第76話 制裁
37階でエレベーターのドアが開くと、三人の隊員たちが「いやー、飲んだ飲んだ」と陽気な声を響かせながら、千鳥足で降りてきた。
だが、エレベーターホールで待ち構えていた上司の姿を見つけたとたん、彼らの酔いは一気に
「遅かったな、お前ら」
グウの殺気のこもった鋭い目に、三人は即座に危険を察知した。
「やばい! 逃げろ!」
二手に分かれて走り出す隊員たち。
ゼルゼは右に、フェアリーとザシュルルトは左に、それぞれ廊下を走り出した。
「逃がすか!」
グウは左に逃げた二人を追った。ダンッと床を蹴って、垂直の壁を駆け、フェアリーとザシュルルトを追い越して、彼らの前に降り立つ。
「げっ」と、立ち止まったザシュの顔面にパンチがめり込む。
続いて、仲間がやられている隙に逃げようとするフェアリーの首根っこをムギュッと掴むと、逆方向に走っていくゼルゼめがけて、思い切りぶん投げた。
フェアリーはドッジボールの球のように飛んでいき、ゼルゼの背中にクリーンヒットした。
こうして、三人全員が廊下にのびた。
数分後、彼らはエレベーターホール前のロビーに正座させられ、お説教を受けていた。
「言ったよね? むやみに出歩くなって。不用意に敵と接触するなって、研修までしたよね? なのに、なんで敵地のド真ん中で派手に暴れてニュースにまで出てんの? ぶち殺されたいの?」
厳しい表情で淡々と問いかけるグウに、三人の隊員たちはバツが悪そうに顔を見合わせた。
「違うんすよ、隊長。こんなはずじゃなかったんだ。俺たちはただ、ちょっと外で酒が飲みたかっただけなんすよ」
ザシュルルト隊員が情けない声で言った。
「そうそう。だけど、魔族のせいで近所の酒場はどこも閉まっててさ」
「開いてる店を聞いたら、オレンジハーバーの、魔族がやってる店しかないと言われたもので」
フェアリーとゼルゼが口々に言い訳を述べる。
「で?」と、グウの乾いた声。
「ただ飲んで帰るだけのつもりだったんすよ。でも
「絡まれて?」
「仕方なく?」
と、フェアリーが肩をすくめた。
「何が仕方なくだ! バカヤロウ!!」
グウはフェアリーのモチモチしたほっぺたを思いっきり引っぱり上げた。
「痛い痛い痛い!! ちぎれる! ちぎれるって!!」
フェアリーがジタバタ暴れた。
「お前らはもう作戦に参加させん! 言いつけを守れないような奴らは、戦闘が始まっても船で留守番だ!」
グウがそう言い放つと、
「ええっ、そんな!」
「それはないよ!」
と、隊員たちは急に動揺しはじめ、グウの足にすがりついてきた。
「参加したぁい! お願いっす! 反省してるっす!」「戦いたいよぉ」「何でもします。靴でも何でも舐めます故」
「ふうん。じゃあ、本当に反省してるなら、反省文を書いてもらおうか」
「な!?」「げふっ!?」
「この
と、グウはホテルの売店で買った土産物のレターセットをつき出した。
「二枚も!?」
「無理だよぉ。そんなに長い文章書いたことないよ」
「ダメです。今回ばかりは許しません。どうせ明日は移動か待機だ。徹夜してでも書いてもらうぞ」
「隊長、俺、字書けません……」
ザシュルルトが涙目で言った。
「え……そうだっけ?」
「名前しか書けないっす」
「じゃあ、代わりに、えっと……」
何をさせたらいいんだ?
グウは代替案に悩んだ。
「曲作ってもいいっすか? 反省曲」
「曲……?」
反省曲って何だ。
「ハイ。ギター持ってきたんで」
「ギター持ってきたのか!?」
「部屋にあるっす」
グウは思わずパチパチと目を
ザシュはしゅんとした顔をしている。ふざけてはいないようだ。
「……取ってきなさい、ギター」
世の中、何が普通で、何が異常なんだっけ?
