第121話 私のもの

 髪や角にこびりついたチョコレートをシャワーで洗い流し、用意された小奇麗な水色のシャツと黒いズボンに着替える。


 この屋敷で過ごす間、囚人のような服ではなく、ベリ将軍が買ってきた小ざっぱりした普段着を何着か与えられていた。

 部屋も牢屋とかではなく、ホテルの客室みたいな感じで、最初こそ鍵が掛けられていたものの、どんどん監視が適当になっていき、いまや自由に歩き回れるばかりか、いろいろと雑用まで頼まれる始末。


 ギルティに白い目で見られるほどではないが、たしかに待遇はいい。少なくとも軍の地下牢獄よりはずっと。


 これだけ警備がゆるいと簡単に逃げ出せそうだが、あの“目”による制約がある限り、自分には「大人しく取り調べを受ける」という選択肢しか取れなかった。


(まあ、ぜんぜん取り調べされなかったけど……)


 食堂に戻ると、ギルティと包帯のメイドたちが、残ったいちごチョコでチョコレートフォンデュを再開していた。

 ただし今度は噴水ではなく、鍋とカセットコンロで平和にチョコを温めている。


「最初からこうすれば良かったですね」

 縦ロールのメイドが言った。


「私、チョコレートフォンデュ初めてです」

 興味深そうに鍋の中をのぞき込むギルティ。

 ちょっとテンションが回復したようだ。


「わーっ、用意できてる! 私も食べるー!」

 ちょうどベリ将軍もシャワーから戻ってきた。

 黒いタートルネックのセーターに、チェック柄のショートパンツという服装に着替えている。ピタッとしたセーターによって、何がとは言わないが、かなり強調されていた。


 包帯のメイドたちも席に着き、謎のメンバーによる奇妙なおやつタイムが開始された。


「あっま……」

 グウはいちごチョコの甘さに、すぐに胸焼けを起こした。


「ちょっとチョコ飛ばさないでよ」「アナタの腕が邪魔なのよ」

 メイド同士が口論を始めたが、よくあることだ。


「コラ、そこ。ケンカしない!」

 と、グウが注意する。


「グウ隊長、ここでも……?」

 何かを察するギルティ。


「グウ様が出て行ってしまうと、ワタクシ達のケンカを止めてくださる方がいなくなってしまいますね」

「壊した家具を修理してくださる方もいなくなってしまいます」

「電気の消し忘れをチェックしてくださる方も」

「ずっと居てくださらない?」

 メイド達が口々に勝手なことを言う。


「なっ、ダメですよっ」

 ギルティが首をブンブンと振った。


「あのぉ~、ベリ様? 俺、帰っていいんですよね?」

 おそるおそる確認するグウ。


「いいよ。グウちゃんは私のものだけど、いったんデメちゃんに返してあげる。ギルティちゃんと約束したからね。私は約束はだいたい守る女なの♪」

 ベリ将軍が得意げに言った。


 “だいたい”で得意になるのはどうかと思うが……


「よかったぁ」と、ギルティが安堵の表情を浮かべる。


 逆にメイド達は落胆の表情。


 メイドさん達には悪いが、グウも切実においとましたかった。

 ベリ将軍のそばにいたんじゃ、命がいくつあっても足りない。


 昨夜も本気で殺されるかと思ったし。というか、ガチで死んだと思った。

 首を絞められて、意識を失って、目が覚めたら隣で鬼畜ヒロインがスースー眠っているという謎展開。心の底から「何なんだよ」と思った。

 その後、何事もなかったかのように「チョコレートフォンデュが食べたい」とか言い出すし、マジで意味がわからない。


 そもそも、なんでまた殺そうと思ったのやら。


「なあ、ベリ様。ずっと聞きそびれてたけどさ、前に俺を殺すように頼んできた人って、誰だったんですか?」


 思い切って聞いてみると、ベリ将軍は「ん?」と首をかしげた。


「ほら。クーデターを勧めてきた奴がいたって言ってたでしょ?」


「クーデター!?」

 ギルティがぎょっと目を見開く。


「それってもしかして、魔界再生委員会って奴らだったりする?」


「まかいさいせーいーんかい? 何それ? 知らない」

 ベリ将軍は本当に知らなさそうな、キョトンとした顔をした。


(まあ、そうだよな。この人、カーラード議長と仲悪いし。仲間なワケないか)


