第130話 悲壮感
午後4時。
約束の午後3時から一時間が経っても、セイラは姿を現さなかった。
グウとギルティは、公園で待つ魔王のところにやってきた。
階段に腰かけてぼんやり川を眺める魔王の背中に、「魔王様」と声をかけると、
彼は背を向けたまま、「何だ」と返事をした。
「一度、諜報課に連絡してみては?」
と、グウは提案した。
「セイラちゃんの護衛をしている彼らなら、彼女が今どこにいるか知ってるはず。もし、来る途中で何かトラブルがあったなら心配ですし……」
魔王は少し考えてから、「……そうだな」と、スマートフォンを取り出した。慣れた手つきでメッセージを送る。
「どうでした?」
しばらくして、グウは聞いてみた。
「1時頃にバイト先から戻って以来、一度も自宅を出てないそうだ」
「そ、そうですか……」
「セイラさん、約束忘れちゃったんでしょうか?」
ギルティが小首をかしげる。
「忘れてるのか、予定を勘違いしてるのか……知らせに行きましょうか?」
グウがたずねると、
「いや、いい」
魔王は短く答えた。
* * *
3時間後。
辺りはすっかり暗くなり、オタクの聖地アーキハバルには、カラフルな電飾が輝き始めた。ヒュウウウと冷たい風がビルの間を吹き抜ける。
「セイラさん、完全に忘れちゃったんですかね……」
歩道橋の上から公園を見守るギルティが、心配そうに
6時間後。
帰路につく人々が地下鉄の駅に吸い込まれていく。
魔王は暗い公園で一人、街の明かりを映す川面を眺めながら、
「私、もう辛くて見てられません……」
ギルティが悲壮感に満ちた顔で言った。
グウもさすがに潮時だと思い、魔王のもとに向かった。
「魔王様、いつまで待つおつもりで?」
魔王は膝を抱えて
「あと5日は待てる」
と答えた。
「そんなに待ってたら引かれますって。いったん魔王城に帰りましょう。きっと何か事情があったんですよ」
グウはなるべく優しく諭した。
「…………」
「ね、魔王様」
「…………わかった」
魔王は小声で言って、ようやく重い腰を上げた。
* * *
翌日。
早めに出勤したグウが仕事をしていると、ギルティとガルガドス隊員が、続けて執務室に入ってきた。
「二人とも昨日は遅かったですね。人間界で何かあったんですか?」
ガルガドスがたずねた。
グウとギルティは顔を見合わせる。
ほかの隊員には、魔王のデートのことは話しておらず、用事で人間界に行くとしか説明していない。
「お前には話しておくか」
グウはそう
「そんなワケで、魔王様は今かなり落ち込んでおられる。いつも以上にデリケートに扱ってやってくれ」
「なるほど。それはお
心優しいガルガドスは悲しそうな顔をしたが、意外にもこう続けた。
「でも、ある意味、このほうが良かったのかもしれない……」
「というと?」と、グウ。
「魔王様にはお気の毒ですが、やはり魔界の王が一人の人間に特別な感情を寄せているというのは、いろいろと危ういと言いますか……よく思わない連中もいますし」
ガルガドスのいかつい顔に、弱々しい表情が浮かぶ。
「魔族至上主義者の奴らは、魔王様に直接文句を言えないぶん、グウ隊長や、僕たち親衛隊を標的にしてくるでしょう? 現に隊長は逮捕されたし、ビーズは『魔界再生委員会』とかいう奴らのせいで危うく死刑になるところだった……」
ギルティがむむっと
「魔界再生委員会……厄介な人たちですよね。ダリア市のでの彼らの行動は、明らかな作戦妨害だし、黒幕はカーラード議長だってわかってるのに、どうにか処断できないんでしょうか」
「証拠がないからなぁ」と、グウがため息をつく。
魔界再生委員会という組織は、今のところ、ビーズ隊員の証言の中にしか登場しておらず、その存在を裏付ける証拠がない。
彼らの不穏な動きに関しては、魔王にも報告してあるが、カーラード議長が関わっているという明確な根拠は示せていないのが現状だ。証拠もなしに処罰してくれというのは無理な話だろう。
