第79話 魔導協会

 ホテルのラウンジには、グウたちのほかにも客がいた。

 魔族が二組と、人間が一組。人間は今朝会ったダリア市の役人だった。


 部外者は見当たらない。

 どうやら、目の前の銀髪の女は一人で来たようだ。

 

 周囲を気にするグウを見て、彼女は、

「まあ、そう警戒しないでください。これだけ離れていれば、会話を聞かれる心配もありませんわ」

 と、色白の顔に不敵な笑みを浮かべた。

 年齢は二十歳そこそこだろうが、魔族を相手にやけに肝がわっている。


「聞かれて困るような会話をする気はないけど、あなたと会ってるだけで、立場上、十分マズいんで。だって、おたく魔導協会の人でしょう?」

 グウは面倒くさそうに言った。


「ご名答」

 女は美しい灰色の目を細めて、にっこりと笑った。

「申し遅れました。私は魔導協会ヴァルタ支部・支部長コーデリア・エルドール。お会いできて光栄です、グウ隊長」


「エルドール……もしかして、ジョアン・エルドール老師の子孫か? 200年前の停戦協議のときの、あの宮廷魔導士のジイさん……」

 グウの脳裏に、ダリアのとりでで出会った白いひげの老人がもわわーんと浮かんできた。


「はい。孫の孫の孫の孫です。祖母の祖父の祖父の祖父がお世話になりました」

 コーデリアは上品に微笑んだ。

 どこか貼り付けたような笑顔だった。


「魔導協会が今さら何の用ですか?」

 グウは怪訝けげんな顔でたずねた。


 魔導協会とは、人間界に古くから存在する魔法使いの秘密結社である。

 ずばり魔王討伐のために結成された組織であり、会長は代々エルドール家の世襲だと聞く。

 つまり、この娘は魔法使いのエリート一族の末裔まつえいだ。


「単刀直入に申しますと、もう一度あなたと協力関係を結びたいのです」

 コーデリアは言った。


 グウは困惑の表情を浮かべた。

「あなた方と付き合いがあったのは、もう150年以上も前の話だ。あの頃とはだいぶ事情も違います」


「事情は変わっても人間性――ああ、魔族に人間性というのは変かしら。考え方の本質というのは、そう簡単には変わらないのでは? 200年前、あなたはジョアンを助け、人間の味方となって働いてくださった。それは、あなたが魔族でありながら、アンチ魔族とも言える思想の持ち主だったから。ことあるごとに『魔族はクソだ』と口にしていたと伝わっています」


「なに人の愚痴ぐちを後世に伝えてんだ、あのジジイは」

 グウは苦々しそうに頭を押さえた。


「要するに、あなたは人間の味方であると、私は認識しています」


「……」

 グウはそれには答えずに、「魔王デメを倒すのは無理ですよ」と、言った。「魔力がケタ外れなのはもちろん、肉体もありえないほど頑丈で、運動能力もえぐい。ほとんど不死身の化物です」


「それは魔法で戦う場合の、戦闘力の話でしょう?」


「え?」


「我々も昔のままではないのですよ、グウ隊長。現代の魔導協会は、単なる魔法使いの戦闘組織ではなく、魔界由来の『魔力』というエネルギーの研究機関として活動しています。そして、その研究結果を各国の軍需産業に提供している。科学の力で『魔力』に対抗するために」


 コーデリアは口元に微笑を浮かべたまま、淡々と語った。


「人間はすでに、魔界全土を吹き飛ばせるほどの兵器を開発する科学力を有しています。やらないのは、それでデメを倒せるという確証がないから。倒し損ねた場合のリスクを考えると、そう簡単には攻撃に踏み切れない。確証を得るためには、魔界内部からの情報が不可欠です。とりわけ魔王デメに近いところからの情報が」


「それは……俺にスパイになれということですか?」


「要約すると、そういうことです」

 コーデリアはにっこりとうなずいた。


「お断りします」

 グウは静かな、落ち着いた声で言った。

「たしかに俺は、魔族はクソだと思ってた。まあ、今も思ってるけど。停戦当時のデメはまだ凶暴だったし、もしデメが再び人間に牙をくようなら、人間の側についてもいいと思ってた。でも、今その兆しはないし、倒す必要があるとは思えない。それに、魔界全土を吹き飛ばそうと思うほど、俺は極端な思想の持ち主じゃないんで」


