第89話 落ち着け
腹部と左腕から真っ赤な血を滴らせながら、ザシュルルトは今にも誰かに噛みつきそうな顔で、隊員たちを
「ってえ……クッソ痛え……! マジ許さねえ! 誰がやったんすかコラァ!!」
「落ち着けよ、ザシュ! 何があったんだ?」
ガルガドス隊員が
「そうだよ。何でアタシたちに怒ってんの?」
ドリス隊員も困惑気味にたずねる。
「いきなりシャーッと来たんすよ!! 後ろからっ! デケェ氷の結晶みてえなのが!」
「氷? そんなワザ使う奴、この中にいないじゃん。何でアタシたちを疑ってんの?」
「振り返ったときに見えたんすよ!! 俺たちのこのマントが!!」
ザシュは自分のマントを掴みながら叫んだ。
隊員たちは黙った。
少し前のガルガドスの話が頭によぎったのか、不穏な空気が流れる。
「あの逃げ足の速さは、そのへんの雑魚の動きじゃねえ……誰すか?」
痛みで気が立っているザシュは、荒い息をしながら隊員たちの顔を見まわした。
「
叫びながら、片手に持った大剣――刃渡りが二メートル近くある片刃のノコギリを振り上げる。
「ちょ、危ないって。暴れるなよ」
「落ち着けバカ! とりあえず止血して回復を待て!」
ガルガドスとビーズが同時に止めた。
「でも、これでハッキリしたね。親衛隊の中に敵がいるんだ。ゼルゼを殺したのもそいつで間違いないよ」
「そんな……ありえないよ。ねえ、みんな?」
ガルガドスが同意を求めて目を泳がせる。
「あんたじゃないの?」
ドリスがジロッとフェアリーに視線を向けた。
「元・黄金の牙だし。昔の仲間のほうに寝返ったんじゃない?」
「まじすか、フェアリー先輩なんすか!!」
ザシュが血走った目で叫ぶ。
「そんなワケないでしょ」
フェアリーは鼻で笑った。
「こんな不利な状況で寝返って、僕チンになんの得があるのさ。その昔の仲間たちは、もうみんな死体になって転がってるんだよ?」
「まだ八角のダブが残ってんじゃん」
「あのダブが魔王様に勝てるワケないよ。だいたい僕チンは、黄金の牙に先がないと思って抜けたんだし。そっちこそ、元暗殺者でしょ? 暗殺は得意なんじゃないの?」
「はぁ?」
フェアリーの言葉に、ドリスの美しい顔が思い切りゆがんだ。
「ドリス先輩なんすかぁ!? そうなんすか!?」
「やめろよ、お前ら」
ビーズが
「そうだよ。仲間同士で――」
「お前はどうなのさ、ビーズ」
ガルガドスの仲裁をスルーして、フェアリーがたずねた。
「あ?」
ビーズが眉間に
「ゼルゼが殺られたとき、一番戻ってくるの遅かったし、どこにいたの?」
「三階を確認してたんだよ! 言っただろ!」
「本当かなあ? 僕チンも見て回ったけど、会わなかったしなぁ。てゆーか、何か今日のビーズは白々しい気がするんだよね」
「はあ!? 適当なこと言ってんじゃねえぞ!」
「そうだあっ! ビーズ先輩が俺を殺そうとするワケないだろお!」
「なんでアタシのときは否定しないんだよっ」
ドリスが腹立たしげにザシュにツッコむ。
「ちょっと落ち着こうよ、みんな! 誰も裏切る理由なんてないんだから!」
必死に訴えるガルガドス。
「たんに殺したかったんじゃなーい? アタシたちを」
ドリスが気だるげに言った。
「黄金の牙と戦っても物足りなかったし、たいして魔力も吸収できなかったもん。アタシたちを殺して食べたかったんじゃないの?」
「まさか……そんな理由で仲間を殺すワケないだろう?」と、ガルガドス。
「ありうるな。フェアリーなら」と、ビーズが
「喧嘩売ってんの? まあ、買ってもいいけどね。物足りなかったのは事実だし」
「落ち着いて……」
