第115話 死亡ルート

 ギルティは一枚の紙を大事そうに携えて、謁見えっけんの間に向かった。

 様々な障害を乗り越え、ようやく手に入れた保釈申請書。


 憲兵本部に用紙を取りに行ったら、「そんな紙は見たことがない」「十年に一回くらいしか使わないので知らん」と言われ、色々な部署をたらい回しにされ、やっと用紙が見つかったと思ったら、今度は「必要書類を提出しないと発行できない」と小難しい書類を十個くらい要求され、どうにかそれらのアイテムを揃えて提出すると、次は「書式が古い」とか「有効期限を過ぎている」とか、なんやかんや難癖をつけられ、結局、保釈申請書を入手するのに一週間以上かかってしまった。


(あの人たち、絶対、書式なんか気にするタチじゃないのに。嫌がらせとしか思えない!)

 ギルティは思い出してプンスカした。


 しかし、問題はここからだ。

 というか、ここがこのクエストの最難関。


 魔王にサインをもらう。


 これがクリアできなければ、グウが解放されることはない。

 ダリア市で魔王がビーズに対して見せた、あの激しい怒りを思えば、そう簡単にいかないことは明白。

 機嫌を損ねれば、最悪、殺されるかもしれない。


(グウ隊長には無理をするなと言われたけど……でも、私はどうしても、隊長に帰ってきて欲しい……!)


 ギルティは覚悟を決め、自らの手で試練の扉を開いた。

 広間の奥で鎮座する魔王。

 彼女は真っすぐ赤い絨毯じゅうたんの上を歩いていき、玉座の前にひざまずいた。

 丁寧に用件を伝え、改めてグウの無実を訴える。


「魔王様、どうかもう一度グウ隊長を信じてください。どうかこの保釈申請書にサインを!」


 激怒されて追い返されるかもしれない。

 それでも彼女は、魔王を説得するまで諦めないつもりだった。


「わかった。書こう」


「え!?」


 魔王は玉座から立ち上がってギルティに歩み寄ると、申請書を受け取ってサラサラとサインをした。

「はい」


 ミッションコンプリート。

(え? こんなにアッサリ?)

 ギルティは手渡された紙をポカンと見つめた。


「どうした?」


「いえ、てっきりグウ隊長のこと、お怒りなのかと思って……」

 ギルティは大きな目をパチパチさせながら言った。


 魔王は少しうつむいて、複雑そうな顔をした。


「……俺をだましたことについては、まだ怒ってるけど。まあ、あくまで保釈だし? もう少しアイツの話を聞いてやってもよかったかなって」

 彼はバツが悪そうにボソボソと喋った。

「どういう事情があるのか、何を考えているのか……俺が納得する理由があるなら許してやらんでもない。思えば俺はグウのことを何も知らんからな。できれば一度、腹を割って話してみたい。アイツにその気があればな」


 ギルティは衝撃のあまり、軽くのけぞった。

(腹を割って話す!? あの内気な魔王様が、人に心を開こうとしている? どういう心境の変化なの?)

「どうされたんですか、魔王様。熱でもあるんですか」


「何がだ。お前がアイツを信じろって言ったんだろ」

 魔王はジトッとギルティをにらんだ。


「そ、そうですね。失礼しました」


「べつに何もない。今は人を疑うより、信用したい気分なだけだ」

 魔王はそう言って、かすかに微笑を浮かべた。


 今まであまり見たことのない、穏やかな表情だった。


「それに、ちょうどお前とグウに頼みたいこともできたしな」


「頼みたいこと?」


「詳細はまた今度話す」

 魔王はなぜか照れくさそうに目をそむけた。


「魔王様、何かいいことありました?」


「は!? べべべべべつに、何もないし!!」


(確実に何かあった反応だ。わかりやすい!)