「そもそも、なんでカーラード議長は、そんなに人間が嫌いなんでしょう?」
ギルティが不思議そうに首をかしげた。
「それは、僕の一族の祖先が関係してると思います」と、ガルガドス。
彼はカーラード議長と同じ種族で、遠い親戚にあたる。
といっても、ほとんど話したこともないらしいが。
「僕のご先祖様に、第10第魔王のガーフィスがいるんですが、この人がカーラード議長の伯父上で、歴代魔王の中で唯一、人間に倒された魔王なんです」
「そうなんですか!? ていうか、ガルガドスさんって魔王の子孫だったの!?」
「子孫といっても、めちゃくちゃ遠い子孫ですが」
ガルガドスはゴツい手でポリポリと頭をかいた。
「でも、カーラード議長にとっては、いまだに屈辱的な歴史のようで、この話はタブーとされてます。しかも、魔王ガーフィスを倒したパーティーの勇者と魔法使いが結婚して生まれた子供が、今の名門エルドール家の始まりだとか」
「そいつが魔導協会の初代会長だな」
グウが机に
「第9第魔王ドルシエルと、第10第魔王ガーフィスは、魔王の中でも特に人間界の侵略に積極的だった。だから、この時代は魔族に対するヘイトが高まりまくってて、ヒト魔法も一気に発展したらしいね」
「なるほど。じゃあ、カーラード議長にとって、魔導協会は因縁の相手ってわけですね。でも、いくら人間が嫌いだからって、人間との関係を断ってしまったら、魔界が不便になるのは目に見えてるのに……『魔界再生委員会』の再生って、どういう意味なんでしょう? 人間と敵対することが、どうして再生なのかしら?」
ギルティが言った。
「たんに世直し的な意味じゃないですか?」と、ガルガドス。
ギルティの疑問がグウの頭の中をめぐる。
たしかに。あまり深く考えてなかったが、魔界再生って何なんだろう。
考えていると、ジリリリリリと黒電話が鳴った。
「はい」と、ギルティが受話器を取る。
こんな朝早くから電話が鳴るのはめずらしいことだ。
「あ、魔王様! はい、わかりました……」
「どうした?」
「グウ隊長、魔王様がすぐに来て欲しいと!」
「わかった」
「私も行きます。何だか様子がおかしかったので……」
二人は急いで魔王の部屋に向かった。
* * *
魔王はさきほど死刑宣告を受けたかのような顔面蒼白の顔で、グウたちを部屋に招き入れた。
いつものパジャマ姿で、すっかりボサボサ髪に戻っている。
「魔王様!? どうしました!?」
「起きたら、これが……」
魔王はパソコンの画面を指さした。
以前にも見せられたことのある、SNS上でメッセージをやり取りする画面。たしかDMといったか。
見ると、セイラのアカウントからメッセージが届いている。
「おおっ、本人から連絡が来たんですか?」
「よく見てくれ……」
魔王が震える声で言った。
画面をのぞき込んだグウとギルティは、ハッと息をのんだ。
『偉大なる魔王様へ』
と書かれた文字の下に、URLと呼ばれる文字列が並んでいる。
「これは……!」
(まさか正体が!? マジか……)
「うそっ! バレちゃったの!?」
ギルティは勢いよく魔王を振り返り、
「リンク先は見たんですか?」
とたずねた。
「怖くて見てない……」
魔王は幽霊のような顔で答えた。
「見ましょう。まずは状況を把握しないと」
グウはなるべく落ち着いた声で言った。
「そうです! 何が起きても私たちがついてますよ、魔王様!」
ギルティが励ました。
魔王は覚悟を決めたように、ぐっと目をつむると、
「わかった……!」
と答えた。
魔王はゲーミングチェアに腰かけ、グウとギルティはその両側で息をのんで画面を見つめる。
「い、いくぞ……」
ゼーハーと過呼吸になりながら、魔王は死にそうな顔でリンクをクリックした。
とたんに、ブラウザのウインドウが開き、妙な動画が再生された。
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