第110話 ベリとの旅③ー放さない
デュファルジュ医師の家に一晩泊めてもらい、日の出前にグウとベリは出発した。 敵に追われている状況なので、あまり長居はできなかった。
「森を南に抜ければ、デメの領地はすぐそこじゃ。領地といっても、とくに国境が警備されているわけでもない。ぶっちゃけ通り放題じゃよ」
デュファルジュ医師が出発前にそう教えてくれた。
薄っすらと明るくなり始めた空の下。
普通の馬が走れないような獣道でも、この一角の魔物は軽々と走ってみせた。
「快適快適~♪」
手綱を取るグウの腕の間で、ベリがキャッキャとはしゃいだ。
出血は止まったとはいえ、まだ重傷と言っていい状態なのに、なぜこんなに元気があるのか不思議だ。
「快適だけど、こんなに堂々と馬で走ってたら、すぐに追手に見つかりそうだな……」
「だいじょうーぶ♪ 見つかったら返り討ちにしてやりゃいいんだよっ」
「戦うのは俺ですけどね……」
ベリは穴の空いた血まみれのドレスを脱ぎ、なぜかデュファルジュ医師が所持していた、女性用の白い長袖のシュミーズを着ていた。コルセットもしていないので、馬上ですごく胸が揺れている。ベリの背が低いので、それがめちゃくちゃ視界に入る。
(今さらだけど、何だこの状況……)
薄着の女の子を後ろからハグしてるような態勢。
加えて、かなりの密着具合。
(一見、親密そうに見えるかもしれませんが、じつは俺……ベリ様とそこまで親しくないんですよね……)
そう。
蛇王ベリと出会って200年以上になるが、二人きりでこんなに長く過ごすのは、初めてのことだった。自分はずっと家臣の一人でしかなかったし(しかも、わりと新参者)、本来なら彼女の肌に触れるなんて許される立場じゃないのだ。
にもかかわらず、昨日からすでに何度か抱きかかえたりしちゃってる。
でも、ベリはまったく気にしている様子はない。
心を許している、というよりは、1ミリも意識してない、という感じ。
「なあ、そういえば昨日さあ、シレオンより私に魔王になって欲しいって言ってたけど、何で~?」
ベリが首だけこっちを振り返って聞いた。
「あー……」
と、グウは少し考えてからこう言った。
「この前、ていうか50年くらい前だけど、シレオンは王都を東のドクロアに移しましたよね。あんな人間界に近い、東の端っこに
「ふうん。そういえば、あの場所でお前を拾った時も言ってたな。人間界に手を出さないなら、ついて行ってもいいって」
「そう。貴方は人間界には興味なさそうだった」
「うん! 私は強い魔族と戦うことしか興味ない♪」
ベリはそう言って無邪気に笑った。
* * *
途中、シレオンの軍隊から隠れたり、魔物を狩って食べたりしながら、ほぼ一日中移動を続け、その日は野宿した。
グウは見張りのために起きていたが、ベリは無防備すぎるくらいグッスリ眠っていた。
そして、翌日の昼頃。
和やかな乗馬タイムは唐突に終わりを迎えた。
道がなくなっていたのだ。
正確に言うと、森がぐちゃぐちゃになっていた。
あたりの木が根こそぎ倒れて折り重なり、地面は土や岩が掘り返されてデコボコの状態。
まるで、巨大な怪物が通り過ぎた跡みたいだった。
「なんだこれ……」
グウは
竜巻でも通り過ぎたか?
