第77話 脱走

 11日、午後。


 昼寝から目覚めた魔王は、ほとんど無意識にスマートフォンを手に取った。


(セイラ、何かつぶやいてないかな……)


 一時間に一回、いや、もっと多いかもしれない。

 セイラの新しい投稿がないか、一日に何度もSNSをチェックするのが習慣になってしまった。



『人気アイドル魔族と関係か』



 そんなタイトルのネットニュースが目に飛び込んできて、魔王はギクッとした。


 某人気アイドルグループのメンバーが、魔界で開かれたパーティーに出席していたという記事がSNSを騒がせていた。魔族から報酬をもらって、余興で歌を披露したらしい。そのアイドルが出演するライブには、以前から魔族が頻繁に出入りしていたとか。


『これはアウトだな』

『魔族とか反社よりヤバい』

『反社会的勢力は悪だけど、いちおう人間。魔族は人類全員の敵』


 ネットの反応を見て、魔王はひたいに冷や汗がにじんだ。


 魔族と関わるだけで、これほどのバッシング。

 もし自分が魔王だとバレたら……セイラに嫌われるだけでは済まず、彼女のイメージすら傷つけてしまうかもしれない。


 不安になった魔王は、猛烈な勢いで自分の投稿を見返した。

(魔族だとバレるようなこと書いてないよな、俺……)


 そうして血走った目で画面をスクロールしているところに、一件のメッセージが届いた。


(ヌシ殿だ)

 ヌシ殿は、現場(ライブ会場)でいろいろと親切にしてくれる古参ファンの友人だ。


『ハロぴあ。セイラ・ピアーズ生誕祭の件で連絡し申す。只今、オタク達から手書きのメッセージカードを集めております故、デメっちも書いてくだされ』


(そっか。ヌシ殿、生誕委員だっけ)


 生誕委員とは、アイドルの誕生祭を企画・実行するために組織された有志団体、生誕祭実行委員会のことである。


 魔王は慣れた手つきで素早く文字を入力した。

『ハロぴあ。今ダリア市にいるから、来週のライブのときでもいいか?』


『なんと、ダリア市にいるとな!? じつは、それがしもちょうど今ダリア市でして。実家がこっちなもので、帰省しておるのです。よろしければ、合流いたしませぬか?』


『でも外に出るのは危ないのでは?』


『オレンジハーバーに近づかなければ大丈夫ですわな』


 魔王は手を止めて考えた。


(どうしよう。ちょっとくらい外出してもいいかな)


 たぶん小一時間くらいなら大丈夫だろう。事前に告げておけばいい。誰か見張りについてくるかもしれないが、まあそれは仕方ない。


『わかった』


『では、夜7時にこの店で』


 ヌシ殿が指定した場所は、幸いにもホテルから徒歩5分くらいの場所だった。



 * * *



(はっ、もうこんな時間!!)


 気づけば7時前だった。

 セイラの誕生祝いのメッセージを何パターンも考えていたら、あっという間に時が経ってしまった。

 あわてて服を着替えて部屋を出る。


 同じ階にあるグウの部屋に向かい、扉をノックするが返事がない。

(いないのかな……)


 ではデュファルジュ元老に……と思ったが、止められそうな予感がしたのでやめた。

 親衛隊のビーズかザシュルルトに言ってもよかったが、あいにく部屋がわからない。


(まあいっか。ちょっと一人で外に出るくらい)

 魔王の口角がちょっとだけ上がる。

 正直、一人で外出してみたいという気持ちがなくはなかった。



 * * *



 ホテルのフロントの前を、チェックシャツの少年が足早に通り過ぎた。

 もちろん角はひっこめているし、誰も彼が魔王だとは思わない。


(ふう。アーキハバルの標準装備を持ってきてよかった……!)


