第117話 ベリとの旅⑥ー終わりの足音

 グウとベリが人間界に来て半年。

 その間、魔界では第12代魔王シレオンが新興勢力の暴君デメに倒され、王都ドクロアが陥落した。

 魔界の慣習では、現魔王を倒して一年以内に誰かに倒されなければ、次期魔王として認められる。このまま誰もデメに挑まなければ、彼が第13代魔王として歴史にその名を刻むだろう。


 ――と、情報屋は語った。


「北部にいた蛇王ベリの軍はどうしてる? デメと戦う気配はあるか?」

 グウは質問した。


「戦うにしても、肝心のベリがいないんじゃ、万に一つも勝ち目は無いからな」


 麦わら帽子をかぶった人相の悪い男が、釣竿を揺らしながら答えた。一見、ただの釣り人に見えるが、魔族が変装した情報屋である。


「今、ベリの軍じゃデメに屈するべきか、ベリの帰りを待ちながら抵抗を続けるべきか、意見が割れてるらしい。ただ、ベリが戻ったところで勝てる保証もないし、デメのもとへ下るもの時間の問題だろうぜ」


「そうか……」


 二人の釣り人は、モラトルの港の桟橋さんばしで並んで釣り糸を垂れていた。

 桟橋には他に誰もおらず、カモメの声と波の音だけが和やかに響いている。


 ときどき、グウはこうして人間界に潜伏する情報屋から魔界の情報を得ていた。


「デメは魔王になってどうするつもりだと思う? すぐに人間界を征服しに来ると思うか?」


「さてね。次期魔王の考えることなんて、俺にはわからんよ。わかったところで、俺たちにできることなんて何もねえ。ありゃバケモンだ。誰にも止められんさ」


 情報屋はそう言うと、魚の入った魚籠びくを持って去って行った。



* * *



 夕刻。

 グウは西に向けて移動中の一座のもとに帰還した。一座は現在、とある町のはずれにテントを張って滞在している。


 野原に建てられた遊牧民風の丸いテントの前に、髭面ひげづらの男――座長が立っていて、グウを見つけると、よく通る声でこう言った。

「おお、グウ! もうモラトルから戻ったのか」


「えっ! グウが帰ってきたって!?」

 テントの中から勢いよくベリが飛び出してきた。

 夕方だというのに、まだ寝間着のネグリジェのままだ。

「頼んでたお菓子は!?」


「ちゃんと買ってきたよ。ほら、モラトル名物のオレンジパイ」

 グウが紙袋を差し出すと、


「わっひゃあー!!」

 ベリは一瞬でそれを奪い取り、バクバク食べ始めた。


「おい! 一人でぜんぶ食うな! みんなへの土産だぞ!」


「んむー!? むむ、ごふっ、んむむー!」

 ベリは口にパイをつめたまま不満を訴えた。


 座長はやれやれ、という顔をして、

「まったく。踊りと器量は一級品なのにな。上客の前では粗相そそうのないように頼むぞ、グウ」

 と、グウの肩を叩いて、テントの中へ引っ込んだ。


「はーい……」

 同感だ、とグウは思った。


 リスみたいに口いっぱいにパイをつめた、この小動物じみた少女が、自分よりもずっと年上で、何千年も生きてるなんて、いまだに信じられない。


 ただ、こうして幸せそうに焼き菓子を頬張るベリを見ていると、グウはどうしても考えてしまう。


 魔界に戻る意味はあるのか、と。


 半年にわたる療養期間と、デュファルジュ医師のナントカ療法のおかけで、彼女の傷はほとんど回復していた。その気になればいつでも戦える状態だ。

 だが――、


 おそらく、ベリはデメに勝てない。


 以前、間近でデメと対峙したとき、グウはそれをはっきりと感じ取ってしまった。

 ベリは魔族の中では間違いなく最強クラスだが、デメはもはや次元が違うというか……あの魔力……一瞬のうちに周囲の景色を一変させてしまうほどのケタ外れの魔力――はもちろんのこと、恐ろしいのは、あのときデメがまったく本気を出してなかったっぽいことだ。何なら1パーセントくらいしかパワーを使ってない感じの余裕があった。

 あまりに計り知れない。

 何かの拍子に世界を滅ぼしても不思議じゃない、そんな存在だ。

 あれとは戦ってはいけない。


 デメと戦えば、ベリは死ぬ。


「どーひた? むぐはひい顔ひて」


「黙って食え」


 どうせ戦っても勝てないなら、戦う意味はあるのだろうか?

 魔界に帰ったって、死ぬだけじゃないのか?

 だったら、このまま人間界で平穏に……


 ――いや、デメが魔王になれば、人間界も無事では済まない。

 海を越えて魔族が侵攻してくれば、遅かれ早かれ結果は同じか……


「お前って、よく人間みたいな顔してるよな」


「はい?」

(人間みたいな顔って何だよ?)


「魔族なんだから、あんまり深いこと考えんなよ。はいっ、あーんして♪」

 背伸びしながらパイのかけらを差し出してくるベリ。


(この女、人の気も知らないで……)

 グウはムスっとした顔で、ベリの手からそれをむしり取った。


 帰ったそばから座長の奥さんに水みを頼まれ、グウは木桶きおけを持って近くの小川に向かった。

 川のほとりに屈み込み、考え事をしながら、ぼんやりと水面を見つめる。


(しかし、人間界は広い。魔族が攻めてきたって、いくらでも逃げ回れる。今みたいに各地を転々としながら潜伏を続けることも可能だろう)


 水面に弱気な自分の顔が映っている。

 たしかに人間みたいな顔かもしれない。その辺にいる疲れた労働者の若者と何ら変わらない。


 ベリに限らず、「人間みたい」という言葉は、何度か言われたことがある。

 自分ではそう思わないが、若い頃に人間と関りが多い環境にいたことが影響しているのかもしれない。

 剣の師匠も人間だったし。


(これから人間界はどうなるんだろう……)


 人間を守るために別れの森を生み出したデプロラ女王も、ガザリア海を船で渡れる時代のことは、きっと想像してなかったんだろう。

 おそらく沿岸部のこの辺りから、魔族に蹂躙じゅうりんされていく。


 だが、自分やベリが戦ったところで、デメは止められない。

 どうせ止められないなら、人間界に潜伏しつつ、まわりの人間だけでも守ってやるほうがいいんじゃないか?


 ふいに強い風が吹き、水面が揺らいだ。

 風の音にまじって、誰かの声が聞こえた気がした。


『忘れないで』


 いつの間にか、水面に映る自分の背後に、幼い少女が立っていた。

 明るい茶色の長い髪と、緑色の瞳。

 あのとき死んだ、七歳の少女。


「!!」


 手から木桶が滑り落ち、グウは後ろを振り返った。


 誰もいなかった。

(幻か……)


 心臓に手を当て、ふーっと息をつく。


「忘れてないよ……」

 自分に言い聞かせるように、そうつぶやく。



 そうだ。忘れたわけじゃない。

 ただ、“過去”はあまりに遠くて、“今”という誘惑の前には、悲しいほどに無力なのだ。

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