第72話 聞いてない

 夕食の時間まで各自、船室で休息するように。


 そのように指示したはずだったが、日が傾き始めた頃には、退屈した隊員たちが、デッキに出て遊びはじめた。


「ジェイルさん、待ってー! そんなに走り回ったら海に落ちちゃいますよー!」

「ハハハハ、副隊長も転んで海に落ちないように!」


 夕日が海に照り映える中、デッキを走り回る犬のジェイル隊員と、その犬とじゃれあうギルティ。

 そして、それを父親のように優しく見守るガルガドス隊員。


(何だ、この平和な光景は……)


 艦長と話をするために操舵室までやってきたグウは、思わず足を止めた。

 デッキには、ほとんどの隊員がいて、マストによじ登ったり、鬼ごっこをしたりしていた。


(なんでアイツらあんなに元気なんだ……)


 グウが呆気あっけに取られていると、目的の操舵室から、なぜか魔王が出てきた。


「あれ、魔王様? 何でこんなところに」


 魔王はやや気落ちした顔で、こう答えた。

「ダメもとで艦長にWi-Fiが使えないか聞きに来たけど、無理だって言われた」


「わいふぁい……って、電波でしたっけ? まさか、パソコン持ってきたんですか?」


「いや、さすがにパソコンは置いてきた。せっかくスマホ買ったから、船内でネットができればと思ったんだが」

 魔王はそう言って、ガウンのポケットからスマートフォンを取り出した。


「え!? スマホ買ったんですか!? いつの間に?」


「ダリア遠征が決まったあと、シレオンに契約してもらった。これで移動中でもセイラのSNSがチェックできると思ったのに……ダリア市に着くまでは使えそうにないな」

 魔王はため息をついた。


「…………」

 人間界のテクノロジーを、家来の誰よりも使いこなしている魔王に、感心していいのか、呆れていいのか、グウには分からなかった。


「あ、魔王様だ! 魔王様ー!」


 ザシュルルト隊員が、魔王の姿に気づいて駆けよってきた。


「おおっ、スマホ持ってるじゃないっすか! すげえ!」


「あ、うん。買った」


「いいなあ!! 俺も欲しいなあ! やっぱ推し活するのにスマホ持ってないとキツいんすよねぇ」


「……じゃあ、お前のぶんも頼んどいてやろうか?」


「いいんすか!?」

 ザシュはキラーンと目を輝かせた。


「うん。まあ、魔界はほとんど圏外だけど……」


 魔王の言うとおり、魔界で電波が入るのは、魔王城周辺と王都ドクロアくらいである。


「ていうか、推し活って……お前、新しい推しができたのか?」


 魔王がたずねると、ザシュは複雑な表情で唇を噛みしめた。


「しばらくリナのこと引きずってましたが……俺、前に進むことにしたっす。最近、新しい現場に行きはじめたっす……!」


「そうか……」

 魔王も複雑な表情でうなずいた。

 二人して、何かとびきり深刻な議論をしているかのような雰囲気。


「でも、チェリクラを忘れたわけじゃないっすよ。リナは永遠に俺の推しっす……!!」


「ザシュ、お前……!!」


 キラキラした視線を交わし合う二人。


(いつの間にか、アイドルオタク同士の絆が深まってる……)

 グウはまたしても、感動していいのか呆れていいのか分からなくなった。


「あれ? あんなところにビーズ先輩が」


 ザシュの視線の先には、さくに寄りかかって夕日を見つめるビーズ隊員の姿があった。そこはかとなく憂いのある表情を浮かべている。


「あいつ、もしや、まだエレナのことを……」

「喪失感から立ち直れてないんすね、きっと」


 二人のオタクが近づいていって、後ろから同時に肩を叩いた。


「えっ、魔王様!?」

 ビーズはぎょっとした顔で振り返った。


「元気を出せ」

「そうですよ。一緒に新しい現場に行きましょう、先輩」


「いや、あの、べつに落ち込んでませんし。それに、俺はもうアイドルは……」

 ビーズは戸惑いつつ、悲しげに視線を落とす。


「そう……だよな……すぐに切り替えろとは言わん」

 自分の推しは健在なだけに、魔王は少し心苦しそうな顔をした。


「いや、セイラは別ですよ! これからも当然、ライブのお供はさせていただきます!」

 ビーズは慌ててそう言った。


「いや、しかし……」


「当たり前じゃないっすか、魔王様! 俺たちだって、セイラのことは今後も応援し続けたいんすよ!」


「ええ、そうです! セイラにはこの際、二人のぶんまでのし上がってほしい! 行けるところまで駆け上がってほしい!」


「お前たち……!!」

 魔王は心を打たれたような顔をした。


(仲いいな、アイツら……)

