたんの上をスタスタと歩いて奥に進み、祭壇の前で止まった。


 祭壇の上には、布をかぶせられたゴツゴツしたものが置かれていた。

 大きさは人間の大人くらい。彫刻か何かだろうか。


 デボラがサッと布を引くと、そこには腕が十本ある女の石像があった。頭にヴェールをかぶった修道女のような像で、目を閉じて、二本の手を祈るように体の前で組んでいる。

 その石像の前に、少女が座らされていた。

 白いニットのセーターを着て、サスペンダー付きの青いスカートを履いた、透明感のある美少女。

 彼女はおびえ切った顔で、ぺたんと祭壇の上に座り、手錠をされた両手を上に掲げた状態で鎖につながれていた。

 背後の石像が、一本の手でその鎖を握り、二本の手で祈りを捧げ、残りの七本の手で、彼女に短剣を突きつけている。


「セイラ!!」


 身を乗り出したとたん、石像がギギッと動いて、セイラの喉元に剣をつきつけた。

 魔王は激しい怒りがこみ上げた。


「貴様ら、よくもセイラにこんなマネを……!!」


 魔王の目が血走り、顔に浮かぶ血管がドクドクと鼓動した。


「きゃああっ」とセイラは悲鳴を上げた。「誰か来て! 魔族がっ、魔族がここにっ! 誰か助けて!」

 彼女はぎゅっと目をつむり、泣きそうな声で叫んだ。


 魔王はハッとした。

 そうだ、今の自分は本来の姿。頭に角が生えた魔族の姿だ。初めて彼女に真の姿をさらしたのだ。


「セイラ、よくごらんなさい。君の知ってる人だよ?」

 デボラが馴れ馴れしい口調でセイラに告げた。


「え?」

 セイラがおそるおそるこちらに顔を向ける。


 魔王は思わず目をそらした。

 正体を明かす覚悟で来たはずなのに、いざその時が近づくと……


「デメさん?」


 心臓がドクンと跳ねた。


「デメさん……なんですか? その頭は……コスプレ?」

 目の前にいる恐ろしい魔族――珊瑚のような派手な角を生やした魔族の顔を、セイラはまじまじと見つめた。


「これは……」

 言葉が続かない。

 コスプレでごまかしたくなってきた。

 さきほどの決意が――彼女に真実を告げて二度と会わないという決意が揺らぎそうになる。


「アハハハハハッ」

 デボラが笑いだした。

「コスプレ! これは傑作だ。コスプレだったのは、君が知っているほうの彼さ。あのダサいオタクのほうがコスプレで、こっちが本来の姿だよ」


 魔王はギッと女をにらんだ。

(こいつ、なんでそんなことまで知っている……!?)


「そうでしょ? 魔王様」

 デボラはにいっと笑った。


「魔王?」

 セイラは目を丸くした。


 魔王はこわばった顔で彼女を見返した。

 二人の視線が交錯する。


 真実と対峙する時がきた。



* * *



「起きろ」


 グウがジムノ課長の体を揺すると、彼は細い目をうっすらと開いた。


 ジムノは金色の鎖で腕と上半身を拘束されていることに気づくと、自分にかけられた魔法を理解したのか、

「ナルスの鍵……」

 と、苦々しそうにつぶやいた。


「大人しく従ったほうが身のためだぞ。さあ立て」

 グウは彼の鎖をつかんで立たせた。


 それから、グウが先頭に立ってジムノ課長を拘引こういんする形で、三人は地下通路を歩いた。

「あの少女がいる部屋は城の中心部なので、外からの侵入は不可能です。一階の玄関ホールを通るしかありません」

 というジムノの言葉に従って、上の階に続く階段をのぼる。


「やけに警備が少ないですね。この城には何人くらいいるんですか?」

 ギルティがたずねた。


「諜報課の者が私を含めて四人、それ以外が三人」

 鎖で引っぱられながら、ジムノ課長が答える。


「少なっ。諜報課は全員来てないのか?」

 グウが驚いて振り返る。


「今は四人で全員です。あとの者は死にました」


「はっ?」

「死んだ!?」


「この計画への参加を拒否した者、計画の邪魔になる者は全員始末しました。残った四人がここにいます」


「なんてことを……」

 ギルティが青ざめた顔で言った。


「警備が少ないのは当然です。本来、この異空間に来るのは魔王様だけの予定でしたから。まさか、あの動画を見て、一人で来ないとは思いませんでしたよ」


 ジムノ課長の言う通り、あの動画を魔王が一人で見ていたら、今ここにグウたちは居なかったかもしれない。敵もさすがに、魔王が一人で動画を見る勇気がないとは考えなかったらしい。


