第91話 敵

 ビーズに胸を貫かれたフェアリーは、床に倒れるとボワンと煙に包まれ、もとの小太りの男に戻った。


「ビーズ先輩……?」

「どいてっ、ザシュ!」


 ポカンとしているザシュルルトを押しのけて、ドリスが臨戦態勢に入る。


 だが、それより速くビーズが動いた。

 青白い剣の切っ先をダンッと床に突きつける。――と、水浸しの床が一瞬で凍りついた。


「!?」

 ドリスの動きが止まった。水で濡れたブーツや制服の表面が凍ってしまい、一瞬、動きが鈍る。


 ズザッと、ドリスのふくらはぎを何かが切り裂いた。


 見ると、氷の結晶が床に突き刺さっている。

 直径15センチくらいの六角形の氷の花。

 ビーズが剣を真横に振るうと、それがいくつも勢いよく回転しながら飛んできた。


「うっ」

「いでっ」


 ギザギザの突起がチェーンソーのように、ザシュとドリスの皮膚を裂く。


「この技は俺を攻撃したやつ! てことは、本当に先輩が俺を……!!」

 自分を襲った犯人を確信して、ザシュは怒りをあらわにしたが、すでに満身創痍で反撃できる状態ではなかった。


「あれ? 君、こんな魔法使えたっけ?」

 ドリスは余裕ぶって笑ってみせるが、ばっくりと裂けた足の傷を見るに、しばらく動けそうにない。


 ビーズは眼鏡の奥から冷たい目で二人を見据えたまま、

「ああ、使えたよ」

 と、答えた。

「べつに隠してたわけじゃないが、普段の任務じゃ使うまでもなかったからな。でも、お前らを殺すとなると、さすがに本気を出さないと無理だったよ」


 冷酷な笑みとともに、剣が青白く光り出す。

 次でトドメになりそうだった。


「やめてください!!」

 ギルティが両手を広げて、傷ついた二人を守るように立ちはだかった。


「副隊長?」


「ごめんなさい、私が水なんかまき散らしたせいで!」

 偶然にもビーズに有利な状況を作ってしまい、ギルティは申し訳なさそうに言った。


「副隊長……あのまま大人しく寝てればよかったのに」

 ビーズは忌々いまいましそうに言った。


「じゃあ、あなたが……」

 自分を監禁したのはビーズだったのか。


 でも、なぜ? という疑問が頭に浮かぶ。

(ゼルゼさんはあんなにズタボロにしたのに、なぜ私のことは殺そうとしなかったの?)


