第114話 誕生日

 とつぜん涙をこぼしたデメに、セイラは戸惑った。


『あなたの味方』だなんて、ありきたりなセリフだ。

 そんな言葉の何が彼の心を揺さぶったのか、セイラにはわからない。どう声をかけていいのかも――。

 ただ、その涙を見ているとなぜか胸がきゅうっと締め付けられて、思わず手を握ってしまった。


 デメはびっくりしたように彼女を見て硬直した。


「ご、ごめんなさい!」

 セイラは慌てて手を離した。


「う、あ、いえっ」


 恥ずかしさから、互いに顔を背ける二人。

 そのとき、ビッ――とセイラのセーターのそでから毛糸が伸びた。

 手を握ったとき、デメの右手にはまった指輪の装飾に、袖の毛糸がからまってしまったのだ。


「あ、あれ!?」

「うわ、すすすみません!」

「いえ私が勝手に引っかかったんで!」


 パニックになる二人。

 ひと通りあわあわして、ブチッと糸が切れると、彼らは気まずそうに沈黙した。


「すみません……」とデメが申し訳なさそうに言った。


「いえっ、気にしないでください!」

 セイラは寒さで赤くなった顔をさらに赤くした。

(うわぁ私何やってるんだろ……なんか恥ずかしいぃ!)


 セイラは空気を変えるために、

「綺麗な指輪ですね!!」

 と、あえて元気いっぱいのトーンで言った。

 

 濃い青色の四角い宝石がついた指輪。

 そういえば、握手会のときも着けていた気がする。

 あまりアクセサリーで着飾るようなタイプには見えないので、意外だと思ったのを覚えている。

(けっこう古そうだし、おばあちゃんの形見とかかな?)


「これは、あの、俺の海っていうか……えっと……」

 デメは何やら説明に困っていた。


「海?」


 セイラは小首をかしげて指輪をのぞき込んだ。

 日差しを受けて青い宝石がちらちらと光る。それが、まるで海中に差し込む光のように、かすかに揺らめいて見えた。


「不思議な色。デメさんの目の色と同じ、綺麗な青……」


「……ぇ」

 急に至近距離で瞳を見つめられたデメは、明らかに動揺してキョロキョロと目を泳がせた。


「あっ、ごめんなさい、変なこと言って!」

「い、いえっ」


 二人はまた気まずそうに顔を背け合った。


 セイラは熱くなったほほを両手で挟んだ。

(うう……ダメだ、私……なんだか今日はデメさんを困らせてばっかり……)


「時間大丈夫ですか? このあとバイトですよね」

 デメは三角座りで真下に顔を向けながら言った。

 まったくセイラのほうを見ようとしない。


「あ、はい。そうですね! そろそろ行かなきゃ……」

 セイラは少しシュンとした表情で立ち上がった。

(デメさん気まずそう……私、馴れ馴れしかったかな……ていうか、よくバイトだってわかったな……)


 行先が同じ方向だったので、二人は微妙な距離を保ちながら、しばらく並んで歩いた。

 デメは何も喋らず、沈黙に耐え切れなくなったセイラが口を開く。


「そういえば、今日は誕生日会の予約が二件も入ってるんですよねー。あ、うちの店、誕生日のときは、サプライズで音楽流して、ケーキを運ぶんですけど、えっとー……」

 適当な話を続けようとするが、妙な緊張感のせいで続かない。


「誕生日会……あ、生誕祭みたいなものか。アイドル以外も祝うんだ」

 デメは独り言くらいのボリュームでボソッと言った。


「?」

 セイラは首をかしげた。

「誕生日、お祝いしないんですか?」


「俺ですか? はい。誕生日がわからないんで」


「え?」

 セイラは思わず立ち止まった。

「知らないんですか? 自分の誕生日……」


「あ、はい。生まれた日のこと覚えてなくて」


「そんなの私も覚えてませんよ」


(どういうこと? 誕生日知らないって……どうしよう、軽々しく触れてしまったけど、何か複雑な家庭の事情が?)


 セイラの表情がこわばったのを見て、デメも何かマズいことを言ったと思ったらしく、苦笑いを浮かべながらこう言い訳した。


「いや、その、どうせ俺の誕生日なんてめでたくないんで。むしろ人類にとって災いっていうか」


「そんな悲しいこと言わないでっ」


(つまり、今まで一度も誕生日を祝ってもらったことがないってこと? そんな……私はデメさんから、あんなに心のこもったバースデーカードもらって、すごく嬉しかったのに、デメさんは誰からもお祝いされないなんて、そんなの悲しすぎる……)


 祝いたい……!!

