第71話 出航

「みんなも知ってる通り、今回のダリア討伐作戦には、魔王様が正式に参加される。つまり、国家プロジェクトだ。今までのお忍びライブ鑑賞とはワケが違う。みんなにも緊張感を持って臨んでもらう必要がある」


 グウはホワイトボードの前に立ち、隊員に向かってそう呼びかけた。


 彼の言うとおり、ダリア討伐作戦は、多くの魔族・人間が関わる一大プロジェクトだった。

 親衛隊は全員出動するし、ほかにも大勢の従者――デュファルジュ元老や、外交課や諜報課のメンバーも同行することが決まっている。


「さて、ここで問題です。魔界で一番重い罪は何でしょう。はい、ザシュルルト君、答えて!」


 グウがいきなり指名したので、ザシュルルト隊員は「ふぇっ!?」と変な声を上げた。


「え、えーと、うーんと……食い逃げ?」


「違いまーす。ビーズ君、わかる?」


「えっ」

 ビーズ隊員は自信なさげに「さ、殺人ですか?」と答えた。


「はずれ。殺人は罪になりません。魔族同士の殺し合いなんて日常茶飯事だから、いちいち罪に問われない。あ、でも貴族とか政治家とか、偉い人を殺した場合だけ憲兵に捕まるから気をつけてね。正解は……」


 グウはホワイトボードの板面をくるりと裏返した。

 そこには、


『コンプライアンス研修 ~反逆罪に問われないために~』


 という文字が書いてあった。


「正解は、反逆罪です! つまり魔王様に刃向かうこと。これが魔界で一番重い罪だ。問答無用で死刑になる」


「ふえー」「そうなんだ」「厳しいなあ」

 と、口々につぶやく隊員たち。


 一般常識だと思っていたギルティは、そんな仲間の反応に面食らった。


「そう、厳しいんです。しかも適用範囲が広い。魔王様に危害を加えることはもちろん、魔王様を危険にさらすような行為も、すべて反逆罪と見なされる可能性がある。今回みたいに魔王様が出陣する戦場で、敵に寝返ったりしたら当然アウトだし、利敵行為――つまり敵と内通したり、敵に作戦を漏らしたり、わざと負けたり……そういうのも全部アウトです!」


 グウは指示棒でホワイトボードをビシっと指した。

 そこには、決して上手いとは言えない字で、いろいろと禁止行為が書き連ねてあった。


「そうだな、過去の例でいえば、――昔、人間界との戦争中に、命令に背いてわざと敵を逃がした男が、反逆罪で死刑になりかけたことがあったっけ」


「それ、隊長じゃん」

 と、ドリス隊員がツッコんだ。


「隊長なんですか!?」

 ギルティが仰天して叫んだ。


「うん、まあ俺なんだけど。だから、お前らが同じてつを踏まないように、こうやって注意喚起してるワケよ。てことで、うっかり罪に問われないためにも、不用意に敵と接触しないように! いいか、お前ら、ダリア討伐は遠足じゃありません! 気を引き締めて任務にあたりましょう!」


 隊員たちは「ハイッ」「はいはーい」「了解!」と、元気でバラバラな返事をした。



 そして、ついに出発の日がやってきた。



 * * *


 

 9日の朝。

 噴水のある七色広場には、見送りの家臣たちがずらりと並んでいた。


 音楽隊が荘厳な曲を奏でる中、人垣の前を魔王一行がゆっくりと進んでいく。

 この日、初めて魔王の姿を見たという家臣も多く、みんな興味津々の様子だった。


 魔王は、この日はさすがにオタク風チェックシャツではなく、魔王軍の軍服に似た、黒い詰襟つめえりの服を着て、黒い毛皮のガウンを羽織っていた。

 大勢に見られているせいか、彼はいつも以上に硬い表情で、顔面蒼白だった。はやくもダリア行きを承諾したことを後悔している、という顔だ。


 そして、その魔王を取り囲んでいるのが、紺色の制服に黒いマントを羽織った魔王親衛隊である。

 似合わないという理由から、いつもマントを羽織っていないギルティも、この日は正装で参加していた。

 思いのほか厳粛な雰囲気に、彼女は緊張と不安が入り混じった気持ちで、前を歩くグウの背中を見つめた。

 彼は隊長らしく、堂々と落ちついて歩いているように見えた。


 ――が、

 実際には、グウは苦渋に満ちた顔で、胃痛をこらえながら歩いていた。


(ザシュめ……あれほど制服を初期状態に戻しておけと言ったのに……!)


 唇を噛みしめるグウの斜め後方には、派手にアレンジにされた制服を着て、笑顔で両手を振りながら歩く、ザシュルルト隊員の姿があった。制服はむしろ昨日よりもジャラジャラしているように見える。


(ほら、みんな変な目で見てるじゃねーか。後でぜったい怒られる……俺が)

 グウはすでに心労を溜め始めていた。


 トランペットが高らかに鳴り響き、ギイイイイッと城門が開いた。


「行くぞ」

 グウが隊員に声をかけると、

「はっ」

 と、全員がビシっと敬礼をした。


 隊員たちはウキウキだった。

 実際に戦闘はしないとはいえ、彼らにとっては、初めての魔王親衛隊らしい仕事なのだ。



 * * *



 一行はまず車を南に走らせ、マルゼントという港に向かった。そこから船に乗ってガザリア海を横断し、ダリア市に入る予定だ。


 魔界の門を通って人間界に入り、陸路を進む選択肢もあったが、「騒ぎになるから通らないで欲しい」と各都市から通行を拒否されてしまったし、そもそも海を直進したほうが近い。


 正午。

 魔王一行がマルゼント港に到着すると、そこには黒い木造の帆船が停泊していた。


「うおぉ船だぁ!!」

「でかい!」


 車を降りた隊員たちは、巨大な船を見上げて感嘆の声を上げた。


 戦艦ブラック・カトラス。

 魔王軍が所有する唯一の軍艦である。


 といっても、魔界で造られた船ではなく、ヴァルタ王国の戦艦を鹵獲ろかくして改造したものだ。

 残念ながら、このような戦艦を造る技術力は魔界にはない。そのため、200年以上前に建造されたこの船を補修しながら使い続けているのだ。

 ただ、使うといっても、海戦に用いられることはほとんどなく、もっぱら物資の輸送に使われ、その主砲は100年以上火を噴いていない。


 船は四階建てで、個室や食堂もあった。

 今日はこの船で一泊し、明日の昼にはダリア市に到着する予定だ。


 荷物の積み込みも終わり、一行は船に乗り込んだ。


 ギルティは甲板からマストを見上げて、その高さに圧倒された。

 船旅は初めてなので、ドキドキだ。

 あとで探検したい……と、胸を弾ませた直後、

(――って、遠足じゃないって隊長に言われたでしょ。何を浮かれてるのよ、ギルティ!)

 我に返った彼女は、両手でペチペチとほほを叩いた。



 少し曇った空の下、波は静かだった。

 まもなく汽笛が鳴り響き、船は人間界に向けて出航した。

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