第123話 魔王の腹心

 夕刻。謁見えっけんの間。


 バルコニーに続くガラス扉から夕陽が差し込み、広々とした床に、格子状の影を落としていた。


 グウは赤い絨毯じゅうたんの上にひざまずき、玉座に座る魔王と向かい合った。

 部屋にいるのは二人だけで、ほかの従者は見当たらない。


「この度は釈放をお認めいただき、ありがとうございました」

 まずはかしこまって礼を言う。


「まだ保釈であって、お前の容疑が晴れたわけではないぞ」

 魔王は相変わらずパジャマ姿だったが、あくまで厳しい表情を崩さない。

「魔導協会との関係について、俺が質問することに答えろ。それで俺が納得できれば、反逆罪については不問とし、シレオンの殺害についても、再捜査するように命じてやる。いいな?」


「もちろんでございます」

 グウはうなずいた。


「まず、なぜ魔族と敵対する組織と関係を持つようになった? きっかけは?」


「二百年前、人間界との戦争中に、ヴァルタ王国の宮廷魔導士、ジョアン・エルドール老師と出会ったことがきっかけです。覚えておいででしょうか? 停戦協議のときの人間側の代表者ですが。彼が魔導協会の会長だったため、停戦後も交流を続けておりました」


 この質問は、憲兵本部での尋問中に何度も聞かれたことだったので、グウはスラスラと答えた。


「なんで奴らと交流を続けたんだ。人間と結託して、俺を打ち倒すためか?」


「めっそうもございません」

 グウは落ち着いて答えた。

(これも尋問でめっちゃ聞かれたやつ)

「私はただ、人間と魔族が再び対立するのを避けるため、彼らとのパイプを維持しておきたかっただけ。決して魔族を裏切ったわけではありません。そもそも、人間と結託したところで、魔王様を倒せるとは思いません」


 魔王は肘掛ひじかけに頬杖ほおづえをついて、ちょっと考え込んだ。

「人間との対立を避けたいという気持ちは、今なら俺もわかる……だが、当時はそう思わなかった。人間のことをよく知らなかったから。お前はなぜ、一貫して人間に友好的なんだ?」


「私は三国戦争時代に人間界に潜伏していたことがあり、いろいろと人間に世話になりました。彼らの文明は魔界より発展してますし、対立するよりも交流を深めたほうが、魔界にとって有益であると考えた次第です」


「なるほど……それだけか?」


おおむね、そんなところです」

 グウはうなずいた。


 魔王の質問はだいたい想定通りだった。


「概ね、か」

 魔王は小声でつぶやいた。


 彼はガウンのポケットを探ると、金の鎖がついたネックレスを取り出した。エメラルド色の、動物の瞳に似た美しい宝石がキラリと光る。


(持って来てたのか。なら、話が早い)

 グウが急いで魔王に会いにきた目的は、それを使って制約を解いてもらうためだった。


「俺はもう何年も、この石の存在を忘れていた。こんなものを使わなくても、お前は俺のためによく働いてくれたし、多少ズケズケ物を言うところもあるが、だいたいの場合において、お前の意見は俺を良い方向に導いてくれたように思う」


「魔王様っ?」

 今まで魔王にめられたことも、感謝されたこともなかったグウは、耳を疑った。


「この石をお前に向けて命令すれば、絶対に従わなければならない。そうだったな? 逆らうとどうなる?」


「まず胸に激痛が走り、それでも逆らい続けると死にます。ですが、そこまでいく前に、激痛によってほとんど行動不能になるので、逆らうのはほぼ不可能ですね」


「絶対服従か。ベリの魔力なら、それくらいの強制は可能だろうな……が、あの脳筋女にしては手の込んだ魔法だ。この石はベリが自分で作ったのか?」


「……本人に確認したことはないですが、おそらくは……」


「おそらく、か」


 魔王はゆっくりと玉座から立ち上がると、バルコニーのほうに向かって、スリッパでペタペタと歩いた。


(なんだ? 怒ってはないようだけど……)