「で、その諜報課以外の三人の中に、カーラード議長はいるのか? あんたらの黒幕なんだろ?」


 グウがたずねると、ジムノ課長はなぜか、フッと鼻で笑った。


「あなたも案外にぶいですね、グウ隊長」


「え?」


「カーラード議長は黒幕じゃありませんよ」


「何だと?」

 グウは思わず立ち止まった。


「すべては、の計画通り。あなたは、その策略にまんまとはまったのですよ、グウ隊長」


「あの方?」


「だ、誰なんですか、それは!?」


 ギルティの問いに、ジムノ課長はただ薄笑いを浮かべる。


(カーラード議長は黒幕じゃない?)

 グウは驚くとともに、どこかに落ちるところがあった。


 カーラード議長が魔界再生委員会に関わっているのは間違いない。

 が、今回のセイラの誘拐については、彼の発想っぽくないというか、何だか違和感があった。

 議長は完全に人間を見下し、下等なものとして扱ってきたはず。だが、人間を人質にするということは、人間にそれだけの重要な価値があると認めることになる。


 そう、何だかずっと違和感があった。


 なぜ、今回のことを予測できなかったのか。

 ストーカー事件の時点で、セイラが魔族に狙われる可能性に気づいていたはずなのに。


 いつのまにか、魔族が人質作戦でくることはないと、先入観を持っていた。

 いや、持たされていた?

 よく思い返してみれば、人質という発想が出るたびに、誰かがそれを否定してきた気がする。

 誰かの言葉が。



『人質だって? そんな作戦、魔族相手に効果ないでしょ』

『一人の人間を人質に取ったくらいで、魔王に勝てると思う馬鹿がいるかね』

『人質? ああ、その発想はなかったな』



「まさか……」


 グウはハッと目を見開いた。



 * * *



 ラウル社長の秘書のデボラが、デメを魔王と呼んだ。

 セイラは聞き間違いかと思った。


「魔王?」


「そうだよ、セイラ。このお方こそ、第13代魔王デメ様だ。この世で最も恐ろしい魔族だよ」

 デボラがにっと笑みを浮かべた。


「デメさんが魔王? なに言ってるんですか? そんなわけ……」


 冗談だろうか?

 いきなり自分をわけのわからない場所に連れてきて監禁したこの女性が、セイラは怖かった。

 ひどいことをしているのに、ずっと優しい口調で、何を考えているのか全然わからない。


 セイラはデボラからデメのほうへ、ゆっくりと視線を移した。


 デメは肯定するでも否定するでもなく、真っ青な顔でセイラを見つめていた。ひどく動揺した様子だ。


「嘘ですよね?」


 デメは肩で息をしていた。

 あきらかに様子がおかしい。


「ごめんなさい」

 彼は震える声で言った。

「ずっと隠してて……嘘ついてて、ごめんなさい」


 セイラは頭が混乱した。

 デメが魔王?

 あのデメが?


「びっくりした? そりゃびっくりするよねえ。握手のとき目も合わせられないようなコミュ障ボーイが、魔界を統べる魔王だなんてさ。アハハハハハ」

 デボラが愉快そうに笑った。


 デメは目尻をぴくっとさせた。

「貴様……さっきから、まるで見てきたように……何なんだ、お前。いったい何者だ!」


「まだ気づかないのかい? デメ」


「え?」


「僕だよ、僕」

 黒髪の美女がニイッと笑った。

 眼鏡の奥で、その瞳が赤くギラリと光る。



 * * *



「シレオン伯爵」


 頭に浮かんだその名を、グウは口にした。


 魔界四天王の一人であり、この異空間を生み出した宮廷画家であり、先代魔王だった男。

 不滅王シレオン。

 彼が黒幕だったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る