自分の中の常識が揺らぎ始めたグウは、怒る気が失せてしまった。
* * *
翌日、11日。
昨晩の件で、グウは朝から色々な人に謝りまくった。
外交課のゴゴン課長にも、ダリア市の役人にも、もはやどこの誰だかわからない人間にも謝って、謝ってるだけで午前中が終わってしまった。
今朝になっても黄金の牙に動きがないこともあり、みんなピリピリしている。親衛隊の三人が作戦を漏らしたんじゃないかと、あらぬ疑いまでかけられた。
(あいたたた、胃が痛い……)
グウはすっかりやつれた顔で自分の部屋に戻ってきた。
ドアを開けようとして、ふと、ドアの下に白い紙が挟まっているのが目に入った。
何だろう、としゃがんで紙を拾い上げる。メッセージカードのようだった。
文面を読んだ彼は、ハッと目を見開いた。
『夜7時 一階ラウンジ 大時計の前にて待つ。かつての同志より』
「グウ隊長」と、背後から声がして、グウはビクッとした。
振り返ると、ジムノ課長がそこにいた。
「は、はい。何でしょう」
ややうわずった声で返事をしながら、カードをポケットに突っ込む。
「今日は朝からお疲れ様でした。親衛隊の皆さんは血の気が多くて大変そうですね」
「いやあ、ほんとに困ったもんで……諜報課の方々は落ち着いてて
グウは苦笑いを浮かべながらポリポリと頭をかいた。
「グウ隊長はお優しいですから。少し処罰を厳しくしてみては?」
「処罰かあ」
「見せしめに一人殺すと、けっこう効きますよ」
グウは目を丸くした。思わずジムノ課長の顔を凝視してしまう。
生気のない灰色の細長い顔。
「……ウチはアットホームな部署なんで、あんまりそういうのは……」
返答に困ったグウは、そんなことを言った。
「あ、グウ隊長! ジムノ課長も! お疲れ様です」
廊下の奥から元気な声がして、ギルティが現れた。
「今からお昼ご飯に行くところなんですが、隊長とジムノ課長もいかがですか?」
「やあ、ギルティ君。私は先ほど済ませましたので、またの機会に」
「そうでしたか、残念。転属になって以来、なかなかお会いする機会がなかったので、またこうして一緒にお仕事ができて嬉しいです」
ギルティはジムノ課長にニコッと笑いかけた。
「君のような優秀な人材が抜けた穴は大きいが、親衛隊で活躍しているようで何よりです」
ジムノ課長は無表情のまま言った。
「いえ、そんな、ぜんぜん活躍なんてしてないですよ!」
ギルティはパタパタと手を振って否定した。
ジムノ課長が去り、グウとギルティは二人でエレベーターに乗り込んだ。
「諜報課に帰りたいなんて言うなよ?」
グウはガラス張りのエレベーターから外を眺めながら、ぼそりと言った。
「ふぇっ? どうしたんですか、急に」
「お前は俺と一緒にいろ」
「ヴェッ!?」
まるで愛の告白みたいなセリフを吐いたことに気づかないまま、グウはぼんやりと街並みを見つめていた。
魔界には高層ビルなんて無いから、目のくらむような高さに感じる。
(ジムノ課長は合理的だが、部下を守る気はない)
グウはさきほどの会話を頭の中で
だが、冷静に考えれば、ジムノ課長がとくに冷酷というわけでもなく、魔族の組織なんて、どこも理不尽で残酷で、ヒドいところばかりだ。むしろ彼は上司としてはまともな部類だろう。
(自分が甘いのはわかってる。でも俺はああいう風にはなれないし、なりたいとも思わない)
真っ赤な顔でフリーズしているギルティに気づかないまま、グウはそんなことを考えていた。
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