「クーデターって! 魔界を乗っ取るつもりなんですか!?」

 動揺が隠せない様子のギルティ。


「うーん。そうなるのかな? とりあえずグウちゃんを殺せば、デメちゃんと戦わせてくれるって言われてさ」


「誰に?」

 グウがすかさず質問する。


「教えない♪ それだけは言わないって約束だもん」

 ベリ将軍はそう言って、パクッとマシュマロを口に入れた。

「私はそこそこ約束を守る女なんだよねー」


 だから、“そこそこ”で胸を張るな、とグウは思った。


「私から話せるのは、これくらいかな。とりあえず命狙われてるみたいだから、気をつけなよ、グウちゃん」


 アンタが言うな、とグウは思った。



 * * *



「はい、これ。親衛隊の制服です。クリーニングに出しておきました」

「あ、ご丁寧にどうも」


 メイドから紙袋を受け取ると、ガラガラと門扉が閉まった。

 屋敷の外へ出ると、そこは魔界の有力者たちの豪奢ごうしゃな屋敷が立ち並ぶ、王都の大通りだ。


「さあ、行きましょう。こっちに車が停めてあります」


 ギルティは颯爽さっそうと歩きだした。

 カツカツとブーツの靴音が石畳いしだたみの道に響く。


「ギルティ」


 グウが呼び止めると、彼女はくるりと振り向いた。

 明るい栗色の三つ編みがふわんと揺れる。


「苦労をかけて済まなかったな。その……大変だっただろ、いろいろ」


「い、いえ。そんな」

 彼女は少し戸惑ったように目を伏せた。


 雲の晴れ間から光が差して、石畳を照らす。

 グウはスウーッと、外の空気を深く吸い込んだ。


「お前のおかげで、またこうして外に出られた。ありがとう」


 そう言うと、彼女の顔がぱっと明るくなって、少し照れたような、はにかんだような笑顔を見せた。

「帰りましょう、隊長。みんなが待ってます」


 ああ、とグウはうなずいた。

 問題はいろいろ残っているが、久しぶりに見るギルティの笑顔に、少し心がほっとした。



* * *



 チョコレートフォンデュが終わって、グウ達が帰ってしまうと、屋敷はすっかり静かになった。


 ガチャリ、とドアが開く。

 グウが寝泊まりしていた部屋に、やって来たのはベリだった。

 彼女はドサッとグウの寝ていたベッドに腰を下ろした。


(なんで殺さなかったんだろう?)


 彼女は考える。

 じっと枕のあたりを見つめる。


 あのまま首を絞め続ければ殺せたはずだ。

 なのに、なぜ?


(苦しむ顔が可愛かったからかな? うーん……)


 彼女は首をかしげる。


 前もそうだった。

 毒を盛って、もう少しで殺せるところだった。

 なのに、いざ彼が目を閉じて動かなくなると、急に勿体もったいないような気がした。


 なぜなんだろう?

 私は何も大切じゃないはずなのに。

 今、グウが去って、寂しいと思うこの気持ちは何なんだろう。


 ぽてん、とベッドに体を沈める。

 もちろん、もうグウの温もりは残ってない。


 だけど、目を閉じれば思い出せる。

 彼と過ごした時間を。


 草原の木陰にたたずむ、彼の後ろ姿を。


 ヨレヨレのシャツと、ツギハギだらけのズボン。

 風に揺れる、暗い緑色の髪。

 あの格好は、昔、人間界を一緒に旅していたときのグウだ。


「グウ!」


 嬉しくなって駆け寄ると、彼が振り返って微笑む。


「ねえ、お姫様抱っこして!」

「えぇ? べつにいいけど……」


 彼の首に腕を回し、ぴたりと体をくっつける。

 彼の体温が自分の体に染み込んできて、この上ない幸福感に満たされる。



『グウさんを愛してるなら、彼の幸せも考えてあげて』



 前にそんなことを言われたっけ。

 これが愛なのかな?


 でも、グウと恋人や夫婦になりたいなんて、まったく思わない。

 

 私の望みは、戦い続けること。

 グウがそれを望まないなら、もう一緒にはいられない。

 

 そうだ、あのとき――

 シレオンの軍に追われて、二人で手をつないで草原を走ったとき。

 生きるか死ぬかの状況で、背中を預け合って戦った、あのとき。

 あのときが一番強く“つながってる”って感じがした。


 私が望む関係があるとすれば、あのときつないだ血まみれの手と手だけだ。


 うん。やっぱ愛じゃないな、これ。


「ねえ、グウ」

「ん?」

 彼の首筋にほほを寄せて、その温かさを吸い込む。


 愛してない。


 じゃあ、この気持ちは何なんだろう。


 そばにいたい。くっつきたい。

 もっとかまって欲しい。


 この気持ちを表現する言葉は何?


「お前は私のものだよ」


 これだ。

 しっくりきた。


「何だよ、急に」

「えへへ」


 愛してない。

 だけど、お前は私のもの。



 窓から夕日が差し込むベッドの上で、ベリはすやすやと眠りについた。

 愛してない男の夢を見ながら、幸せそうな寝顔を浮かべて。

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