「やるんすかぁ!! やるなら俺が相手だぜぇ!!」
「うるせえんだよ、お前! さっさと止血しろっつってんだろ、ぶち殺すぞ!」
「なにぃ!? やってみろやコラァ!!」
「落ち着けって言ってるだろおおおおおお!!」
突然ブチ切れたガルガドスが、仲間に向かって
ドゴオオオオンと巨大な斧が床に叩きつけられる。
シュッ、とザシュの
「やったな……!」
ザシュはノコギリのような大剣を片手で――怪我をしているとは思えない速度で横になぎ払った。
ガルガドスの両足の
「ぐああああああっ」
彼は床に崩れ落ちた。
「ザシュ、てめえ! やりすぎだろうが!」
ドリスがいつになく荒々しい声を上げ、二本の剣を抜いて両手にかまえた。
「おう、やんのかぁ!? いいぜ全員来いよオラァ」
「ハハハ! 本当に始めたよ。いいぞ、やれやれ!」
フェアリーが手を叩いて笑った、その直後――
ヒュンッと、風切り音がして剣が
「おっと」
フェアリーは瞬時に身長を縮めてかわした。
「いい加減にしろよ、このクズが!」
眼鏡の奥から、ビーズが敵意のこもった目で
「いいねえ。お前とは戦ってみたかったんだよ」
小太りの男は、細い目をさらに細めて邪悪な笑みを浮かべると、ゴオオッと炎に包まれた。
* * *
上のほうから断続的に響いていた、大きな物音や、揺れがおさまった。
今、討伐作戦はどうなっているのか。
ギルティは
今ベルトをガリガリと削っているのは、彼女の爪である。
(何で最初に思いつかなかったんだろ……)
魔力による肉体操作。
大概の魔族が本能的に使える基本的な能力。
爪を鋭く
(普段ヒト魔法に頼りすぎてて、基本スキルを忘れてた……)
彼女を拘束しているベルトは、あと少しでちぎれそうだった。
よし、もうひと息――と思ったとき、
ふいにバサバサとビニールが揺れた。
「んん!?」
ギルティはビクッと体をこわばらせた。
ビリッ、ビリビリーッ。
ビニールが引き裂かれ、裂け目からひょこっと、白と灰色のツートンカラーの中型犬が顔を出した。
「んんんんん!?」
(ジェイルさん!?)
「ワン!」
ジェイル隊員は一瞬でベルトを噛みちぎってくれた。
「探しに来てくれたんですか!? うわあぁんっ! ジェイルさーんっ」
ギルティはジェイル隊員を抱きしめると、半泣きでわしゃわしゃと撫でまわした。
(ホントになんて優秀なワンちゃんなの! 大好きいぃ!)
彼女が監禁されていた場所は、意外にも気を失った地点のすぐ近く――ゼルゼが倒れていた「展示室19」の隣の部屋だった。
大きな古代神殿の模型の陰、寄せ集めたパイプ椅子や脚立なんかの備品の間に隠すようにして、ビニールをかぶせられていた。
「はやく皆のところに行きましょう! ゼルゼさんのこと知らせなきゃ……!」
彼女は立ち上がり、ジェイルとともに駆けだした。
そして、吹き抜けのホールに出て、エスカレーターの上から一階を見下ろすと――
そこでは、信じられない光景が繰り広げられていた。
片腕の無いザシュルルトが大きなノコギリを振り下ろし、ドリスが二本の短剣を交差させて受け止める。大きな力がぶつかり合い、衝撃で二人はうしろに弾け飛んだが、すぐに態勢を立て直し、再び激しい攻撃の応酬が展開される。
一方、中央のインフォメーション付近では、筋骨隆々の赤毛の男――フェアリー隊員が、ビーズ隊員を狙って
ガルガドス隊員は負傷したのか、壁際に
「な、なんで……? なんでぇ!?」
ギルティは我が目を疑った。
親衛隊の隊員同士が戦っている。
殺し合っているのだ。
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