 セイラの胸の内にそんな願望が込み上げてきた。


「デメさん、今週の日曜日、空いてますか? 12月3日」


「え? あ、はい」


「じゃあ、一緒にケーキ食べましょ!!」

 セイラは目をキラキラさせながら言った。


「ふぇっ!?」


(デメさんの誕生日は12月3日! 誕生日がわからないなら、決めちゃえばいいわ! そうだ! どうせなら、グウさんやギルティさんも誘って、サプライズで誕生日会を開催しちゃお!)


「三時にさっきの広場で待ち合わせです! 絶対に来てくださいね! 約束ですよ!」


 セイラは元気に手を振ると、放心状態のデメを残して、そのままバイト先のレストランへと駆けて行った。


(あれ? でも、よく考えたら私、グウさんたちの連絡先知らないや。ラウルさんなら知ってるかな?)

 地下にあるレストランへと続く階段を下りながら、彼女はふと考えた。


 昼はランチもやっている、カフェ&ダイニング『アクアブルー』。

 店に入ると、幸運にもオーナーのラウル・ミラー氏が、秘書とお茶を飲みながら仕事の打ち合わせをしていた。


「ラウルさん! ちょうどよかった!」

 セイラはパタパタと彼のテーブルに駆け寄った。

「今度、サプライズでデメさんの誕生日会をやりたいんですけど、グウさんの連絡先って知ってます? そうだ! よければラウルさんも一緒にお祝いしませんか?」


「デメ? グウ? 誰だい? それは」

 金髪の優男はキョトンとした顔で言った。


「え?」

 セイラは呆然として言葉を失った。


 直後、「社長」と黒髪でロングヘアーの秘書が彼を呼んだ。打ち合わせが再開され、それで会話は終わってしまった。



* * *



 アーキハバルのマンションから、異空間を通って自分の部屋に戻った魔王は、今しがた通り抜けた絵の前で、放心したように立ち尽くした。


 さきほどのセイラの言葉を頭の中で反芻はんすうする。


(一緒にケーキ食べましょう? どういう意味だ……)


 情報を整理する。

 12月3日。三時にセイラと待ち合わせをする。

 そして、一緒にケーキを食べる。


「これって……これって、まさかデ……」


 デートの約束!?

 いや、まさか!! 


 ゴンッ、と魔王は自ら壁に頭を打ちつけた。


(冷静になれ、俺! デートなワケないだろ! セイラが俺なんかとデートするはずない!)


 しかし、デートじゃないとしたら、あの約束は何の約束なんだろう。

 そもそもデートって何だっけ?

 デートなんかしたことないから、デートの定義がわからない。

 辞書で調べよう。


 ネット上の辞書で調べたところ、《デート》とは、『男女が日時や場所を定めて会うこと』とあった。


(じゃあデートじゃん!!)

 魔王はクワッと目を見開いた。

 そう認識したとたん、心臓がバクバクして、手が震えてきた。

(俺がセイラとデート? 現実なのか、これは!?)


 ボゴオッ!!


 念のため、思い切り自分の顔を殴ってみる。

 鼻血が出た。

 夢でも妄想でもない。現実のようだ。


(いいのか!?)


 今回のダリア市のことで痛感したはずだ。

 自分はあまりセイラと関わるべきではないと。

 もし魔王であると知られたら、セイラに迷惑をかけかねない。

 まして二人で会うなんて……ファンという立場を逸脱した行動では……


 じゃあ断るか?

 断るの?

 断れんの?


(無理!!)

 魔王は血走った目をカッと見開いた。

(だってセイラとデートだぞ! 死んでも行きたいだろ!!)


 ジリリリリリ、と壁の内線電話が鳴り響いた。


(なんだ、こんな時に!)

 魔王はイラつきながら受話器を取った。


 相手は諜報課のジムノ課長だった。

「人間界に来られるなら、事前に予告いただけると助かります」

 彼は事務的なトーンでそう告げた。


「あ、はい……」

 魔王は一気にテンションが下がった。

(見られてた……)


 そうだった。セイラは諜報課に護衛されてるんだった。

 どこからどこまで見られてたんだろう。さすがに会話までは聞かれてないと思うが……


 電話を切ってから、じわじわと恥ずかしさが込み上げてきて、魔王は悶絶しそうになった。


 ジリリリリリ。

 またしても間の悪いタイミングで電話が鳴る。


(何だ! 次から次へと!)

 魔王はキレながら受話器を取った。

「もしもし!?」


「魔王様!! お願いしたいことがございます!!」

 すさまじく気合の入ったギルティの声の音圧で、魔王は鼓膜が破れそうになった。

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