第99話 閉幕

 部屋を照らす紫色の光。

 絵の中から現れたデボラが、魔力を集中させたてのひらをグウに向けている。


 まずい!

 回避のためにグウが動き出そうとした、次の瞬間――


 デボラはなぜか、掌をシレオン伯爵に向けた。


 ジュッ、

 と音がして、細い光線が空中を浮遊する眼球を貫いた。


「デボ……ラ? なぜ……」


 眼球は床に落下し、さらにボッと発火して燃え上がった。


「えっ? はっ?」

 グウは驚いてデボラのほうを見た。


「ふふふふ」

 デボラは不敵な笑みを浮かべながら、スーッと絵の中に消えていった。


「ぐぎゃあああああ!!」


 紫色の炎に包まれた眼球が、断末魔の叫びを上げながら床を転げまわる。


「伯爵!!」


 グウは急いで紅茶のポットを手に取り、残りの紅茶を全部ぶっかけた。

 しかし、魔法の炎の勢いは衰えず、伯爵の小さな体をまたたく間に焼き尽くしていく。


「きゃああああ!! シレオン様!!」


 叫び声を聞きつけた秘書が二人、部屋に飛び込んできた。


「は、はやく水を……! 誰か!」

 秘書が廊下に向かって叫んだが、すでに手遅れだった。


 伯爵の眼球は完全に燃え尽き、黒い炭になって粉々に崩れている。

 火はすでに消えかけ、ちろちろと残り火が燃えるばかり。

 あっという間の出来事だった。


「嘘だろ? 伯爵……」


 シレオン伯爵が死んだ?

 不滅の王が?


 グウが壁の絵のほうを見ると、デボラの姿はすでになく、彼女が出て来た絵も紫色の炎に包まれて燃えていた。


(なぜ秘書のデボラが伯爵を? どゆこと?)

 いったい何が起きたのか、グウは呆然ぼうぜんとするしかなかった。


「どういうことですか!? グウ隊長!!」

「なぜシレオン様を!?」

 二人の秘書がグウに向かって叫んだ。


「え? いや、違う。俺じゃない。そっちの秘書のデボラが……」

 グウはそう言って壁のほうを指さした。


 しかし、デボラが出て来た絵はすでに無かった。その絵だけが綺麗に燃え尽きて、壁には焼け跡さえ残っていない。


「デボラは今、人間界です! ここにいるはずがないわ!」

 茶髪でショートヘアの秘書が涙目で叫ぶ。


「いたんですよ! そこにあった絵から急に出てきたんですって!」


「嘘言わないでください! この部屋には普通の絵しかありません! 異空間への入り口はないわ!」

 茶髪の秘書は険しい表情で言うと、

「憲兵を呼んで!」

 と、もう一人の金髪ボブの秘書に伝えた。


 金髪の秘書が走っていく。


 グウは何が何だかわからなかった。

 ただ、ものすごく面倒くさいことになりそうだ、という確信に近い予感だけがあった。



 * * *



 魔界北部で最大の町、エグドール。

 エグドール歌劇場・通称『魔界オペラ座』にて。


 二階のVIP専用のボックス席で、ゴージャスな赤いドレスを着込んだベリ将軍が一人、退屈そうに舞台を眺めていた。


「シレオン遅いなー。話があるって人のこと呼び出したくせに、ぜんぜん来ないじゃない。私にこの退屈な舞台を一人で見ろっていうの?」


 彼女はぷくーっとほほをふくらませた。


 今宵の演目は、またしても人気ミュージカル『いばら誓紋せいもん』。

 舞台の上では、上半身に誓いの刺青いれずみを彫った青年――騎士グランが、女王デプロラに情熱的な愛の歌を捧げていた。


 ベリはふいに席を立つと、扉を開けて廊下に出た。そのまま一直線に、舞台裏へつながる通路に向かう。


「ちょっと! ここから先は、関係者以外――」

「あ?」

 彼女がガンを飛ばすと、

 警備員は「何でもありません」と言って道を開けた。


 スタッフが慌ただしく動き回る控室を通り、きらびやかな衣装室を抜け、彼女は舞台の裏側にやってきた。

 大きな劇場だけあって舞台袖も広い。たくさんの役者がいて、ダンサーが振付の確認をしたり、ストレッチをしたりしていた。


 ふと壁際に目をやれば、大道具に埋もれて、魔族の青年が一人、スチール製の台車に拘束されて無造作に放置されていた。

 その上半身には、いばら誓紋せいもん――有刺鉄線に似た、荊のつる刺青いれずみが刻まれている。


「お前、騎士グラン役の身代わり?」

 ベリは荷台の上にしゃがみ込んで、青年の顔をのぞき込んだ。


 バンザイの状態で両手を台車の持ち手につながれている青年は、顔を上げて虚ろな目を彼女に向けた。

「そうだ。次の幕で体を真っ二つに裂かれて殺される。たった一、二分のシーンのためだけに、俺は死ぬんだ」


「ふうん。その役、やりたい?」


「やりたいワケないだろ! 今まで何人も身代わりが殺されるのを見た。体を引き裂かれるときの、彼らの叫び声と苦痛に歪んだ顔が目に焼き付いている……恐ろしい……やらなくていいなら、何でもするよ!」

 青年は小刻みに震え、彼を拘束する鎖がガチャガチャと音を立てた。


「じゃあ、そんな役、降りちゃいなよ。私が主役にしてあげようか?」


「え?」


 ベリはいきなり自分のてのひらを、自らの爪でビッと傷つけた。それから、ポタポタと血がしたたる手を青年の顔の前に差し出す。

「私の魔力を分けてあげる。これを飲めば、主役を食っちゃうくらい目立てるよ」


 青年は戸惑った顔で彼女を見返した。


「ほら、おめ」

 ベリは妖艶な笑みを浮かべながら、血まみれの指で青年の顔に触れた。


 青年はおびえたような目をしながらも、吸い込まれるように彼女の手に口を近づけた。そして一口それを飲み込むと、今度は何かに駆り立てられるように、彼女の手を舐め回した。


「ゔっ?」


 まもなく、青年の体に異変が起きた。

 皮膚がうろこのようにひび割れ、体はバキボキと音を立てながら変形し、鎖を引きちぎり、やがて全長10メートルはあろうかという大蛇に変身してしまった。


 大蛇はそのまま舞台に乱入し、騎士グラン役の主演俳優を頭から丸呑みした。

 演者と観客は逃げ惑い、劇場は悲鳴で満たされた。


 ベリはその光景を舞台の上から見下ろして、

「うんっ。こっちのほうが絶対面白いよね!」

 と満足そうに微笑んだ。


「さてっ。魔王城に帰ろーっと♪」

 ストンと舞台から降りるベリ。


 その背後で大蛇は激しく暴れ続け、引き裂かれた真紅の緞帳どんちょうがバサバサと揺れながら落下した。





《Case8 END》

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