第116話 ベリとの旅⑤ー旅芸人

 300年前。港町モラトル。

 ガザリア海を挟んで魔界の対岸にあるこの町は、古くから行商人や旅芸人が行き交うにぎやかな港だった。大通りの市場には東西から集められた珍しい品々が並び、あちこちに芝居小屋や見世物小屋が建っていた。


 郊外には円形の野外劇場があり、今話題の旅芸人の一座が舞台に上がっている。

 特にこの一座のスター、踊り子のベリィは評判で、彼女を見るために今夜も大勢の観客が劇場につめかけていた。


「よっ! ベリィちゃん!」

「今日も最高だよ、ベリィちゃん!」


 観客の熱狂的な声援の中、キラキラした衣装を身にまとった美少女が、舞台の上を軽やかに躍動する。小柄でありながら、ダイナミックでアクロバティックな動きは、見る者を一瞬にして釘付けにした。恐ろしい身体能力と完璧なリズム感、どこか妖艶な雰囲気で、彼女は一躍人気者となっていた。


「お疲れベリィ! 今日も良かったよ!」

「ベリィのおかげで今日も満員だ」

 一座の芸人たちが次々とねぎらいの言葉をかける。


「はいはーい。どうもー♪」


 笑顔を振りまきながら、舞台裏へ向かうピンク色の髪の少女。

 その視界に、次の出し物のために黙々と荷物を運ぶ一人の青年を見つけると、笑顔がさらに輝いた。


「グウ!」

 手を振りながら駆け寄る少女。


「お疲れ、ベリィ」


「ねえ聞いて。さっき座長に特別ボーナスもらっちゃった! 明日これで新しい衣装を買いにいくから、お前もついてこい!」


「ああ、いいよ」


 ぱああっと天使のような笑顔を見せる少女。この無邪気な美少女が、じつは魔界で最強クラスの元魔王だなんて誰も信じないだろうな、とグウは思った。



 この一座に合流して三ヶ月。

 人間界に来て、もうすぐ半年が経とうとしている。


 ちゃんと人間界に溶け込めるのか、最初は心配だったが、二人は思いのほかうまくやっていた。

 とくにベリは好戦的な性格だから、何かしら人間とトラブルを起こしやしないかとグウはヒヤヒヤしていたが、意外にも温厚というか、むやみに人を傷つけることはしなかった。

 魔族の中には好んで人間を襲って食べる者もいるが、ベリに言わせれば、

「人間は肉の中では不味いほう。豚やイノシシのほうがずっと美味い」

 とのことで、あえて食おうとは思わないらしい。


「ベリィさん! デートしてください!」

 騒々しい声とともに、ファンが何人か舞台裏に押しかけてきた。

「いや、俺とデートしてくれ!」

「ベリィちゃん、俺の嫁にさんになって!」


「アハッ。寝言は寝て言えよ、ガキども♪」


 ただし、彼女はファンサは下手なようだ。


(そりゃアンタからしたらガキだろうが……)

 いい大人たちをガキ扱いするベリに、グウは苦笑いを浮かべる。


「グウさん、ちょっとこれ運んでおくれ!」

「はーい! じゃあまた明日な、ベリィ」

「おう!」


 呼ばれて荷物を取りに行くグウ。

 彼はベリの付き人として一座に入ったあと、裏方として働いている。


 で、今は手品師の助手のおばさんに代わり、トリックに使う道具を運んでいるわけだ。


「あんた、見かけによらず力持ちよね」

「そうですかー?」

 

 グウはとぼけた顔で言った。



 * * *



 翌日。

 燦々さんさんと日差しが降りそそぐ、よく晴れた夏の午後。

 グウとベリは大通りを歩いていた。


「暑いなー……」

 グウはダルそうに歩きながら、薄手のシャツのそでをまくり、額の汗をぬぐった。


「あった! この店だ! はやくはやく!」

 村娘風の格好をしたベリが、グウの手を引いて急かす。


「はいはい……」


 店に入ると、ずらりと並んだきらびやかな衣装の数々に、ベリの目は輝いた。

「わああああ! 超きれい! どれにしよっかなあ!」


 彼女は店内を歩き回り、いろいろな衣装を手にとっては「どれがいいかなあ」と悩む。

 最終的には、赤い衣装と青い衣装の二つを持って、

「ねえ、グウ。お前はどっちが好き?」

 と聞いてきた。


「え? うーん、赤いほう?」


「じゃあ赤にする!」

 ベリは最高にまぶしい笑顔でグウにそう告げた。


 グウは不覚にもちょっと嬉しくなった自分が恥ずかしくなり、「ちなみに俺、センスねーぞ」と、わざとぶっきらぼうに言って店を出た。

(これは男が勘違いするパターン……)