 ギルティは確信した。


 でも良かった、と彼女は保釈申請書を見つめて安堵の笑みを浮かべた。

 これを持って明日にでもベリ将軍のところへ、グウ隊長を迎えに行こう。



* * *



 その夜、魔王は眠れずに、バルコニーで夜風に当たっていた。

 買ったばかりの雑誌を眺めながら、はあ、と何度もため息をつく。


 今週、セイラとデート……

 想像するとドキドキして、とても眠れそうにない。


(ダメだ! 期待するな、俺!! セイラはただケーキを食べたかっただけかもしれない! きっとそうだ!)


 過度な期待は禁物だ。

 自分はただのファンなのだから。立場をわきまえなければ。

 一番の願いはセイラの夢が叶うことだ。

 推しが幸せならそれでいい。そうだろ?



 ……本当にそうか?



 自分の右手を見つめる。

 握手会でもないのに、セイラがこの手を握ってくれた。


『私はデメさんの味方ですから』


 セイラの言葉が嬉しかった。

 たぶん、ずっと誰かに言って欲しかった言葉――それをセイラが言ってくれたことが、本当に嬉しくて……


 二人でいたあの時間を、何度も巻き戻して味わいたい。

 たとえ、また緊張で何も話せなくても。

 それでも、また会いたいと考えてしまう。どうしても。


(どうしよう、俺……)

