第98話 眼球

 トントン、とノックの音がして、秘書が紅茶を運んできた。今度は金髪ボブの秘書だった。


「今日は、あの髪の長い秘書さんはいないんですか?」


 三人の眼鏡美女のうち、黒髪ロングの美女だけが見当たらないので、グウはそれとなく聞いてみた。


「デボラのこと? 彼女は人間界で仕事中だよ。なに? タイプなの?」


「ええ。まあ」


「へえ」

 高そうなスーツに身を包んだシレオン伯爵は、優雅に足を組み替えた。

「で、聞きたいことって?」


「ずばりお聞きしますが」

 グウはカップを置いて、伯爵の顔をまっすぐに見つめた。

「あなたは魔界再生委員会のメンバーですか?」


 ……。

 少し沈黙があった。

 絵画で埋め尽くされた部屋に、振り子時計の音だけが響く。


「魔界再生委員会? 何だい、それは?」

 伯爵は首をかしげた。


「おや、ご存じないですか? 最近うちの部下がえらくお世話になった方々でして。伯爵が関係者なら、ぜひお礼をさせていただきたいと思ったんですが」


 グウがじっと目をのぞき込んでも、伯爵が寄生している人間の顔は、ほとんど表情を変えなかった。


「残念ながら知らないなあ。何で僕がそうだと思うんだい?」


「理由は、あなたの空間魔法です」

 グウが答えた。

「部下がそいつらに拉致されたとき、落とし穴に落とされたらしいんですよね。地面そっくりの薄い布がいてあったとかで。魔族を捕獲できるほどの深い穴を実際に掘ったとは考えにくいし、状況からみて空間魔法の可能性が高いと思うんですが、そこで思い出したんですよ、以前あなたが使っていた魔法のことを……」


 グウはちらりと、伯爵の胸ポケットに収まっているハンカチに目をやった。


 以前、人間界で魔王デメの攻撃を一瞬にして吸収した空間魔法。その薄いペラペラの異空間は、そのあとハンカチになって伯爵のポケットに収まった。


「薄い布一枚で、いとも簡単に異空間を出現させた、あの魔法。似てるなあと思いまして。そもそも空間魔法が使える魔族自体、そんなにいませんしね」


「ハハッ。たしかに僕は空間魔法が得意だけど、だからって、それだけで決めつけてもらっちゃ困るなあ」

 伯爵は肩をすくめた。


「もちろん、それだけじゃないですよ」

 グウは答えた。

「部下が監禁されていた部屋には、大きな絵が飾ってあったそうなんです。会議室を描いた絵が。俺、そういう絵、どっかで見たなあと思いましてね。そう、たしか四天王会議のときだ。完全処分場から戻るのに、最初にいた会議室そっくりの絵を通って戻ってきた。この館にある会議室に」


 伯爵は表情を変えなかった。

 ラウル・ミラー氏の中性的な顔は、涼しい笑みを浮かべたままだ。


「あのとき言ってましたよね? 異空間の出口を人間界側に作れば、異空間を通って人間界との行き来が可能になると。だから思ったんです。もしかすると、部下のビーズが連れて行かれた場所も、ダリア市内のどこかではなく、異空間だったんじゃないかって。会議室の絵は、その入り口。この館とダリア市が異空間でつながってたんじゃないかってね」


「僕がダリア市に行って、お前の部下をいじめたと言いたいのかい?」


「実際にあなたが行ったのか、誰かに指示してやらせたのかは分かりませんが。でも、少なくともカーラード議長は、ここを通って異空間に入ったはずだ」


「カーラードだって?」


「ええ。ビーズを脅迫したのはカーラード議長です。彼がわざわざダリア市まで足を運ぶとは考えにくい――と、ジムノ課長は言ってたが、王都ドクロアから異空間を介してビーズに会ったのなら、ダリア市まで行く必要はない。あなたはその手助けをした。そうじゃないんですか?」


「なるほどねえ」

 伯爵はカップを手に取って、優雅に紅茶を飲んだ。

「まあ、筋は通ってるような気はするけど。憶測ばかりで証拠がないね」


「ええ。人間界で裁判をやったら、証拠不十分で無罪でしょうね。でも魔界で誰かを私刑リンチするには十分じゃないかな」


「フフッ。怖いこと言うねえ」

 伯爵はカップを皿に置くと、はじめて邪悪な魔族の顔でニタアッと笑った。一瞬、その瞳がギラッと赤く光る。

「まあ、お前がここに来た時点で、バレてるとは思ったけど」


 認めたな、とグウは思った。


「ビーズの妹をどうした? もう殺したのか? もし生きてるなら返してくれ。もう用済みだろ?」


 伯爵は立ち上がると、胸ポケットから白いハンカチを抜き取った。

 ハンカチは一瞬でテーブルクロスほどに広がり、その布の向こうから、ゴロンと魔族の娘が転がり出てきた。

 ビーズと同じ紫色の髪をした、派手な雰囲気の娘。とくに外傷もなく、眠っているだけのようだ。


 グウは彼女を抱き上げてソファに寝かせた。


「生かしておいてどうするつもりだったんだ。人質にでもする気だったのか?」


「人質? ああ、その発想はなかったな。君とビーズ君が反逆罪の件を隠蔽いんぺいしようとした場合の証拠品として取っておいただけだよ。たしかに、もう用済みだから、そろそろ食べちゃおうかと思ってたところさ、アハハハハ」


