第113話 魔王の味方

 書店を出てすぐ右隣には地下鉄の入り口があり、そこを過ぎると川に面した小さな広場がある。

 広場といっても、広くはないし、とくに何かあるわけでもない。ただ川岸に向かってゆるやかな階段が続いているだけだ。


「あそこに座りましょう!」


 水色のコートを着たセイラが階段を指さして言った。


「は、はいっ」


 魔王の手には、月刊アイドルライフ。

 一冊しかない本をセイラが譲ってくれたのだが、彼女もすぐに見たかったらしく、「一緒に見ていいですか?」との申し出があった。


(いいに決まってるけど、むしろいいの!?)


 彼女の態度からして、やはり正体は知られていないようで安心したが、思わぬ幸運に、魔王は喜びよりもパニックが勝っていた。


 二人はコンクリートの冷たい階段に腰を下ろした。

 天気のいい朝とはいえ、もう冬だ。

 普通に寒かったが、万年金欠の十代の少女には、どこかの店に入るという選択肢は存在しないらしい。


「あったぁ! ちゃんと載ってる!」

「すごい、見開き二ページ……!」


 推しが雑誌で特集されているという感動――本来なら、隅々まで穴が開くほど眺め倒したいところだが、本人が隣にいるという異常事態のせいで、ぜんぜん内容が頭に入ってこない。


(セイラの特集記事、インタビューも充実してるし、写真も最高。でも、それよりリアルのセイラが……厚着のセイラが可愛すぎる……!)


「あっ、ここ注目ポイントです!」

 白い息を弾ませながら、嬉しそうに解説までしてくれるセイラ。


 彼女はコートと同じ水色のフェルトのベレー帽をかぶり、白いマフラーを巻いていた。北国出身らしい色白のほほに、寒さで少し赤みが差しているのが、なんとも可愛らしい。


(冬の妖精……!!)


「憧れのアイドルを聞かれて、『ベリみたいになりたい!』って言ったら、『人間辞める気?』って笑われちゃいました。えへへっ」


「は、ははっ。それはもう、ハイ」

 いつもに増して会話ができない。


「今日はお一人なんですか? 珍しいですね」


「あ、はい。ちょっと諸事情で」


「諸事情?」


「いやっ、何も……おかまいなく!」


「…………」


「…………」


「でもよかった! 元気そうで。最近ライブに来てなかったから、心配してたんです」


「すみません……」

 魔王は暗い顔でうつむいた。


「あ、ちがっ、責めてるワケじゃ! デメさんだっていろいろ都合がありますよね!」


「…………」


「…………」


「すみません。生誕祭、行けなくて……」

 ほぼ真下を見ながら、魔王は言った。

「お祝いのメッセージも渡せなかった」


 ダリア市で書いたメッセージカードは、ヌシ殿が魔族に襲われたときに、どこかに飛んで行ってしまった。

 あの駐車場で……


「ん? ちゃんとデメさんのメッセージありましたよ?」


「え?」


「ものすごく心のこもった長文で感動しました」

 セイラはニコッと笑った。


 魔王はポカンとした。

 どういうことだ?


 ファンからメッセージカードを集めてセイラに渡したのは、生誕委員のヌシ殿だろうか。

 でも、自分は提出してない。

 なぜそれがセイラの手に?


 魔王はそこで、ふとヌシ殿から届いていたDMのことを思い出した。

 あのDMに何か書いてあるのかも……


 ポケットからスマホを取り出し、放置していたDMの通知を見つめる。

 ――が、やはり見るのが怖くて、スマホを持つ手を下ろした。


 二度とセイラに近づくな、このクソ魔族――みたいなことが書いてある予感がする。


「あ、遠慮なく見てくださいね」とセイラ。


「いや、やめときます……見る勇気がないんで」


「勇気がいる内容なんですか?」


「……はい」


「じゃあ、今見ましょう!」


「え?」


「今なら私がついてます!」

 セイラは両手を顔の前に持ってきて、可愛いファイティングポーズを作った。


 どういう理屈なのかはわからないが、元気のカタマリのような彼女にそう言われると、何だか心強い気がした。

 魔王は再び画面を見つめ、大きく深呼吸をする。

 覚悟を決めてメッセージを開封すると、そこには、こんなことが書かれていた。



『あのあと、警察の人から連絡が来て、荷物を預かってるから取りに来いと言われました。デメっちのカードも拾ってくれたみたいで、一緒に渡されましたぞ。汚れちゃってたから新しいカードに代筆してアルバムに収め申した。

 あの日のことは、誰にも話しておりませぬ。』



(ヌシ殿おおお……!!)

 魔王はスマホを握りしめて、ぎゅっと目をつむった。


 あの夜……あんな姿を見られたからには、もう二度と友人には戻れないと思っていた。きっと恐ろしい思いをしただろうに……それなのに、正体を黙っていてくれただけでなく、まだデメっちと呼んでくれる……


「どうでした?」


「大丈夫でしたっ……!」

 魔王は噛みしめるように言った。


「よかったあ」と、セイラもほっとした顔。


 魔王は心のつかえが取り除かれて、すっかり気持ちが軽くなった。

「セイラのおかげです……ありがとう」


「どういたしましてっ」

 セイラはふふっと嬉しそうに微笑んだ。

「また勇気が必要なときは、いつでも呼んでください。そばで励ますくらいしかできないけど」


「いや、そんなっ、俺ごときのために、そのようなお手数……」


「何言ってるんですか! 前に言ったじゃないですか。デメさんが困ったときは、私が助けるって! 今までいっぱい助けてもらったもの。少しくらいは頼ってください。私はいつだってデメさんの味方ですから!」


 魔王は大きく目を見開いた。

「味方?」


「はい!」

 コクンッと勢いよくうなずくセイラ。


「俺の……味方……?」

 魔王は信じられない気持ちで、その言葉を繰り返した。


「デメさん!?」

 セイラが驚いた顔をした。


 デメの目からぽろぽろと涙がこぼれていたからだ。


「すみませんっ……」

 と、デメは慌てて手で顔を覆った。

「すみません……俺の味方なんてっ……この世に一人もいないと思ってたから……」


 歴代最強の魔王は、情けなく声をつまらせながら言った。


 彼は――

 魔王は世界の敵だった。

 魔族からも人間からも、恐れられ、憎まれて、本当の味方なんて誰もいないと思っていた。


 べつに、それで問題なかった。

 誰が裏切ろうが、誰が敵に回ろうが、自分の優位は揺るがない。

 味方なんて必要ないのだ。

 魔王にとっては。


 でも、デメは――

 デメにとっては、そうじゃなかった。


『デメさんの味方ですから!』


 魔王ではない、ただのデメに向けられたその言葉が、こんなにも嬉しく心強いものだとは。


 ふいに、ほんのりと暖かいものが、デメの手に触れた。

 驚いて見ると、セイラが少し困った顔で、自分の手を握っていた。

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