第118話 ベリとの旅⑦ー本音

 グウがモラトルから戻って数日後、一座はフェアウェルという大きな町にやってきた。


 そこで、ちょっとした事件があった。

 ベリが客にデコピンを食らわせたのだ。

 だいぶ手加減したらしく、相手は気絶しただけで済んだが、その人間が町の有力者だったこともあり、大騒ぎになってしまった。


「なんてことをしてくれたんだ!! あの次男坊はドラ息子とはいえ、この地方の領主の血筋なんだぞ! 貴族だぞ!」


 髭面ひげづらの座長が怒り狂い、グウは全力で謝るしかなかった。


「すみません! ホントすみません!!」


「ちょっと『めっ』ってしただけなのになー」

 グウの背中の後ろで、赤い舞台衣装を着たベリが不満そうにつぶやく。


 グウは現場を見ていたわけではないが、ベリの話によれば、舞台が終わって皆で打ち上げをしていると、男が一人、彼女に近づいて来て「パトロンになってやるから、今から家に来い」と、しつこく絡んできたそうだ。

 そいつが座長の言う「ドラ息子」で、良家の次男だが、素行が悪いことで有名らしい。

 ベリは軽くあしらったが、あまりにしつこい上に、取り巻きの連中が彼女を無理やり連れて行こうとしたため、デコピンでお仕置きした――とのことだ。


「すっごく手加減したんだぞ?」

 ベリがグウの後ろから顔を出した。


 まあ、そうだろうな。

 本当に手加減しただろうし、彼女なりに我慢したのもわかる。


「すみません。俺がしっかり言って聞かせるんで」


「そういう問題じゃねえ!!」

 座長は持っていたワインのボトルを投げつけた。


 グウはベリを包み込むように抱きしめた。

 ガシャーン、とボトルがグウの背中に当たって、ガラスの破片とワインが飛び散る。


「庶民が貴族に手を出して、タダで済まされるワケがねえ! どんな報復が待ってるか……俺は知らんぞ! お前らは今すぐ一座を抜けろ! 俺たちは今夜中にこの町を離れる。お前らはもうウチの一座とは関係ねえ!!」


 というわけで、二人はクビを言い渡され、一座の者たちは宿に戻って大急ぎで出立の準備を始めた。


 グウはベリの部屋を訪れ、ドアをノックした。

「ベリ、開けていいか?」


 中に入ると、ベリと同室の赤毛の娘、ミアもいた。彼女はちょうど荷造りを終えたようで、大きなカバンを抱えている。


「宿の主人が、俺たちも出て行けってさ。きっと厄介ごとに巻き込まれたくないんだろう」


「えー。私悪くないのにー」


「わかってるけど、しょーがねーよ。さあ、荷造りだ」


 ベッドに座って不満そうに足をブラブラさせるベリを尻目に、グウは彼女の荷物を片付け始めた。彼女はまだ鮮やかな赤い舞台衣装のままだ。

(つか、よく見たらこの衣装エロくない? 選んだの俺だけど……)