「……こんなシナリオを書いたのは誰ですか? あんたか、カーラード議長か。黒幕はどっちなんだ。正直に言わないとぶっ殺しますよ」


「アハッ、ずいぶん怒ってるじゃないか。珍しいね。お前がそんなに感情的になるなんて」


「ええ、怒ってますよ。人の部下を何だと思ってるんです? 俺に文句があるなら直接来いよ」

 グウは怒気のこもった目で伯爵をにらみつけた。


「僕じゃないよ。僕はただ頼まれてちょっと手伝っただけさ」


「議長は何を企んでるんだ? 俺を潰したいだけか、それとも何か別の目的があるのか?」


「いやあ……そこまではちょっと……ごにょごにょ」

 伯爵はとぼけた顔で言葉を濁した。


「魔界再生委員会は何人いるんだ? ほかのメンバーを教えてくれ」


「それは僕の口からは……むにゃむにゃ」


 グウはガッと伯爵のスーツのえりをつかむと、自分のほうに引き寄せた。

「おぉい、素直に言ったほうが身のためだぞ、伯爵」


「おおっと、何する気だよ。こっちはか弱い人間の体だよ? 人間に優しいお前が、何の罪もないラウル・ミラーを痛めつけられるのかな?」

 シレオン伯爵は意地の悪い笑みを浮かべた。


「そう。か弱い人間の体でしたね……一部を除いて」


「へ?」


「ずっと疑問だったんですよ。魔力を蓄積できないはずの人間の体で、なぜ空間魔法なんて大魔法がポンポン使えるのか。人間の魔法使いと同じように魔力を呼び出して使ってるにしても、呪文も魔法陣も無しに一瞬でというのは、まず無理なはず。何か魔力を蓄えることのできる道具を身につけているか、もしくは体に細工をしているか。たとえば、そう……」

 グウは伯爵の左目を指さした。

「その義眼ぎがんとかに」


「何?」

 伯爵の顔から軽薄な笑みが消えた。


「インターネットって便利ですよね。調べたら何でも出てくる。昼間、会計課のパソコンで、ラウル・ミラー氏について調べてもらいました。彼は幼い頃の怪我が原因で、左目は義眼だそうですね。あなた、その義眼に化けてラウルさんに寄生してるんじゃありませんか?」


 伯爵の目がギラッと赤く光った。

 グウはこの目を知っている。その昔、不滅王と呼ばれていた頃と同じ、禍々まがまがしいほどに鮮やかな赤い瞳だ。


「図星か? 地道に魔力を蓄えているようだが、見破られて動揺するあたり、まだ俺を倒せるほどの力は取り戻せてないらしいな」

 グウは伯爵の目にぐっと人差し指を近づけた。

 鋭い爪が、眼球のギリギリのところで止まる。

「知ってることを全部吐け。でないと、その目玉をほじくり出して食いますよ」


「怖いなあ。そんなことされたら泣いちゃうかも」

 伯爵はニイッと笑った。


 グウは左目に勢いよく指を突き刺す――寸前のところで止めた。

 その直前に、何かがピョンと眼窩がんかから飛び出したのだ。


「ふ~う。危ない危ない」


 グウは思わずぎょっとした。

 空中に眼球が浮いている。

 天使のような羽が生えた、赤い瞳の眼球。

 その裏側には脳味噌のようにしわが刻まれており、神経っぽい糸がちょろちょろ垂れている。


「き、きもっ! それが本体か!」


 左目が抜けたとたん、ラウル・ミラー氏の体は力を失って、ぐったりと床に倒れた。


「ひどいなあ。僕も好きでこんな姿になったんじゃないんだから。デメに体を封印されたときに、とっさに左目に意識を移して脱出したんだよ」


 眼球がパタパタと羽ばたきながら喋った。

 どこから声を発しているのか、まったくの謎である。


「そんな目ん玉に意識を留められるとは、さすが『不滅王』の名はダテじゃないですね」

 グウは感心したような、あきれたような顔で言った。


「こんな無防備な姿をさらしたくはなかったけど、見られちゃったものは仕方がないね。デボラ!! 頼んだよ!!」


「何!?」


 突然、背後から紫色の光が差した。


 振り返ると、壁に飾られた一枚の絵から、眼鏡をかけた女――黒髪ロングの秘書、デボラの上半身が飛び出していた。

 こちらに向けたてのひらに、紫色のエネルギーが光っている。その光がグウを狙っていた。

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