第111話 ベリとの旅④ー暴君デメ

 草原を駆ける二人。


 グウはベリのほうを振り返る。

 さっきから彼女の呼吸が明らかに激しく、苦しそうなのだ。


「大丈夫か、ベリ様」


 立ち止まると、ベリがドサッとその場に倒れた。


「ベリ様!?」

 慌てて抱き起こすと、脇腹から血がにじんで、白いシュミーズを赤く染めていた。傷口が開いてしまったようだ。

 はあ、はあ、と激しく息をしながら、意識も朦朧もうろうとした様子。


(やっぱりまだ無理させちゃいけなかったんだ……!)

 グウは悔やみつつ、ベリを抱えて走り出した。


 やがて背後からドドドドドドドと轟音がして振り返ると、戦車みたいな巨大な蜘蛛くもの魔物が追って来るのが見えた。装甲のような殻に覆われた体の上に、兵隊を何人か乗せて、ガシャガシャ足を動かしながら驀進ばくしんしてくる。今度は青いよろい――デメの軍だった。


「そこの者! 止まれ!」

 蜘蛛の上から、太い金棒を肩に担いだ大男が叫んだ。

「その女、蛇王ベリと見た! こちらに渡してもらおう」


「違います! ただの村娘です!」

 グウは逃げながら否定した。


 すると、ドン!! と目の前に鉄の塊が降ってきた。

 トゲトゲの突起に覆われた、殴られると痛そうな金棒だ。

 グウはギリギリ急ブレーキで止まった。


「そいつを置いて行け!」


 金棒を投げた大男が、蜘蛛から降りてこちらに向かってきた。

 赤黒い肌に、四本の角が生えた強面の魔族。

 さきほどまでの敵とは威圧感が違う。おそらく将軍クラスだろう。


「聞こえなかったか? 女を置いてさっさと失せろ」

 大男が地面に手をかざすと、土の中から、さっき投げたのと同じような金棒がニョキッと出現した。


「断る」

 グウはベリを地面に下ろし、剣を抜いた。


「そうか。ならば死ね」

 大男は意外な素早さで突進してきて、金棒を打ち下ろした。


 グウは剣で受け止めたが、想像以上の力に、地面に足がめり込む。

(ヤバいっ、剣が折れる……!)

 

 そう思ったときだった。

 ふいに、ブワッ、と風圧を感じた。

「!?」


 次の瞬間――、


 ズザアアアアアアアアアアッと黒くて巨大な何かが、猛スピードで二人のそばを通り過ぎた。

 クジラよりも大きく、少なくとも体長20メートル以上の何か。

 それにかれて、さきほどの戦車のような蜘蛛が木っ端みじんになった。


 グウは何が起きたのかわからず、目を見開いて固まった。

 おそるおそる、それが通りすぎたほうに顔を向ける。


 見たこともない生き物が、そこにいた。


 黒いうろこ。黒いたてがみ

 細長い体と、鋭い爪の生えた手足。

 頭には赤みがかった角が生えている。


 竜……なのか? 

 竜は絶滅したと思っていたが、まだ生き残っていたのか?

 しかし、あんな複雑に枝分かれした異様な角は初めて見る。まるで珊瑚さんごのような……


 もしや、森がぐちゃぐちゃになっていたのは、この竜が通ったせいか?


 黒い竜が動いた。

 ふいに首を横に向けたかと思うと、大きく口を開け、カッと青白い光線を放つ。

 

 一瞬にして……

 広大な草原が、八割以上吹き飛んだ。


 そこにいたシレオンの軍も、デメの軍も跡形もなく消滅し、残ったのは巨大なクレーターのみ。


(何なんだ……いったい何なんだ、この化け物は……)

 グウは愕然がくぜんとして黒い竜を見上げた。


「デメ様!! なぜここに!?」

 四本角の大男が叫んだ。


(デメだと!?)


 まもなく、竜の鱗がボロボロとがれ落ち、体が崩れ始めた。

 巨大な牙や角がドスンドスンと地面に落ちる。


 やがて、その崩れた竜の体の中から、黒っぽい外套マントに身を包んだ一人の少年が姿を現した。人間でいえば十五、六歳くらいの、やや暗そうな黒髪の少年。

 ただ、その頭の上には、さきほどの竜と同じ、珊瑚のような派手な角が生えている。


(こいつが、デメ!?)