「それは、要約すると、あなたは魔族側……ということでいいですか?」


 そこは要約しないで欲しいけどな、とグウは思った。


「まあ、そう思いたいなら、どうぞ」


「そう。残念ですわ」

 彼女は美しい目を伏せて上品な微笑を浮かべると、紅茶を一口飲んだ。



 コーデリアと別れ、エレベーターで38階に戻ると、何やら廊下が騒がしかった。

 パタパタとギルティが廊下を走っていくのを見かけて呼び止める。


「グウ隊長! 探してたところです!」

 彼女は息を切らしながら言った。

「大変です! 魔王様がお部屋にいないんです!」


「はああ!?」

 思わず叫んでしまった。

 

 次から次へと何なんだ。

 グウは眩暈めまいがしそうだった。



* * *



 夜の繁華街を、ジャージの青年と一匹の犬が走っていく。


「どうだ、魔王様の匂いは辿たどれそうかっ?」

 前を走るジェイル隊員に呼びかけると、

「ワン!!」

 と力強い返事が返ってきた。


(やけに人がいないな……)

 グウは走りながら町の異変を察知した。


「おい兄ちゃん、そっちに行ったら危ないよ! 魔族が出たらしいから」

 途中で、土産物屋の主人がグウを呼び止めた。


「魔族?」


「ああ。その先の駐車場で暴れてるらしい」と、主人。

「警察はまだ来ないのかしら?」

 と、隣で奥さんらしき女性が不安そうに言った。


 グウは忠告に逆らって駆けだした。

 嫌な予感がした。


 交差点を曲がったところで、パーキングと書かれた光る看板が目に入る。

 その前の道路には、大量の血が飛び散っていて、明らかに何か事件があった感じだ。


 ジェイル隊員が何かを察知したように、ぴたりと足を止め、ちらっとこちらの顔を見上げた。

 グウはジェイルの頭をポンとひと撫ですると、彼の前をゆっくりと駐車場に向かって歩きだした。


 駐車場は血の海だった。


 魔族の血は、赤一色ではない。

 青や緑、いろいろな血の色が溶け合い、どろりとした黒い重油のようになって、あたりを覆い尽くしている。

 

 その黒い海の中心に、謎の巨大な四角い物体があった。

 魔王は、それを見上げるようにして、ぼーっと立っていた。


(なんだ、あれ?)


 その物体は、二メートル四方のいびつなキューブ状の塊だった。

 よく見ると、表面に生物の骨や臓器のようなものが浮き出ていて、腕や足らしきものが飛び出している。衣服の一部、髪の毛、目や鼻など顔のパーツも見受けられた。


 グウは背筋がぞっとした。

 何なんだ、これは……


「魔王様……? 何を……やってるんですか?」


 魔王はくるりとこちらを振り返ると、

「ゴミを一ヶ所に集めていたのだ」

 と言った。


(ゴミ……?)

 グウは不気味な立方体を見上げた。

 あきらかに、死体の塊だった。

 十人、いや、それ以上の魔族の死体をかき集めて、ぎゅうぎゅうに押し固めたものと思われる。


「この者たちは、その、何を……」

 グウはおそるおそる聞いた。


「なぜそんなことを聞く?」


「え?」


 魔王は真顔でグウの顔を見つめながら、こちらに近づいてきた。


「殺したのは魔族だ。人間じゃない。なのに、いちいちお前に弁解が必要か?」

 無表情。

 だが、その静かな声には、確実に怒気がこもっていた。

「俺が魔族を殺すのに、いちいち理由が必要か?」


 深い海を思わせるダークブルーの瞳。その冷たく暗い眼光が、グウの目を射た。

 グウは心臓のあたりがひやりとした。


「い、いえ……」

(あ、これ、下手に刺激したら終わる)


 魔王はグウの横を通りすぎると、何も言わずにホテルの方角に向かって歩きだした。

 グウとジェイルは顔を見合わせて、そのあとに続いた。


「そうだ。盗賊共は動いたか?」

 歩きながら魔王がたずねた。


「いえ、それがまだで……もし、期日である明日の朝10時までに奴らが退去しない場合、どう対応するか、いま協議中です」


「そのときは予告通り、討伐を決行するだけだろう」


「いや、しかし、ダリア市内での戦闘は想定外で――」「決行だ」

 魔王はグウの言葉を遮って言った。


「奴らが逃げようが逃げまいが、盗賊共は明日ダリア市から消滅する。奴らの頭は俺が直々に始末するから、皆にそう伝えておけ」


(えええ……)

 グウは皆の困り果てる顔が目に浮かんだ。

 言葉につまっていると、振り返ってギッとにらまれた。


「いいな?」


「……はい」

 と、言うしかない。


 グウはわけがわからなかった。

(なんで? なんでこんなに機嫌悪いの? 最近ずっと聞き分け良かったのに……この短時間に一体何があったんだ?)



 結局その日、深夜になっても黄金の牙に動きはなかった。


 そして、ついに日付が変わり、12日がやってきた。

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