 と、グウは思いながら、彼らを横目に操舵室に入った。


 デッキでは、三人組の会話が続く。


「でも、せっかく魔王様が作戦に参加するってのに、魔王様が戦うところが見られないのは残念っすね」

「たしかに。魔王様の戦いぶりをこの目で見ておきたかったです」


 二人の隊員の言葉に、魔王は首をかしげた。

「ん? 見ればいいじゃん」


「え? だって戦わないんですよね?」


「あれ? 戦うって聞いてるけど?」



 * * *



「少し風が弱いが、このぶんだと予定通り、明日の昼には着くでしょう」


 髭面ひげづらの艦長は言った。

 彼はガルガドス隊員やカーラード議長と同じ、赤黒い皮膚をした、体の大きな種族だった。


「しかし、討伐作戦は12日の予定なんでしょう? しかも脅すだけで、実際には戦わないとか。2日も前に現地に着く必要はあるんで?」

 艦長は前方の海を見つめたまま、グウにたずねた。


「ええ。戦わずに勝つことが目的ですが、そのためにも、少し早めに現地入りする必要があるんですよ」

 グウはそう答え、作戦内容を艦長に説明した。

「すでに敵に退去命令は出していて、攻撃予定日は12日と伝えてあります。が、盗賊共は本当に魔王様が来るとは思ってないでしょう。そこで、10日に現地に入り、魔王様が来たことをメディアに大々的に報道してもらいます。そうすれば、敵の大半が期限の12日までにダリア市から逃亡するだろうという算段です。奴ら、船はかなりの数を持っているようですしね。八角のダブだって、魔王様との戦闘は避けたいでしょう」


「ふうん。逃げる余裕を与えてやるってことですか」

 艦長はそう言って、フサフサした髭を撫でた。



 艦長との話を終えて操舵室から出ると、なぜかバタバタと隊員たちが駆けよってきた。


「隊長! 黄金の牙と戦うんですか?」


「へ?」


「敵を壊滅させるって、本当ですか!?」

「盗賊共を皆殺しにしていいんすかっ?」


「ちょ、ちょっと待て! 何の話!?」



 * * *



 グウは船内を足早に歩いて、デュファルジュ元老の船室に向かった。

 ガンガンガン、と荒っぽいノックをしてから、勢いよくドアを開ける。


「おい!! どういうことだ、クソジジイ! 黄金の牙を壊滅させるって、聞いてないぞ、そんな話!」


 広々とした部屋の中には、豪華なテーブルセットがあって、デュファルジュ元老とドリス隊員がソファでくつろいでいた。


「そうなの? おじいちゃん」

 ドリスも初耳のようだった。


「あ、聞いちゃった?」

 デュファルジュ元老はぺろりと舌を出した。


「聞いちゃった、じゃねーよ!! どういうことか説明しやがれっ……してください!」

 グウは元老の透明な頭をかち割りたくなる気持ちを、ギリギリのところで耐えた。


「だって、せっかく盗賊を追い払ったって、ワシらが帰ったあとに、またダリア市に戻ってきちゃったら意味ないじゃろ? のお、ジムノ課長」


「おっしゃる通りで」


 急に背後から声がしたので、グウは飛び上がるほど驚いた。


「うわっ、びっくりした! いたんですか!?」

 振り返ると、グウが開けたドアと壁の隙間に、諜報課のジムノ課長がすっぽりと挟まっていた。


「いましたよ、あなたが来る前から、ずっと」

 ジムノ課長は抑揚よくようのない声で言って、隙間からスッと出てきた。


 おそろしい細さだった。

 正面から見ると、幼児ほどの肩幅しかない。

 そのうえ体が異様に薄いので、横から見ると、ほとんど棒のように見える。


(ほっそ……!!)

 何度見ても、彼の細さには驚愕してしまう。

 そして、まったく生物の気配を感じなかったことも、グウには軽く衝撃だった。


「あなたは知ってたんですか、ジムノ課長」


「ええ、まあ」

 グウの問いに、ジムノ課長は当たり前のように答えると、デュファルジュ元老のほうを見て、こう言った。

「ちょうどいいので、グウ隊長にも説明しておきましょうか。本当の作戦について」


 そうして、彼の口から「本当の作戦」が語られた。

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