 たった数年のうちに魔界南部を手中に収め、史上最強とも噂される暴君デメ。

 魔界で最も会いたくない奴が、いきなり目の前に現れた。しかも、ゆっくりとこちらに近づいて来るではないか。


(嘘だろ……勘弁してくれ……)


 冷たく無機質なダークブルーの瞳でこちらを見据えながら、無表情で近づいて来る少年。

 およそ言葉が通じるとは思えなかった。

 もはや自分と同じ魔族なのかも怪しい、異質な化物のように思えた。


「デメ様! なぜ……城でお待ちくださいと申しましたのに!」

 四本角の大男が焦った顔で叫んだ。


「は? お前らが待たせるから、代わりに敵を殺してやったんだぞ!」

 デメは不機嫌そうに怒鳴った。

 敵を、というか、味方も殺してしまっているのだが。

「それよりカーラード! 鍛冶屋かじやの件はどうした!?」


「か、鍛冶屋?」


「言っただろ! 俺の牙で最強の剣を作るんだって!」

 ビシッ、とデメは地面に落ちた竜の牙を指さした。

「あと、最強のやりとか、最強のおのとかも作って、強い奴らに持たせて、最強の親衛隊を作るんだ。どうだ、最強にかっこいい計画だろ!」


「は、はあ……」


「はやく帰って腕のいい鍛冶屋を探すぞ!」


「しかし、ベリが! 今、意識を失ってそこに! 絶好の機会ですぞ、殺さないのですか!?」

 カーラードと呼ばれた大男は、グウたちのほうを指さした。


「は? ヤダし! 気絶してる奴に勝ったって、かっこよくないし。そんなことしなくてもいつでも勝てるし。俺をナメるな!」


「も、申し訳ございません……」


 デメは一瞬だけグウのほうをチラッと見ると、こちらに背を向けてスタスタと歩き出した。

 その後をカーラードが不本意そうについて行く。


 やがて迎えに来た大きな三つ目の大鷲おおわしに乗って、二人は飛び去っていった。

 グウはしばらく呆然ぼうぜんとその場に立ち尽くした。


(なんだ、アイツ……無茶苦茶だな……あれが暴君デメ? 暴君っていうか、クソガキじゃねえか)


 そういえば、デメは覚醒してからまだ七、八年と聞いたことがある。なんでも、長いこと魔祖まそのまま海底で眠っていたとか。実際、子供なのかもしれない。

 家臣たちも制御できてない感じだったが、あんなのを魔界の覇者にしようとは……なんと恐ろしい。

 考えただけでも、グウは絶望的な気分になった。


 だが同時に、デメのことも少しだけ哀れに思った。


 生まれた時から最強で、誰とも対等な関係を築けない。

 まわりはおびえてびへつらうばかりで、怒ってくれる者もいないだろう。実際、味方を攻撃しても、大男はとがめなかったし。


 成熟する機会が、最初からすべて奪われている。

 強さがすべての魔界といえど、強すぎるのも不幸かもしれない。



 * * *



 一週間後。

 魔界南部の港町、ガイノデ。


 グウは船着き場を歩いていた。

 デュファルジュ医師の言った通り、デメの領地はろくに警備されておらず、兵隊の姿もほとんど見かけなかった。


「あのー、この船で人間界に渡れるって聞いたんだけど」

 グウはある商船の船員に声をかけた。


「ああ、渡れるぜ」

 と、船員は答えた。

「人間界側の海岸はどこも厳重に警備されているが、パルネっていう入り江は、海賊のたまり場になってて、誰でも出入りできる。そこで人間と取引をするんだ」


 人間の中にも悪い奴がいるもので、魔族に品物を売って金儲けをしようとする小悪党がその入り江に集まるのだという。

 魔界は物資が乏しいので、人間界の品物は魔族によく売れる。



 一時間後。

 グウとベリはその商船に乗って海を渡っていた。


「ねえ、やっぱ旅芸人やろうよ。私、踊り子やる!」

 甲板から海を眺めながら、ベリが言った。


「ダメですって。芸人は目立つし、ただでさえ、その……あなたは人目を引くんだから」


「何で? 角も引っ込めたし、耳も丸くしたぞ?」


 とがった耳を丸くする肉体操作は、ちょっと難しいが慣れたらいける。

 だが、いくら見た目を人間っぽくしても、ベリはその華やかな容姿ゆえにだいぶ目立っていた。


「だって半年もバトルができないんだぞ? 踊って気晴らしでもしねーとやってらんねーよ。踊り子がいいっ! 可愛い衣装が着たいっ!」


 ベリが駄々だだをこねるので、グウは「しょうがないなぁ」とため息をついた。


「どうせ俺が止めたって、やるんでしょ。ベリ様は」


「ベリでいいよっ」


「え?」


「だって、踊り子と付き人なのに、様っておかしいだろ? しばらく二人で行動するんだし、堅苦しいのはナシだ」

 ベリはニッと笑った。


 グウは少し驚きながらも、「それもそうだな」と、微笑をこぼした。「本当は俺も上品な言葉遣いは性に合わないから、助かるよ」

 そして、あらためて彼女の名を呼ぶ。

「よろしくな、ベリ」


「おうっ」

 ベリはニカッと無邪気な笑顔を見せた。

 空は晴天。

 潮風が彼女の髪を揺らし、淡いピンク色の髪が日差しを浴びてキラキラと光った。


 この時、逃亡中という、先の見えない不安な状況にありながら、グウの心はどこか晴れやかだった。


 常日頃からクソだと思っている魔族。

 愛情を知らぬ虚しい生き物。

 その中でも、とくに異質な化物である古の魔族。


 だが、もしかしたら、そんな化物とも心を通わせることのできる瞬間が訪れるのではないか。

 ――と、そんな淡い期待を抱いていたのかもしれない。



 この時は。

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