 魔王は急に怖くなってきた。


 もし、この気持ちがどんどん膨らんで、舞台の下から見ているだけじゃ満足できず、もっとそばに行きたいと望んでしまったらどうしよう。

 魔族にそんなふうに思われたって、迷惑に決まってる。


『アンタだってセイラの特別になりたいんじゃないのか! 俺と何が違うんだ!』


 以前、セイラのストーカーに言われた言葉が頭によぎる。


 俺は特別になりたいんだろうか。

 この気持ちはファンとしての“好き”なのか、それとも……



「ガチ恋したらダメだよ、デメちゃん」



 ふいに、頭上から投げかけられた言葉に、魔王はギクーンッと体を震わせた。

 上を見ると、真上にせり出した屋根の上に、モコモコのセーターにミニスカートという格好の美少女――ベリ将軍が座っていた。


「うわあぁっ、お前、なんでいる!?」


「べつに? ちょっとお散歩してたら、恋する乙女みたいな顔でアイドルの写真を見つめてるサンゴ頭が見えたから♪」

 ベリ将軍は足をぶらぶらさせながらニヤッと笑った。


「恋なんかしてねーし!! 推してるだけだし!!」


「ならいいけど。人間に恋するのは破滅ルートだよ? それで死んだ魔王もいるしねー」


「わかってる! ただファンとして応援してるだけだ! ファンでいるくらいいいだろ……」

 魔王は目を伏せて、ぎゅっと拳を握りしめた。

「てゆうか、用が無いならさっさと失せろ! いくら挑発したって、お前とは戦わんぞ」


「えーつまんない。なんでー?」


「忘れたのか? 300年前のグウとの約束だよ。アイツが捕虜になったときに言ったんだ。俺のために働くかわりに、お前を殺さないでくれって」


「ああ、それね。そんな昔の約束、律儀に守ってんの? てゆーかその話、私、認めてないんですけどー」

 ベリは不満そうにほほを膨らませた。


「お前の意思など知らん! ……まあ、グウが人間と組んで俺を倒すつもりなら、その約束も破棄させてもらうがな」


 魔王が言うと、ベリはキャハハッと可笑おかしそうに笑った。


「グウちゃんがそんなこと考えるワケないのに。小心者だなあ、デメちゃんは」

 彼女はふいに立ち上がると、ひょいひょいと屋根の上を歩きだした。

 それから、去り際に振り返って、こうたずねる。

「その約束って、グウちゃんを殺したら解消される?」


 魔王は呆れてまゆをひそめた。

「お前、どこまで心がないんだ」


 ベリ将軍は屋根の上から、文字通り見下したような冷たい笑みを返した。目の瞳孔が細くなり、急に雰囲気が変わる。

「お前こそ、ずいぶん牙を抜かれたもんだなぁ、デメ。そんな甘ちゃんだと、そのうち誰かに首を取られるぜ?」


 そう言って闇夜に消えていくベリの後ろ姿を、魔王はただにらみつけるしかなかった。



 * * *



 深夜。

 ベリ将軍の屋敷の一室で眠っていたグウは、ハッと目を覚ました。

 暗闇の中、すでに視力の回復した両目を開くとそこには、


「ちょ、何を……」


 なんと、モコモコのセーターを着た美少女が布団に潜り込んでいた――だけなら良かったが、いや、良くはないが――、彼女はグウの首に手をかけて、鋭い爪を突き立てていた。


「お前が悪いんだよ? 私の楽しみを邪魔するんだもん」

「いや、何の話……?」


 ベリは穏やかに微笑みながら、指先に力を込める。

 グウの首筋からツーッと血が流れた。


「なんだよ。結局殺すのかよ」

 グウは目を細めて彼女をにらんだ。

「だったら何であのとき殺さなかったんですか?」

 あのとき、ベリは毒を盛ったくせに、なぜ解毒剤を飲ませたのか。

「なんでまた俺を助けたんです?」

 なぜ憲兵本部から自分を救い出したのか。


 ベリが何を考えているのか、ぜんぜんわからない。まるで命ごともてあそばれているみたいだ。

 ――ガッ、とグウは素早くベリの手首をつかむと、強引に自分のほうに引き寄せた。

 彼女を体の下に閉じ込めるようにベッドに押しつける。

「邪魔なのか必要なのか、ハッキリしろよ」


 ベリは目を丸くして、パチパチと瞬きをした。

「おや、主従逆転のつもり? 隠れSな部下が深夜に豹変……うーん、なんか違う。似合わない」


「悪かったなっ! 乙女ゲーみたいな属性を求めるな!」


「オルラァ!」

「フゴッ」


 不意打ちで顔面に頭突きを食らい、グウは思わず自分の鼻を押さえた。

 その隙にベリはするりとグウの体の下から抜け出して、ファサっと髪を払う。ブワッと何十匹もの蛇が髪から湧いてきて、グウに襲いかかった。

「どわああっ」

 一瞬で蛇の群れに飲み込まれる。

 噛みついてこないかわりに、蛇は体にからみついて自由を奪う。


「フフン♪ 残念だったわね! お前はヤンデレヒロインに監禁されるギャルゲー主人公がお似合いよ!」


「くそっ! どこがヤンデレだ! 病んでもデレてもねーだろ! ヤンデレってのはもっと愛が重いんだよ! アンタとは対極の存在だ!」


「アハッ。よくわかってるじゃん。そう。愛なんてないよ。魔族だもん。生かすも殺すも、ただの気まぐれ。なのに、みんな行動に意味を求めたがる。お前もそう」

 ベリはグウの腹の上にまたがって、耳元に顔を近づけた。

「私に何を求めてるの?」


 たしかに、何を求めていたのだろう。

 求めたって何もない。虚しいだけだって、知ってたはずなのに。


「ハイ! 死亡ルート確定。鬼畜ヒロインに惨殺されるバッドエンド♪」


 唐突なバッドエンド宣告。

 馬乗りになって、首を絞めてくる鬼畜ヒロイン。


 いや、絞めるどころか、握りつぶすくらいの力だ。

 息ができない。というか、その前に首が折れる……!

 ギャルゲーじゃなくて、ホラゲーだったのか?


 グウは白目になりながら、薄れゆく意識の中で考えた。

 どこで選択肢を間違ったのだろう、と。


 牢獄でベリに助けを求めてしまったときか。

 デメに彼女の助命を願ったときか。

 それとも、あの旅の中で――、

 この恐すぎるヒロインのルートに足を踏み入れてしまったときに、すでに運命は決まっていたのだろうか。

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