 魔王はヌシ殿が送ってくれた地図を頼りに、繁華街を歩いた。

 飲食店、土産物屋、ダイビングショップ、釣具屋……リゾート地に似つかわしい店が並んでいたが、どこもシャッターが下りている。


 少し早めに目的の店に着いたが、なんとその店もシャッターが下りた状態だった。

 よく見ると『閉店』の貼り紙が。


 そばを通ったカップルのこんな会話が耳に入る。


「えー、ここ閉店したんだ」

「魔族のせいで観光客が減ったからな」

「ほんと、魔族って迷惑すぎる」


「デメっち、お待たせ」

 まもなく、ヌシ殿が現れた。

 ふくよかな体型の眼鏡をかけた中年男性が、人のよさそうな柔和な笑顔で近づいてくる。


「な、なんと、閉店!?」

 どうやら知らなかったらしく、ヌシ殿はショックを受けていた。

 残念そうな顔で、別の店に行こうと提案する。

「ここのシーフードカレー美味かったのに……やれやれ、魔族には困ったもんですな」


「ごめん……」


「え? なんでデメっちが謝るので?」


「あ、いや、何となく」



 * * *



 同時刻。7時。

 グウは一階のフロント前のラウンジにいた。


『大時計の前にて待つ』


 そうメッセージにあった通り、ラウンジの奥の壁には大きな振り子時計があり、その前のテーブルで、紺色のスーツを着た女が一人、紅茶を飲んでいた。

 銀色の髪をボブカットにした、まだ若い人間の女だった。


 グウの姿を見つけると、彼女は立ち上がって微笑んだ。

「初めまして、グウ隊長。来てくれると信じていました」


「来るつもりはありませんでしたが、こんな風に呼び出されるのは迷惑ですので、それだけ伝えに来ました」

 グウは警戒感と猜疑さいぎ心をにじませながら、その女の整った顔を見返した。



 * * *



「よし! できた!」

 魔王は書き上げたメッセージカードを掲げて見せた。


「うほっ。びっしり書きましたな」


 どうにか開いている喫茶店を見つけた魔王とヌシ殿は、夕食にスパゲッティを食べ、食後のコーヒーを飲んでいた。

 天井近くのテレビは野球中継を流していたが、ふいにニュース映像に切り替わり、自分たちの上陸映像が流れた。魔王はドキッとした。


「昨日から、テレビはこればっかりですな」

 ヌシ殿がつぶやいた。

「はたして、あの魔王は本物なのか。体型とかデメっちとたいして変わらないし、まだ子供みたいに見えますな」


「ブフッ」と魔王はコーヒーを噴き出した。「は、はあっ? ぜんぜん違うし! 俺は子供じゃないし!」


「いや失敬。某からすると子供みたいなものなので」

 ヌシ殿は穏やかに笑った。


 ヌシ殿にとって魔王は、息子でもおかしくない年齢――に見えているだろうが、実際は魔王のほうが遥かに年上だった。

 年齢を超えた友情――と、彼らは互いに思っていた。


「あっちの駐車場に車を停めているので、ホテルまで送り申そう」

 店を出たあと、ヌシ殿が言った。


「いや、すぐ近くだから大丈夫。またアーキハバルで会おう」


 魔王は手を振って、ヌシ殿が交差点の角を曲がるのを見送った。

 そして、ホテルに向かって歩き出したが、1分も経たずに、

 きゃああああ!!

 と、女の悲鳴が聞こえてきた。


「魔族よ!」

「魔族が出たぞ!」


 パニック状態の人々が、次から次へとこちらに向かって走って来る。

 ヌシ殿が歩いて行った方角からだった。


 魔王は人の流れに逆らって駆けだした。

 曲がり角の向こう、パーキングの看板の明かりの下に、バイクや車が無秩序に止められているのが目に入った。

 そして、その車に乗ってきたであろう魔族が20人以上、ぐるりと駐車場を取り囲んでいる。


「オラ、さっさと車の鍵よこせよ、オッサン!」


 乱暴な声がするほうに目をやると、誰かが魔族の男に蹴られていた。

 一人の中年男性が背中から血を流して地面にうずくまっている。


「ヌシ殿……?」


 魔王の心臓がドクンと脈打った。

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