 今日の魔王は、魔王にしては冷静だった。むしろ冷静すぎて不気味なくらいだ。


「グウ。やはりお前は、俺が思っているより小賢こざかしい奴のようだ。カーラードが疑うのもわかる気かする」


「えっ」


 魔王はゆっくりとグウのほうに向きなおった。

 バルコニーから差し込む夕日が、その顔に深い影を落とす。


「魔王様、何をおおせですか……」

 グウの顔に動揺が広がる。

「もし私のことが信用できないなら、その石を使ってお命じください! 魔王様を裏切るなと。そうすれば私は一生あなたを裏切ることはできません!」


「そういう使い方も可能だろうな。あと、お前に『嘘をつくな』と命じることも」

 魔王は淡々とした調子で言った。


「……ええ、そうです」


「嘘をつくなと命じたあと、お前にもう一度同じ質問をしたらどうなるか……」

 魔王は目を細めて、鋭い視線をグウに送った。

「お前は俺がそれを試すことも想定に入れて、嘘をつかないように気を使いながら、言えることだけを話している。俺にはそう見える」


 グウは心臓がバクバクした。

「違います……魔王様……」


 魔王はバルコニーのガラス扉をバンッと開いた。勢いよく風が入り込んできて、カーテンを激しく揺らす。


「魔界大百科」

 魔王が右手を持ち上げた。上に向けたてのひらから、まるでありの巣をつついたようにブワッと黒い文字があふれ出した。


(マジか……!!)


 グウは立ち上がって後ずさりした。


(俺はしくじったのか? 俺を殺すのか、魔王デメ……)


 あふれ出した文字は、床に大きな魔法陣を描いた。

 魔王は静かにこう唱えた。


「鳥の章。三つ目のモグ」


 床の魔法陣から、三つ目の大鷲おおわしがぬっと姿を現す。翼を広げると小型飛行機くらいありそうな巨大な鷲だ。


 魔王はその背に飛び乗ると、「乗れ、グウ!」と言った。


「えっ、え!?」


「はやく!」


「は、はい!」


 グウが慌てて背に乗ると、三つ目のモグは巨大な翼をバッサバッサと羽ばたかせて、バルコニーから飛び立った。

 高く、高く、魔王城を遥か下に見下ろして、鷲は夕日に向かって飛んでいく。

 背中の羽にしがみつくグウの、黒いマントが風をはらんでバサバサと揺れた。


「ここなら何を喋っても、誰にも聞かれる心配はないし、盗聴される心配もない」

 魔王は言った。

 彼はこの鷲に乗り慣れているのだろう、高度が上がっても平然と立っていた。


「魔王様、あの……」


「俺は、本当はお前の裏切りなんか怖くないんだ。いつ誰が敵になったところで、俺は負ける気がしないから」

 魔王はこちらに背を向けたまま言った。

「それでも裏切られたらヘコむし、自分の味方が欲しいと思う。おかしいだろ」


「いえ、おかしくなど……」


「考えたんだ。力で脅しても、本当の味方は手に入らないから。だから、考えて、こう思った」

 魔王はグウのほうを振り返った。

「誰かに味方になって欲しければ、自分がまず、そいつの味方になるべきだと」


「魔王様……」


 魔王は緑色の宝石をスッとグウに差し出した。

「これはお前に返す」


 グウは驚愕の表情を浮かべ、信じられない気持ちで、それに手を伸ばした。

 長きにわたって自分を縛り続けたもの。それが今、初めて、自分の手の中に……


「グウ。お前が何を隠していてもかまわん。言いたくないことは言わなくていい」

 魔王の深い青色の瞳が、グウを真っすぐに見据える。

「俺が味方になってやる。だから、お前も俺の味方でいろ」


 沈みゆく太陽の黄金の光が、後光のように魔王を照らし出す。光の中に浮かび上がる複雑な角の輪郭が、息を飲むほど神秘的だった。

 グウはしばらく言葉が出なかった。


「魔王様……どうしたんですか……何で急にそんな格好いいこと言うんですか……」


「バカにしてるのかお前っ」


「いえ、感服いたしました」

 グウは手の中の宝石をぐっと握りしめ、小さく微笑んだ。その感触を噛みしめるように目を閉じる。


 彼は鳥の背にひざまずき、深々と頭を下げた。


「魔王様、お許しください。私は愚かにも魔王様を見くびっておりました。ですが、たった今確信いたしました。あなた様こそが私の望む魔界の統治者であると!」

 それから魔王をまっすぐに見上げ、晴れ晴れとした顔でこう誓った。

金輪際こんりんざいあなたに隠し事はいたしません。この先何が起きようとも、このグウ、全力で魔王様にお味方いたします!」


 それを聞いた魔王は、少年のように目を輝かせて、

「よく言った!」

 と、満足そうにうなずいた。


 夕陽が魔界の雄大な大地を赤く染め上げてゆく。

 グウが本当の意味で魔王の腹心となった瞬間だった。


「言ったな?」


「え?」


「俺の味方だって言ったよな? たとえ俺が今からどんなに小物っぽいナヨナヨした頼み事をしようと、お前は俺の味方だよな?」

 魔王はずいっとグウに詰め寄った。


「えぇ、何よ……? すげえ面倒くさそうな予感がする」

 グウは一瞬で嫌そうな顔に変わった。

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