第74話 光の海

 デッキに出ると、暗い海から冷たい夜風が吹きつけた。

 温暖なガザリア海とはいえ、秋の夜は少々冷える。


「ほら、あそこ! 見てください、隊長」


 さくに寄りかかってギルティが指さすほうを見ると、海面近くを青白く光る魚の群れが素早く移動しているのが見えた。

 よく見ると、船のまわりがあちこち光っている。

 魚はときどき海面から大きく跳ねて、きらきらと光をまき散らしながら、かなり高くまで飛び上がった。


「へえ、すごいな! こんな魚がいるなんて知らなかった!」

 神秘的な光景に、グウも思わず感嘆の声を上げる。


「ヒカリトビウオは、ガザリア海だけに生息する珍しい魚で、繁殖期になると、こうやって発光するんです」

 ギルティが解説した。


「ふうん。お前は何でもよく知ってるなあ」


「いえ、そんなことは! 海の生き物はあまり詳しくないですし」

 ギルティは顔の前でブンブンと手を振った。


 今夜の彼女は、いつもとだいぶ印象が違った。


 白いヒラヒラした寝間着は、ネグリジェというのだろうか。

 キッチリした制服姿を見慣れているせいか、新鮮すぎて何だか落ち着かない。微妙に胸元がゆったりしているのもあって、妙にドキッとさせる。


(お嬢様って、こんな格好で寝るんだ……!)


 それに、髪型が変わるとだいぶ雰囲気も変わる。髪をおろしていると、少し大人っぽいというか、より女性らしい感じがした。


(これはこれで可愛いけど。あ、可愛いとか思っちゃった。いや、べつに思ってもいいか……)


 何だか調子が狂う。

 少し前の、あの飲み会のあとから、妙に彼女を意識してしまっている気がする。


 彼女は何も覚えてないと言ったけど……

 でも、もし本当は覚えていたとしたら……あんなことや、こんなことを、どう思っただろう――というのは、ずっと心配ではあった。


 ふいにヒカリトビウオの群れが大きく跳ねて、二人がいるデッキの上を飛び越えていった。

 驚くべき跳躍力。

 頭上で青白い光がまたたいて、まるで夜空に光の橋が架かったみたいだった。

 二人は同時に、わっと声を上げ、しばらくその魚が作り出す幻想的な光景に見入った。

 空は満点の星空。だだっ広い海の真ん中で、今は完全に二人きりだ。


「そういえば、隊長はこんな時間に何を?」

 ふとギルティがたずねた。


「ああ、ちょっと眠れなくて。外の空気を吸いに」


「何か気がかりな事でも?」

 彼女は心配そうな顔をした。


「いや、そういうわけじゃない。たまたま夜中に目が覚めただけだ」


「そう……ならよかったです。もし何かお困りのことがあれば、いつでもおっしゃってくださいね。私なんかじゃお役に立てるかわかりませんが」

 ギルティはそう言って、自嘲気味に微笑んだ。


「ありがとう……」

 天使なのかな?

 服装もあいまってリアルに天使に見えた。

「そんなこと言ってくれるのはお前だけだよ、マジで」


「わ、私にできることなんて、たかが知れてますがっ」

 ギルティはもじもじしながら言った。


「そんなことないよ。十分支えられてるし。それに、なんていうか……お前が横に居てくれると、気分が明るくなるというか。俺は基本的に魔族はクソだと思ってるけど、でも、お前を見てると、魔族も捨てたもんじゃないって思えるからさ」


 ギルティはちょっと顔を赤くしながら首をかしげた。

「そ、そうでしょうか……私としては、もっと魔族らしくなりたいですが」


「そのままでいいよ。そのままがいい」

 グウはそう言い切ると、ふっと笑った。

「良かった。俺、お前に嫌われたのかと思ってたから」


「な、なんでっ。そんなワケないじゃないですか!」

 ギルティは大きな目を見開いて、真剣な顔で否定した。

「むしろ、私のほうこそっ、あんな……」

 そこで彼女はハッと口を押えた。


(あんな? あれ、記憶ないんじゃ……)

 と、グウが思ったそのとき。

 ちょうどヒカリトビウオの群れが高く飛び上がり、船のデッキを飛び越えて、頭上に光のアーチをつくった。

 しくもロマンティックな情景が展開され、グウはまた少し緊張した。


「わ、私……」

 と、ギルティは顔を赤らめながら口を開いた。

「私、本当はあの時のこと――ふぁ、は、くしゃみ出そうッ」

 彼女は両手を顔の前でパタパタさせた。

「へっぶひにゃんッ」


「どんなくしゃみだよ」


 ギルティはくせが強すぎるくしゃみを聞かれて恥ずかしかったのか、両手で顔を覆って、耳の先まで赤くしていた。


 そろそろ寒くなってきたね、ということで、二人はまもなく部屋に戻った。


 そう簡単にロマンティックな展開にはならない。



* * *



 翌日。

 10日の朝。


 水平線の上にダリア半島が見えてきた。

 予定よりも早く着くという。


 青い海と、温暖な気候。

 高級ホテルが立ち並ぶ、人気のリゾート地。


 一見、魔族がいるなんて思えない、陽気で穏やかな土地だが、南部のオレンジハーバーと呼ばれる地域まで行くと様子は一変、フェンスが張り巡らされ、銃を持った兵士がパトロールをしている。フェンスの向こうは完全に魔族に占領されていて、立ち入り禁止区域なのだという。

