第109話 ベリとの旅②ー逃避行

「気がつきました?」


 うっすらと目を開けたベリに向かって、グウは声をかけた。

 彼女は目だけを動かして、自分が横たわっている洞窟どうくつの中を見まわした。


「ここは?」


「ヘルデンシア高原の南側にある森の中です。とりあえず逃げ込んだはいいけど、けっこうマズい状況ですよ。シレオンの軍が血眼になって森中を探してるし、エグドールに帰還しようにも、すでに森の北側は敵に包囲されてます。この洞窟が見つかるのも時間の問題でしょうね」


「お前、なんで……?」


 ベリは血の気の失せた白い顔でたずねた。

 グウはその質問を、後方支援にあたっていた自分が、なぜ彼女を救出できたのか――という意味に受け取った。


「なんとなくラザニアさんの様子が怪しかったんで、彼の手下を問い詰めたら教えてくれたんですよ。逃げるときに若干この辺の風景を変えちゃったけど、まあ荒地だったし、いいよね」


「そうじゃなくて……なんで私を食べなかったんだ? 食べて……これを奪えばよかったのに」

 ベリは首にかけていたペンダントをつまんだ。

 深い緑色の瞳を思わせる宝石がキラリと光る。


「……まあ、その石は他人に預かっててもらったほうが都合がいいところもあるんで。それに、シレオンより貴方に魔王になってもらいたいんですよね、俺は」


「へえ、何で? お前は――いたたっ」

 言いかけて、途中で腹をおさえるベリ。


 布団代わりにかけられたグウのマントに、すでに赤い血の染みが広がっていた。

 いちおう腹に布を巻いてはいたが、穿うがたれた大きな穴の前では、そんな応急処置は無意味に等しかった。その上、腐食光線の効果で、今もどんどん傷口が広がっている最中だ。


「まずいな。その傷、はやく何とかしなきゃ……どうにかして回復魔法が使える奴に治療してもらわないと」


「アハハ……そんな魔法使える奴、魔界にいないだろ」

 ベリは他人事のように笑った。


 彼女の言うとおり、魔族で回復魔法を使える者は滅多にいない。


 というのも、人間によって確立された回復魔法は、高度な知識と繊細な技術を必要とするため、魔族には不向きだった。

 そもそも魔力が強い魔族は総じて回復力が高いため、あまり回復魔法を必要とせず、また、回復力の弱い者のためにわざわざ難しい回復魔法を学ぼうと思う魔族もいなかった。


「もういいよ。死んだら食っていいぞ。今回の褒美ほうびだ」

 彼女は安らかな顔で微笑んだ。


「いや、あきらめ早すぎでしょ。まあ、正直考えなくはなかったけど、急に魔王クラスの魔力なんか吸収したら俺も胃もたれ――って、ベリ様? おいっ、大丈夫か!? しっかりしろ!」


 急に目を閉じて意識を失ったベリに、グウは焦って呼びかけた。



 * * *



 数時間後。

 再びベリが目を開けると、目の前に脳味噌があった。


 よく見ると、ブヨブヨした透明なドーム状の頭に、薄紫のヨボヨボの顔がついた不気味な老人のような魔族がそこにいた。それが自分のドレスを脱がせようと、しわだらけの手でひもをほどいていたので、ベリは冷静に殴り飛ばした。


「何だ、このゼリーの化物は」


 ゼリーの化物は壁にめり込み、透明なドーム状の頭が割れて、中を満たしていた謎の液体がぴゅーっと噴き出した。


「ちょ、何してんですか!!」グウが血相を変えて飛んで来た。「この人は医者ですよ!!」


「医者?」


「そう! 森の中で負傷兵を治療してるところを偶然見つけたんです。回復魔法が使えるっていうから来てもらったのに……うーん、生きてるかな、これ?」

 グウは壁にめり込んだ医者を心配そうに見つめた。


「やれやれ、瀕死ひんしの状態でこのパンチ力とは。さすが蛇王ベリ殿じゃの」

 医者は壁から頭を引き抜くと、つえを振って自分に回復魔法をかけた。

 ぽわわーん、と白っぽい光が彼の頭を包み、謎の水漏れが止まった。


「へえ、ほんとに医者なんだ」

 ベリは感心したようにつぶやいた。

「珍しいな。なんで魔族なのに医者なんかしてるんだ?」


「ホホホ。同業者がいないぶん、もうかるんでな。戦場を渡り歩いて稼がせてもらっておる。とくにこの辺りは昔から戦が多いんで、拠点にしておるんじゃ。しかし、まさかベリ殿にお目にかかれるとは思わなかったのお」


