第88話 虚栄の男
その女に出会ったのは、約二千年前。
森の奥の、静かな泉のほとりだった。
「お前が……俺の手下をぶっ殺しやがったベリって奴か?」
女は今まさに水浴びでもするところだったのか、胸と腰のまわりに短い布を巻き付けただけの、裸同然の格好だった。
顔は少女のようにあどけないが、どこか
「へえ、なかなか可愛いじゃねえか。こんな綺麗な体を痛めつけるのは心が痛むぜ。どうだ? 俺のモンになるってんなら特別に許してやってもいいぜ?」
俺はかなりゲスい顔で笑ったと思う。
「へぇ。そんなこと言うなんて、優しいんだな」
「ああ、俺は器のでかい男だからな。美人は殺さねえんだ」
「アハッ、そーなんだ。ちなみに私は、イケメンも魔物も平等にボコるタイプの女です」
「え?」
直後、強烈なグーパンが俺を襲った。
脳味噌が揺れ、犬歯が吹っ飛び、それまでの人生が
――
そんな話をしやがったのは、シレオンのクソ野郎だっけ?
よく覚えてねえけど、ふざけんなと叫びたい。
だって、俺はめちゃくちゃ不本意なんだよ。俺という生き物であることが。
俺という魔族――この
これじゃ魔界で生き残れねえよ。
それとも、魔力の乏しい個体が生存率を上げるには、防御に全振りするしかなかったのか?
魔界ってのは、強さがすべてだ。
弱いって時点で、もう詰んでる。
強い奴と出くわしたらたら、そこで人生終了。
気まぐれで殺されようが、一生奴隷にされようが文句は言えない。
助けてくれるヒーローもいない。
悲惨すぎて泣きそうだ。
だが……!
成り上がる方法がゼロってワケじゃない。
方法その一。
ほかの魔族や魔物を食いまくって、魔力を吸収する。地道なレベル上げだ。
方法その二。
徒党を組む。数の力ってやつだ。
俺は二つとも実践した。
自分より弱い奴を食いまくったし、盗賊団も結成した。
人数が増え、勢力が拡大してくると、もう半端な奴らは手出しできない。俺も多少は調子に乗ってくる。
ベリにぶん殴られたのは、ちょうどそんなときだった。
こんなことを言うとマゾみたいだが、正直
憧れたんだ、強烈に。
強さだけじゃなく、その生き様に。
ベリはとにかく自由だった。
何の計算も計画なく、己の欲望と本能に従って生きる。
何も恐れず、自ら望んで強者と戦う。理由は「楽しいから」だとさ。
魔族に生まれたならば、誰もがあんな風に生きてみたいと思うだろう。
まさに、魔族の中の魔族。
「待ってくれ……見逃してくれ……! 俺は強くなる。強くなってみせる! 次に会うときまでに、アンタを楽しませられるような男になる!」
気づけば俺は命乞いをしていた。
「お前、名前は?」
「ダブだ……八角のダブって呼ばれてる」
「ふうん、そう。じゃあ楽しみにしとく。頑張って面白い男になれよ、ダブ」
彼女は俺の頭をポンと
そして翌年、彼女は初代魔王になった。
あの女に認められたい。
あの女の視界に入りたい。
いや違う。
あの女を俺のものにしたい。惚れさせたい。
そのためには、ただ強くなるだけじゃだめだ。
ベリより自由奔放で、
見た目の雰囲気も変えよう。
もっとワイルドに。もっと破天荒に。
折れた犬歯のかわりに、金の牙を差してやろう。
そうだ。盗賊団の名前は『黄金の牙』にしよう。
俺の体は銅だけど、そんなの関係ねえ。
虚栄も虚飾も、ずっと貫き通せば、いつか本物になるかもしれないだろ?
そうして俺の俳優人生は幕を開けた。
自ら作り上げた『破天荒な男・八角のダブ』を演じ続ける日々。
強い奴との戦闘は避けなきゃならねえが、
「べつに戦いは好きじゃねえんだ。自由に生きられりゃそれでいい」
これでいける。
そうして千年以上、逃げ回りながら生き延びた。
が、いつからだろう。
面子を保つのに必死すぎて、それ自体が目的みたいになってきた。
たしかに昔より強くはなったが、上にいる化け物どもには全然手が届かねえ。
俺は俺自身に限界を感じはじめる。
目標だったベリには、一度も会ってない。
いや、嘘だ。
一度だけ姿を見かけたが、声をかけられなかった。
あれは三国戦争時代だったか。
ベリが家来の
ガザリア海に面した
だが、何やら楽しそうで、その従者――緑色の髪をした男と腕を組んだり、腕におっぱいを押しつけたり……なんかイチャイチャしてやがった。
何なんだ、そういう仲なのか?
