第112話 シレオンの遺作
厚手のパーカーを羽織り、リュックサックを背負い、スマホを握りしめた魔王は、覚悟を決めたような表情で鏡の前に立った。
もっさりとした黒髪。ズボンにインしたチェックシャツ。
ひと昔前のオタクの標本みたいな少年がそこにいた。
(よし。どう見ても人間だ。我ながら完璧な扮装……!)
今日はセイラの特集記事が掲載される雑誌の発売日。
魔王はなんと、一人で人間界まで買いに行くつもりだった。
一体なぜか?
最初はギルティに頼もうと思い、何度か内線電話の受話器を握った。
――だが、なんだか頼みにくかった。
彼女はグウを慕っていたし、急に隊長に昇格して大変だろうから、こんな時におつかいなんて頼んだら、なんか怒られそうな気がした。
次に諜報課を思い浮かべた。
セイラの護衛のため、諜報課のメンバーが人間界に潜伏しているはずだから、頼めばすぐにブツを入手しくれるだろう。
――が、ジムノ課長の冷然とした細長い顔を思い出すと、なんか頼みにくかった。
アイドル専門誌を買って来て欲しいなんて言ったら引かれそう。というか、すでに引かれてそう。
ほかの従者も同じだ。魔王が気軽に『月刊アイドルライフ』の調達を頼める者など、そうそういない。
(かくなる上は、自ら
魔王は壁に飾ってある大きな絵に手をかけると、おもむろに床におろした。
広々とした草原を描いた風景画。
遠くに湖があり、その上に何か大きな岩のようなものが浮かんでいる。何なのかは
「シレオンの遺作になっちゃったな」
そう。それはシレオン伯爵の生前に、魔王が依頼していた絵――魔王城から異空間を通ってアーキハバルへ行くための入り口の絵だった。
かなり前から頼んでいたが、ダリア討伐作戦の最中にようやく完成し、魔王城に届けられていたらしい。
魔王は絵に片手を突っ込んだ。
水面のように波紋が広がり、そのままスウッと絵を通り抜けると、そこには絵に描かれていたのと同じ風景が広がっていた。
見渡す限りの草原。
遠くには、大きな湖。
そして、その静かな湖面の上空に、巨大な城が浮かんでいる。
王都にあるドクロア城に似た、壮麗な白亜の城。
最初、岩に見えたのは、この城だったらしい。
いったい何のために、どういう意図でこんな風景を作り出したのか、この異空間を生み出したシレオン伯爵亡き今、もはや誰にもわからない。
出てきた場所を振り返ると、そこにはレンガ造りの風車小屋が建っていて、その壁に絵が飾られていた。
絵には、魔王がシレオン伯爵に送った写真にそっくりな、自分の部屋が描かれている。自室が絵画になっているのを見るのは、ちょっと恥ずかしい気分だ。
魔王はきょろきょろと周りを見回して、人間界側への出口となる絵を探した。
風車小屋の後ろに回ってみると、そこにまた一枚の絵があった。
非常にあっさりとした絵だ。
描かれているのは、どこかの家のリビングの、白い壁とソファーだけ。
当然、この絵も通り抜けられた。
移動先は、どこかのマンションの一室だった。
誰もいない。
家具はひと通りそろっているが、生活感がなく、まるでモデルルームみたいだった。壁に飾られた大きな絵――今しがた通り抜けた草原の絵だけが、この部屋に個性を与えている。
魔王は普通に玄関から外に出ると、スマホの地図アプリで現在地を確認しつつ、アーキハバルの駅前にある本屋に向かった。
魔王もライブ帰りに何度か訪れたことのある、マニアックなジャンルまで網羅した素晴らしい本屋だ。
さっそく店に入り、開店直後のまだ人の少ない店内を、まっすぐにアイドルコーナーに向かって歩く。
――と、はやくも壁際のラックに目当ての雑誌が一冊だけ置いてあるのを発見した。
(あった! 『月刊アイドルライフ』!)
手を伸ばすと、スッとほかの誰かも同時に手を伸ばしてきた。
「あ、すみません!」
「こ、こちらこそっ」
若い女の声だったので、動揺して思わず手を引っ込めてしまう。
「あ!」
「えっ」
魔王は一瞬、呼吸が完全に止まった。
そこにいたのは、推し!!
セイラ本人だった。
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