 ヘソも太腿ふとももも丸出しという露出度の高い衣装を見ながら、グウは少し後悔した。


「グウさん、さっきは大丈夫でしたか? お怪我は?」

 ミアが心配そうにたずねた。


「ん? ああ、全然!」

 一瞬、何のことかと思ったが、すぐに座長にワインをぶつけられたことだと理解した。当然ながら、まったくダメージはない。


「でも、ちょっと酒臭いぞ?」

 ベリが鼻をスンスンした。


「ほんと? 洗ったのになー」


 気楽そうな二人とは対照的に、ミアは何だか思いつめたような表情。


「すみません。座長が決めたことなんで、私にはどうにも……二人とも、どうかお気をつけて」


「そんな、ミアが謝らなくても! ありがとな。ミアも元気で」


「ミアがいなくなると、私の世話をしてくれる奴がグウだけになっちゃうな。ふう」

 ベリがため息をついた。


「おい、なんだ『ふう』って。文句があるなら自分でやれよっ。荷造りとか、洗濯とか!」

 グウは拾い上げたベリの服を、彼女に向かって放り投げた。


「わぷっ」


「ベリィさんは……」と、ミアが口を挟んだ。「もっとグウさんを大切にしたほうがいいと思います。グウさんを愛してるなら、彼の幸せも考えてあげて」


「愛?」

 ベリはキョトンとした。


「いや、だから、俺たちはべつに……」


「そうでしたね。すみません。でも私なら……」

 ミアはグウのほうをチラッと見ると、カバンの持ち手をぎゅっと握りしめた。

「私ならもっと愛する人に尽くします……」


「ミア?」


「すみません。出過ぎたことを言いました」

 彼女は顔を伏せたまま、部屋の出口に向かった。

「さようなら。どうかお元気で」


 それが、彼女との最後の会話だった。

 一座はその後、南に向かったらしい。



 * * *



 夜中に宿を追い出されたグウとベリは、隣村まで歩いたあと、海辺にある崩れかけの廃墟で夜を明かすことにした。

 もともと教会だったらしく、かつてはステンドグラスがはまっていたであろう丸い窓から、月明かりが差し込んでいる。


 グウは床に布を敷きながら、「ちょっとほこりっぽいけど、ここで寝るか」と言った。


「なあ、グウ」

 ベリが呼んだ。


「ん? 何?」


「お前、私と一緒にいて楽しいか?」


「え?」


 なんで急にそんなことを聞くんだろう、とグウはベリの顔をまじまじと見つめたが、彼女は微笑を浮かべているだけで、いつもと変わらぬ様子。

 隙間風にそよぐピンク色の巻き毛と、ヒラヒラと揺れる赤い衣装。

 ただ、月明かりに照らされた彼女の肌は異様に白くて、なんだかこの世のものじゃないような感じがした。


(もしかしたら、ミアの言ったことを気にしてるのかな? でも、ベリにそんな気遣いなんて存在するのか?)


「……楽しいよ」

 と、グウは答えた。

「ベリが楽しそうだから。そっちが笑ってると、こっちもつられて楽しい気分になるっていうか……」


 こんなことを本人に言うのは気恥ずかしかったが、ベリが自分を気にかけてくれたのは嬉しかったし、ちゃんと答えておきたかった。


「そっか」


「そっちはどうなんだよ? その、俺といて――」言い終わらないうちに、ベリが走ってきて、ドンッと体当たりくらいの勢いで抱きついてきた。


「楽しいよっ。とくにあの時は楽しかったな!」


「あ、あの時? いつ?」


「教えない♪」


「何でだよ!?」


 翻弄されっぱなしのグウに向かって、彼女は満開の花のような笑顔を向けると、こう言った。


「そろそろ魔界に帰ろっか!」


 恐れていた言葉だった。

 胸の中の空気がズン、と重くなったような気がした。


 終わってしまう。

 この穏やかな時間が。

 魔界に帰れば、ベリは――


「……そうだな」

 そう答えながらも、グウの本音は真逆だった。


 死なせたくない。


 ベリの小さな頭をぎゅっと抱きしめる。


「グウ?」


 彼女の本性が凶暴な魔族だと知っている。

 彼女が何よりも戦いを愛していることを知っている。

 彼女がもう十分すぎるほど長生きしていることも知っている。

 怒ると恐いし、笑っててもちょっと恐いし、普通にサイコパスだと思うし、ノリがヤンキーだし、口も悪いし、頭もアレだけど……でも、死なせたくない。

 生きていて欲しい。


「まあ、そう急いで帰ることもないさ。魔界までの船賃も必要だし、ベリの踊りで投げ銭でも稼ぎながら、のんびりパルネまで戻ろうぜ」


「うーん、まあいいけど」

 ベリはちょっと不満顔で言った。

「でも、船で海を渡るのにも何日もかかるよな? あんまりのんびりしてると半年経っちゃうぞ?」


(いや、もう経ってるけど。気づいてなかったのかよ)

 グウはすごくツッコみたかったが、黙っていることにした。

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