 しかも最近では、周辺の地区にまで魔族が出没するようになり、市民が殺傷されるなどの被害が後を絶たない。

 そのせいで、ダリア市の観光客は年々減少しているらしい。


「おや。何だろう、あれは」

「うじゃうじゃ集まってるね」


 グウが二階の通路を歩いていると、ゼルゼ隊員とフェアリー隊員の変態コンビが窓をのぞき込んでいた。


「おい、お前ら。そろそろ降りる準備しとけよ」

 グウが声をかけると、


「隊長、ちょっと見てよ。何だか港が騒がしいよ」

 フェアリーがもちもちした手で手招きした。


「ん?」

 グウが窓をのぞくと、波止場はとばに人間たちが集まっていた。彼らはプラカードやはたをかかげながら、口々に何か叫んでいる。


「吾輩たちを歓迎しているのかな?」と、ゼルゼが窓に顔をひっつけた。


 グウも目をらしてプラカードの文字を読んでみた。


『魔王入港反対』

『魔王の入港を許すな』

『魔族は出て行け』

『魔界に帰れ』


「あらぁ……」

 歓迎されるなんて甘い期待はしていなかったが、思った以上に嫌われているようだ。

 黄金の牙のせいで、魔族のイメージがより悪くなっているのかもしれない。


「お前らのためにわざわざ来てやったっていうのに、失礼しちゃうね、まったく。全員食ってやろうかな」

 フェアリーが物騒ぶっそうなことを言った。


 そんなふうに窓を見ながら話していると、ふらりと魔王が姿を現した。


「何を見てるんだ?」


「わっ、魔王様」

 焦るグウ。


「魔王様、ご覧ください。人間どもが魔王様に不敬な態度を。大砲でも撃ち込んでやりま――ベボッ」


 ゼルゼは話の途中でグウに殴られた。


「あ、あんまり見ないほうがいいと思いますよ。見たっていいことないです」


「え……何その、エゴサしないほうがいいみたいな忠告……てか、どうせ着いたら見えるし」

 魔王はそう言って窓をのぞき込んだ。


『魔王の上陸を拒否します!!』

 という横断幕が目に入った。


「…………」


「魔王様、お気になさらず。全員が同じ意見じゃないですよ、きっと!」


「べ、べつに。気にしてないけど? 嫌われてるの知ってるし。どうせ俺なんか悪の親玉だし。世界一の嫌われ者だし」


「ま、魔王様……」


「あ、見て! テレビカメラも来てる!」

 フェアリーがはしゃいだ声で言った。


「なにっ、カメラだと!?」

 魔王の顔色がさっと変わった。

「まずい……テレビに顔を映されたら……」


 魔王の頭の中に、一気に不安が押し寄せる。

 万が一、セイラがそのテレビ番組を見たら……自分が魔王だとバレてしまう。

 バレたら、どうなるか……考えただけでも恐ろしい。

 ここの住民たちに拒絶された直後だから、なおさら恐ろしかった。


 考え込む魔王を見て、グウも同じ考えに思い至った。

「しまった。そこんとこ考えてなかった」

 と、頭をおさえる。


 作戦上、報道されることはわかっていたのに、魔界には『テレビ中継』も『ニュース番組』も無いため、具体的な想像がぜんぜん働いてなかった。

 たしかに、セイラのことを考えると、カメラに映されるのはまずい。


「ていうか、お前もセイラに顔見られてるじゃん! 絶対カメラに映るなよ! お前だけじゃない、ギルティもビーズもザシュも……」

 彼らが魔族だとバレたら、芋づる式に自分も魔族だとバレるかもしれないと魔王は思った。


「テレビに映ると何か問題でも?」

 状況が飲み込めないゼルゼ隊員がたずねた。


 そのゼルゼ隊員の緑色の顔を、魔王はまじまじと見つめたかと思うと、

「おい! そのサングラスをよこせ!」

 と、彼のサングラスに手をかけた。


「ちょ、待って、いやぁ! 目はコンプレックスなのよぉ!」

 ゼルゼは情けない声を上げながら、サングラスを必死に押さえた。

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