 天真爛漫てんしんらんまん、というのだろうか。

 ベリは子供のように無邪気で明るかった。

 グウは彼女ほど笑顔の似合う人を知らない。

 ベリは落ち込んだり、悲観的になったりすることがなく、暗い部分が全然なかった。

 たまに怒らせると恐いが、その怒りすらすぐに忘れてしまうので、基本的に彼女はずっと笑顔だ。


「あと、アクセサリーも買うから! ほら、はやくー!」

 ぴょんぴょん跳ねながらグウを急かすベリ。


「ねえねえ、これ可愛くない?」

 キラキラした目で共感を求めてくるベリ。


 さらに、ビーズがジャラジャラ連なったピアスを二つ、鼻のあたりまで持ち上げて、

「ねえ、見て。鼻毛」

 などと小ボケをかましてくるベリ。


「ぷっ」と、不本意ながら笑ってしまう。


 こんなふうに彼女に振り回される生活にもすっかり慣れてしまい、ただ穏やかな日々が過ぎていった。

 魔界に居ては決して味わえなかったであろう、この平穏に、グウは心地よさすら感じていた。



 * * *



 モラトルに来て、半月ほど経っただろうか。

 移動には不可欠な馬たちも、今は仕事がなく暇そうに見える。

 いつものように、グウが馬小屋で彼らにえさを与えていると、


「あら、グウさん。シャツに穴があいてますよ。ひじのところ」


 小屋の入り口から、ほっそりとした赤毛の若い娘が声をかけてきた。

 この一座で道化師をしている男の娘で、旅に同行して芸人たちの身の回りの世話をしている。名をミアといった。


「よろしければ縫いましょうか?」


「ああ、じゃあお願いしていいかな?」


 グウはお言葉に甘えることにした。

 別のシャツに着替え、ミアが縫物をしているのを見守りつつ、馬小屋の掃除を始める。


「そのシャツもボロボロですね」

 ミアが言った。


「ハハ。二枚しか持ってないもんで」


「まあ。ベリィさんはしょっちゅう新しい衣装を買ってるのに」

 ミアはちょっと呆れたように言った。


「たしかに。あの人の買い物好きには困ったもんだ」

 グウは苦笑いした。

「でもまあ、それで機嫌よく踊ってくれるならいいかなって」


「……グウさんは優しいですね」

 ミアは少し寂しげな笑みを浮かべた。


 さて、噂をすれば本人登場である。


「あ、いたいた!」

 弾んだ声がしたかと思うと、ベリがぴゅーっと駆け寄ってきて、

「ねえ、グウ! 新しい踊り覚えたから見て!」

 と、グウに抱きついた。


「ちょ、ちょっと待て。今、掃除中だから!」


「えーっ」


 そんなやり取りを見て、ミアがクスクスと笑った。

「お二人は本当に仲がいいですね。お付き合いされて長いんですか?」


「ん?」

 キョトンとするベリ。

「いや、そういう関係じゃないんで!」

 グウは慌てて否定する。


「えっ、そうなんですか!? ごめんなさい、てっきり恋人同士かと!」

 ミアはみるみる顔を赤らめた。

「わ、私、もう行きますね! ハイ、これ縫いましたんで!」

 と、グウにシャツを押し付ける。


「あ、ありが……」

 グウがお礼を言い終わる前に、彼女はパタパタと走り去ってしまった。


「ほら、アンタがベタベタするから誤解されたじゃねーか。今日から抱きつき禁止で」

 グウが言うと、


「ええっ、やだー! べつにいいじゃん、誤解されたって」

 ベリは不満そうにほほを膨らませた。

「グウは私のものだもん。放さないんだもんっ」


「こらこら何を言ってらっしゃる……」

 グウはちょっと動揺した。ストレートな愛情表現ともとれる言動に、そんなはずないとわかっていても、ドキッとせざるを得ない。

「まったく。俺のこと好き過ぎじゃね?」

 なんて、冗談でごまかしてみる。


「うん。好きだよ」

 ベリは最高に華やかな笑顔で言った。

「大好きだよっ」


「え?」

 グウはいよいよ狼狽ろうばいした。

「いやいやいや。ねえ、またそういうこと言って……ほんとにもう」


 どう反応していいかわからず、曖昧にごまかして、逃げるように馬小屋を出る。

 どこに向かうでもなく足早に歩いた。


(え? 何、今の?)


 ベリの言葉の意味を考えながら、競歩くらいのスピードで歩く。


(いや、落ち着け。きっと深い意味はない!)


 あの“好き”は、綺麗な服や美味しいお菓子と同じ次元の“好き”だ。

 ベリに恋愛感情なんてあるはずがない。


 あるはずがない……よな?

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