「なんでこんなことするんですか? 目的は何なの!?」


「教える必要ないでしょう。これから死ぬ人には」


 ビーズの無慈悲な言葉に、ギルティは胸の中がひんやり冷たくなった。

 本当に敵なんだ……この人。


「下がって、副隊長」

 目の前に、スッと白いモチモチした手が出てきた。


「フェアリーさん!? 大丈夫なの!?」


 フェアリーは胸を押さえたまま、むくっと起き上がって、彼女の前に立った。

「副隊長、つえはどうしたの? 丸腰じゃこいつの相手はキツイと思うよ?」


「こらぁ、フェアリー! 油断しおって! そんなに吾輩が生きてて嬉しかったかあ!」

 ゼルゼがエスカレーターの手すりをぬるっと滑り降りてきた。


「ああ、嬉しかったよ。河原にエロ本が落ちてたときくらい嬉しかった」


「そんなもん!? たしかに探したことあるけど!」


 二人ともふざける元気はあるようだが、ゼルゼは瀕死の重傷だし、フェアリーの傷も浅くはない。

 ザシュも出血多量で死にそうだし、足を負傷したガルガドスとドリスもしばらく動けそうにない。


 まともに戦える者は誰もいない。

 絶望感が彼らを包んだ。



「何やってんだ。お前ら」



 頭上から聞こえたその声に、はっと顔を上げるギルティ。


「グウ隊長……!」


 二階の廊下に、グウとジェイル隊員の姿があった。


 グウは廊下から飛び降りて、スタッと一階のホールに着地した。

 唖然あぜんとした顔で、血まみれの部下たちを見まわす。


「どうしたんだ、その怪我……いったい何があった?」


「マジでやばいんすよ、隊長!! ビーズ先輩がゼルゼ先輩を殺して、それから――」

 ザシュルルトが興奮状態で説明しようとする。


「え?」グウは近くにいるゼルゼ隊員に目をやった。「何? お前、殺されたの? ゼルゼ」


「いえ、吾輩は存命です! じつは、吾輩は重傷を負ったときに、一時的に仮死状態になることができましてね。フフンッ」


「ああ、そう。で、この状況は? 喧嘩けんか?」


「あ、あう……」

 ただ一人、純粋に喧嘩で負傷したガルガドス隊員がオロオロした。


「喧嘩じゃありません、隊長……」

 ギルティが悲痛な面持ちで口を開いた。

「彼は……ビーズさんは、本気で皆を殺そうとしています。これは……反乱です」


 グウは目を丸くして、パチパチとまばたきをした。

「いやいや、そんな馬鹿な。嘘だよな? ビーズ」


 ビーズはいたって真面目な顔でこう答えた。

「いいえ。本当ですよ、隊長。今、皆を殺して食おうと思ってたところです。あなたを倒すために」



 * * *



 信じられない言葉に、グウは完全に固まった。

 理解が追いつかなかった。


「ギルティ……みんなの手当を」

「はい!!」


 指示を出してはいるが、まともに頭が働いているわけじゃない。


(何でこんなことになった……?)


 てっきり作戦は順調だと思っていた。戦力的にも余裕だったし、今頃みんなバーベキューでもして盛り上がってる頃かと……

 事実、黄金の牙との戦い自体は余裕だったはずだ。


 だが……

 問題は黄金の牙じゃなかった。


 もう一度、ビーズの顔を見る。


 まっすぐな紫色の髪に、眼鏡の奥の涼しげな瞳。

 真面目な学生のような風貌。

 毎日のように顔を合わせる、見慣れた部下の顔だった。


 やはり信じられない。


「本気で言ってるのか、ビーズ?」


「ええ、本気ですよ。何度も言わせるなよ」

 彼は苛立いらだった口調で答えた。


「何でだ……誰かに命令されたのか。もしかして、誰かに脅されてるとか?」


 そう言うと、ビーズの顔はみるみる曇った。


「白々しいな、グウ隊長。俺が裏切者だって、あんたは知ってたはずだろ」


「は? 知らねえよ……何のことだ」

 グウは本気で心当たりがなかった。


「とぼけやがって。さては隊員にも、最低限の人数にしか知らせない気だな」

 ビーズはチラッと隊員たちに目をやった。


「ちょ、マジでわからん! ちゃんと説明しろ!」


「まあいいさ。どうせ戦うしか道はないんだ。俺はもうあんたの――魔王親衛隊の敵なんだから」

 確固たる決意のこもった目で、ビーズは言った。

「ここまでやったからには、もう引き返せない。あんたを殺すために、ゼルゼとザシュを食ったんだからな。まあ、できればフェアリーも食いたかったけどな!」


 グウは改めて部下たちの惨状に目をやった。

 骨が露出した、左肩から先がないゼルゼ。

 ひじから下がないザシュ。

 ほかの皆も傷だらけで、血まみれだった。


 自分が知らない間に、部下たちが殺されかけて、瀕死の重傷を負っている。


(黄金の牙や八角のダブにばかり気を取られて、こんなことになるまで気づかなかった。俺の気のゆるみが招いた事態だ……)


 こいつらを守ってやれなかったのは自分の責任。

 そして、今ここで、こいつらを守るのも自分の責任だ。


「本気なんだな」


 グウは静かに言って、剣を抜いた。

 細身のサーベルの切っ先を、ビーズに向かってまっすぐにのばす。


「なら容赦はしないぞ、ビーズ」


 今までになく鋭い眼光で、グウは“敵”を見据えた。

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