第105話 ベリの抱擁

 日常と隔絶された地下牢にいると、時間の流れがわからなくなる。

 今は朝なのか、それとも、まだ夜なのか。


「なに!? あのお方がここに!?」


 まわりの憲兵たちが何やら騒いでいる。


 まもなくガチャンと扉の錠が開く音がして、誰かが入ってきた。


「わっ、すごーい! サボテンみたい! アハハハハッ」


 その笑い声で、誰が来たのかすぐに分かった。


(この状態を見て、そんな風に笑えるとは。さすがだな、ベリ様……)


 この状態。

 パイプ椅子に縛り付けられ、体中に釘を打ち込まれた、この無残な姿。

 肩や腕、脇腹や太腿ふともも、後ろ手に拘束された両手の手の平や、鎖でつながれた両足の甲にも、長い釘が深々と刺さっている。

 顔はとくに集中的にやられていて、閉じたまぶたの上から何本も釘を打たれ、流れ出た血の跡が涙のように見えた。白かった制服のシャツは、すっかり緑色の血で染まっている。


「これ、このまま私の部屋に飾ろうかな。持っていっていい?」


「え?」「本気ですか、閣下」

 憲兵たちから動揺の声が漏れる。


「お前もこんなむさ苦しい所より、私の部屋のほうがいいでしょ? ねえ、グウちゃん」


 グウは首を横に振った。

 嫌です、と答えたかったが、ほほを貫通した釘が舌に刺さっていて喋れない。


「あれー?」

 こちらに顔を近づける彼女。と、思ったら、いきなり頬に刺さっている釘をまとめて掴み、「えいっ」と一気に引っこ抜いた。


「ゔっ」


 口の中に血の味が広がる。

 抜くときも痛いんだから、もっと丁寧にやって欲しいところだが、そんなことはおかまいなしに、彼女はほかの釘もポイポイと抜き始めた。


「いっ、いだっ、ちょっと待っ……雑!!」


 グウの叫びを、ふふふっと笑って流しつつ、彼女はどんどん釘を抜いていく。

 痛みで脂汗がダラダラ流れた。


「これでよしっ」

 満足げに言うと、彼女はグウのひざの上にちょこんと座った。


 拘束を解いてくれる気配はない。

 まだ手足に釘が残っていたし、何をもって“よし”なのか不明だ。


「……クレーム入れていいですか」


 閉じた目から血を流しながら、グウは言った。

 傷はそのうちふさがるだろうが、視力の回復には数日かかるかもしれない。


「あなたの部下、頭おかしいんですけど。自白しろって言いながら、喋れない状態にしやがるんですけど。マジ終わってる」


 何だとコラ、と怒声をあげる憲兵たちとは対照的に、ベリ将軍はアハハハハと笑った。


「みんなお馬鹿さんだからなぁ。そうだ、ねえ大佐~? グウちゃんの取り調べ、私が引き継いでいい?」


「えっ、それは……」


「いいよね?」


「はい……」

 しぶしぶ同意する声は、憲兵隊の隊長。

 あの威勢の良かった隊長が、ベリ将軍にはまったく逆らえないようだ。


「どういうつもり? 何考えてるんですか?」

 グウはいぶかしげに聞いた。


「べつに何も? そんなに警戒しなくたっていいじゃん。悪いようにはしないよ?」

 耳元でいたずらっぽい声がささやく。


「嘘だ。この前、殺そうとしたくせに。それに、あなたとはたもとを分かったんだ……今さら助けてもらえるなんて期待してない」


 そう、あの毒を盛られた日――、

 この人のもとには戻れないと、面と向かってそう告げた。

 共に魔王デメと戦うより、デメの統治下での安定を望んだ。


『また一緒に天下を目指そうぜ。隣にいろよ』


 あの誘いを断って、事実上の決別に等しいことを口にしたんだ。今さら元上司には頼れない。


「どうして? グウちゃんはずっと私のものでしょ?」


 ふいに首に腕が回され、体を引き寄せられた。

 柔らかい膨らみが顔に密着する。


「よ、汚れるよ?」


 鼻先が谷間にすっぽりはまって、変な鼻声になった。


「いいよ。どうせこの後お風呂入るし。そうだ。一緒に洗ってあげようか? 水責めっていう名目で」


 まわりで憲兵たちがざわざわしている。

 見えないのに視線が痛い。


「遠慮します(鼻声)」

「遠慮することないよ。お前も、そろそろベッドのある部屋で寝たいんじゃない?」


(ほら、またそういうこと言う……!)


 背後で若い憲兵が奇声を発した。

 もし釈放されたとしても、いつか暗殺されそうだ。


「今の気持ちに正直になりなよ」


 しっとりとした肌が頬に押し付けられる。

 温かな谷間に跳ね返る、自分の鼻息がくすぐったい。


(正直言って、この柔らかさは心に染みますよ)


 このたぷたぷとした儚げな弾力。

 どんなフカフカのベッドも、この素晴らしく優しいたぷたぷには敵わないだろう。

 できることならクワガタくらい小さくなって、この胸の上で眠りたい。


(何考えてるんだろ、俺。疲れてるのかな……)


 事実、疲れていた。

 本当に疲れていた。


 二百年ぶりの牢獄と、過酷な拷問。

 不本意とはいえ、魔界四天王にまで上り詰めたのに、また囚人に逆戻り。

 さすがに弱る。


『弱者に自由などない。魔界で自由に生きられるのは、最強であるこの俺だけ』


 魔王が八角のダブに言った言葉は、真実だった。

 どんなに強くなったところで、最強の座にたどり着かない限りは、本当の自由は手に入らない。


「素直に言ってみなよ。ここに居たい? それとも、出たい?」


 彼女の柔らかな巻き毛が首筋にからみつく。


 この人の甘い言葉には、意味がないって知ってる。

 愛情なんて持ち合わせてないって、よーく知ってる。

 関わるとロクなことがないって分ってる。


 でも今は、抗うだけの気力がない。


「出たい」


 気づけばそう口に出していた。

 抗えなかった。


「ここから出してくれ、ベリ」



 * * *



 その日、仕事が立て込んでいたギルティは、夕方になってようやく憲兵本部を訪れることができた。


 グウへの面会を申し出ると、見張りの若い憲兵はイライラしながら、こう答えた。


「奴ならベリ将軍が連れて行っちまったよ!」


「えっ? 連れて行ったって、どういうことですか!?」


「こっちが聞きてえよ。マジでどういう関係なんだよ、ちくちょう」


「隊長は今どこに!?」


「知らねえよ。今頃、風呂場で水責めにでも遭ってるんじゃね?」


「えっ、え!? えええ!?」


 ギルティはいろいろな意味で激しく動揺した。

 頭の中に、様々なハードな想像が押し寄せる。


(ベリ将軍、どういうつもりなの? グウ隊長を助けてくれるの? それとも、もっと酷い目に遭わせるつもり?)


 彼女は味方なのか、それとも敵なのか。

 わからない。


「ベリ将軍にお会いしなければ!」

 ギルティはそう決意し、ぐっと拳を握った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る