何かしらの災害があったことは間違いない。
残念ながら、これ以上は馬で進めそうになかった。いくら
「仕方ない。ここからは歩いて進むか」
やむをえず、グウは馬から降りた。
黒い馬から手綱と
幸い、この森にはあまり凶暴な魔物はいないようだし、ここで放してやることにする。
こいつは強い魔物だ。きっとどこでも生きていけるだろう。
「いっぱい走ってくれてありがとな、クロちゃん。元気で」
グウは馬の首筋を
すると、ベリもすっと手を伸ばして、
「世話になったな、クロちゃん」
と、馬の鼻をナデナデした。
グウは驚いてベリの顔を見つめた。
「なんだ? 嬉しそうな顔して」
「え? あ、いや……」
(あれ? 何で嬉しいんだろ、俺……)
グウは自分の感情をうまく説明できなかった。
目の前に横たわる大木を前に、グウは「おぶっていきます」と申し出たが、ベリは「自分で歩ける」と断った。
ぴょん、ぴょんと身軽に大木を乗り越えて進むベリ。
「この服、長くて動きにくいな」
と、彼女は途中でシュミーズの裾を引きちぎった。
白い
* * *
やっとのことで森を抜けたときには、すでに空は夕焼け色に染まっていた。
視界が開けると、そこは背の高い雑草がボーボーに生い茂った、広い草原だった。
しかし、何やら様子がおかしい。
遠くから聞こえる雄々しい叫び声。それも大勢の声。そして、断続的にドオンと響く、大砲のような音。
「なんだ? シレオンの軍か?」
「隠れて様子を見てみよう」
二人は
夕日に照らされた草原には、予想通りシレオンの軍と思われる白い
「あれは、シレオンの軍と……デメの軍か!」
どうやら森の南側では、シレオンの軍とデメの軍が戦闘を始めていたらしい。
数では圧倒的にシレオンの軍が有利に見えるが、戦況は混乱しているらしく、敵味方入り乱れての激しい戦いが繰り広げられていた。
(どうする? どさくさに紛れて通り抜けるか、戦闘が収まるのを待つか……)
グウが迷っていたところ、
「おい! こっちにも敵がいるぞ!」
と、背後から声が響いた。
振り返ると、白い鎧の兵隊が数人、こちらを目指して走ってくる。
「まずい! 見つかった!」
グウはベリを背中の後ろに隠し、剣を抜き放った。
方手持ちの細身の剣で、向かって来る敵を、次々と無駄のない動作で斬り捨てる。
「おい、あのピンクの髪! ベリだ!」
兵士の一人が気づいて叫んだ。
「今は瀕死の重傷を負ってるはずだ! このチャンスを逃すな! 必ず討ち取れ!!」
(ヤバい。敵が集まってくる……!)
「逃げるぞ、ベリ様!」
グウは彼女の手を取って走り出した。
背の高い草をガサガサ揺らしながら、草原を駆け抜けるグウたち。
それを必死の形相で追って来る、シレオン軍の兵隊。
斬っては逃げ、斬っては逃げを繰り返しているうちに、だんだん包囲され気味になり、いつの間にか周りは敵だらけ。歩兵も、騎兵も、剣士も、魔法使いも、人型のやつも、そうじゃない奴も、ついには、まとめて襲ってきた。
(ちょっと待って! いっぱい来すぎ!!)
グシャアアッ!!
噴水のように血が吹き出した。
背後からグウに向かって大剣を振り上げた鎧の剣士――その腹をベリの腕が貫いていた。
彼女はニイッと妖艶な笑みを浮かべながら、鋭い爪の生えた細い指をバキバキ鳴らすと、次は馬上にいる敵に飛びかかった。
「キャハハハハッ!! 討てるもんなら討ってみろよ!!」
心底楽しそうに笑いながら、グシャアッ、ドシャアッ、と、腕力だけで敵の体をバラバラに引き裂いていくベリ。
(つっよ……)
やや引き気味のグウ。
本当は戦わせてはならないのだが、やむをえない。
しばし彼女に背中を預けて戦う。
キラッ、と何かが光った気がした。
すばやく周りを見ると、少し離れた場所で、敵の魔法使いがベリを狙って
「危ない!」
ベリに覆いかぶさり、彼女の頭を抱いて地面に伏せる。
光線はグウの肩をかすめて、レーザーのように近くの草を焼き切った。
グウはすかさず立ち上がると、一瞬で距離を詰めて、魔法使いを斬り倒した。
何人かが逃亡し、敵の包囲が崩れると、再びベリの手を取って走り出す。
ベリの背丈ほどもある草をかき分けながら、彼女とはぐれてしまわないように、強く手を握る。
「こっちだ! 手を放すな!」
思わず命令口調になるが、構っている余裕はない。
グウの緑色の血が腕を伝って、手の平を汚していた。
二人ともすでに泥と返り血でドロドロだ。
ベリはギュッとグウの手を握り返した。
「うんっ。放さない……!」
彼女はなぜか、少女のようなキラキラした瞳でそう答えた。
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