「助かるよ、先生。もちろん礼ははずむ。今は手持ちが少ないが、後日必ず……えっと、アンタ、名前は?」


 グウの質問に、医者は白濁した目を細めてこう答えた。


「デュファルジュじゃ」

 彼はくるりと背を向けると、杖をつきながら洞窟の出口に向かった。

「ここだと治療がしづらい。ワシの家に運ぶぞ」


「わかった。行きましょう、ベリ様」

「うん」


 グウはベリを抱きかかえて立ち上がった。

 動けない蛇王ベリは小さく、軽く、ただの華奢きゃしゃな少女のようだった。


 洞窟の入り口につないでいた黒い馬(に似た一本角の魔物)に彼女を乗せ、「さあ行こう、クロちゃん」と声をかける。


「お前、馬に名前つけるんだ」

 ベリが不思議そうな顔で言った。


「俺はつける派。名前があったほうが愛着湧くし」


「へえ。愛着って必要?」


 グウは驚いたようにベリの顔を見つめたあと、やや冷笑的な笑みを浮かべた。


「魔族らしいセリフだな」



 * * *



 デュファルジュ医師の家は、屋根から大きな木が突き出していて、その枝葉に半分埋もれていた。どことなく隠れ家のような、木造の小屋だ。


 ベリの治療を終え、ベッドサイドに腰を下ろした医師は、何やら難しいことを告げてきた。


「傷口の壊死はどうにか食い止めたが、腐食光線に込められたシレオンの魔力があまりに強大で、ワシの魔力だけでは完全な治療がむずかしい。そこで、ベリ殿の魔力を自動的に回復魔法に充てる『強制自己治癒型自動ヒーリング療法』を施させてもらった」


「んん?」「強制自己中……?」

 ベリとグウは二人して首をかしげた。


「簡単に言えば、ワシの回復魔法を、ベリ殿の魔力を使って継続的にかけ続けるという治療じゃ。常に全魔力を治療に充てることになるんで、半年間は戦闘は無理だと思ってくだされ」


「ええーっ!!」

 ベリがガバッと起き上がった。

「そんなのヤダー!! 半年も戦えないとか無理ぃー!」


「全身が壊死して死ぬよりマシじゃろ。魔法を使うのはもちろんNGだし、ほかの部位を怪我しても再生する余裕がないから、マジで絶対に戦わないように」


「そんなあっ!!」

 ベリは泣きそうな顔で叫んだ。

「やだやだー! これからシレオンやデメと戦うのー! 半年も我慢できないーっ」

 戦闘狂なのに戦闘を禁止された彼女は、子供のように駄々をこねた。


「おい、それどころじゃないぞ、ベリ様。まずこの森から生きて出られるかどうか……」

 グウはより現実的な問題に頭を悩ませる。

「北部の味方と合流しようにも、森の北側でシレオンが待ち構えてる。ベリ様が戦えない状況じゃ、突破するのは難しい。万が一、突破できたとして、半年も戦えないんじゃ魔界で生き残れねえぞ……」


 蛇王ベリを倒す絶好の機会。

 この機会をシレオンが逃すはずがない。ここぞとばかりに攻めて来るだろう。

 いや、シレオンだけじゃない。魔王クラスの魔力を手に入れようと、あらゆる敵が彼女を食らいにやってくる。味方すら信用できない。


「確かに生存ルートはなさそうじゃの。では」


 何か含みがありそうなデュファルジュ医師の言葉に、グウはあごに手を当てて考え込んだ。


「なるほど……人間界か」


「何? どーゆーこと?」


「森の北側を突破するのは難しい。だったら、南側からデメの領地を抜けて逃げるしかない。そして、南部の港からガザリア海を渡るんだ。さすがに誰も考えないだろう、蛇王ベリが人間界に潜伏するとは」

 グウはそう言って、ニッと笑った。


「え、人間界っ?」

 予想外の展開に、ベリは目を丸くした。

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