あのベリに、これほど気に入られるとは、いったいどんな
俺はひそかに後をつけ、会話を盗み聞きした。
「なあグウ。人間界に潜伏するつっても、金はどうすんだよ? 私考えたんだけどさ、旅芸人しようぜ? 私ダンス得意なんだ。きっと大人気になるぞ」
「却下。潜伏の意味わかってる? 大人気になってどーすんだよ。俺がなんか地味な仕事するから、アンタはもう大人しくしといてくれ」
めちゃくちゃ常識的なこと言ってやがる。
なんだよ。
破天荒な男が好きなんじゃねえのかよ。
俺のキャラ作りは何だったんだ。今さらキャラ変できねえよ。
その数年後、ベリは誰も勝てないと噂されていた暴君デメに挑み、そして敗北したらしい。
さすがだ。あの女は何も変わってねえ。
きっと、もう俺のことなんか忘れてるだろう。
俺は面白い男どころか、どんどんつまんねー男になってるしな。
演じて、逃げて、演じて、逃げて。
その繰り返し……
だが、やがてその生活にも限界がやってきた。
15年前、あろうことか、手下の反乱で左手を失ったのだ。
フェアリーとかいう、強いけどクソ生意気な馬鹿をシメようとして、反撃を食らっちまった。高熱で腕を焼き切られた上、まんまと逃げられた。最悪だ。
腕一本じゃ、とても魔界で生き残れない。
勢いのある若手に倒されるのも時間の問題。
だから、人間界に逃れた。
そしたら、ありえないことに魔王デメが討伐に来た。
嘘だろ?
しかも、魔界に戻ったら、魔王軍が待ち構えていて、挟み撃ちにされるらしい。
子分の一人が魔王親衛隊の隊員から仕入れた情報で、信ぴょう性は低くはない。
そもそも、魔界に逃げたって俺に未来はねえんだ。つまり終わりだ。
けどまあ、十分長生きしたし、どうせもう逃げるのにも疲れてたとこだ。
最後の望みは、
もう何百年も、面子のためだけに生きてきた。
八角のダブというキャラを維持するためだけに。
ほかには何もねえ。
負けるところは子分に見せられねえ。
子分どもよ、どうか俺より先に死んでくれ。魔王以外をなるべく俺から遠ざけて、一人残らず全滅してくれ。
俺はデメに殺されるからよ。
あのベリですら勝てなかった魔王デメと戦って、俺は死ぬんだ。
そしたら……
もしその一報がベリの耳に入ったら、一瞬だけでも俺のことを思い出してくれねえかな。
* * *
「何がしたかったかって? ハッ。教えてやんねーよ、バーカ」
八角のダブは、口から血を吐きながら毒づいた。
「お前らにはわかんねえだろうよ。弱者に生まれついた者の気持ちは……」
(弱者? 八角のダブが?)
意外な言葉に、グウはぴくりと片眉を上げた。
「子分が死んだから何だってんだ。どうせ俺と同じクズ共だろうが。仲間だ、主君だ、魔族がそんなもんのために戦うほうがどーかしてるぜ」
グハハハハ、とダブは豪快に笑おうとして、ゲホゲホと血を吐いた。
「お前らこそ……魔族に何を期待してんだよ……こんな虚しい生き物に……よ……」
そうしてダブは目を開けたまま、ガクンと首を垂れた。
息絶えたようだ。
「虚しい……か」
魔王はフッと笑いをこぼした。
「長く生きた魔族は、みんな死ぬときに同じことを言う。フフッ……ハハハッ」
ハハハハハ、と彼はめずらしく声を立てて笑った。
どういう感情の
「こいつを殺せば、少しは気が晴れるかと思ったのに、よけいクソみたいな気分になった」
魔王はそう言って、スンと真顔に戻った。
こうして、二千年続いた盗賊団『黄金の牙』は壊滅した。
* * *
一階のホールにビーズ隊員が戻ってくると、ほぼ同時に、ドリス隊員とガルガドス隊員が姿を現した。
「いたか?」
「いなーい」
「こっちもだ。敵も副隊長も見当たらない」
まもなくフェアリー隊員も戻ってきたが、やはり「いないよ」と肩をすくめた。
「どこに行ったんだろ、副隊長」
「やっぱり隊長に報告したほうがいいんじゃない?」
「そうだな……」
そこに、ザシュルルト隊員がふらふらと戻ってきた。
本当にふらふらしていて、何だか歩き方がおかしい。
「あ、ザシュ。どうだっ――」
たずねようとして、ドリスはハッと息をのんだ。
「どうしたの、その怪我!?」
ザシュは腹部から大量の血を流し、さらに左腕の
「誰だ……」
と、彼は殺気立った獣のような目で、そこにいる隊員たちを
「俺の体に穴開けやがったのは、誰だあっ!!」
彼は仲間に向かってそう叫んだ。
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