第68話 ダリア条約

 グウは嫌な予感がしていた。


 電話で呼び出された場所――外交課の応接室に向かいながらも、その足取りは重かった。

 外交課という普段絡みのない部署が絡んできた時点で、もう面倒な予感しかしない。


(面倒な仕事を押し付けられそうだったらキッパリ断ろう。来月、俺は休みを取るんだ)


 グウはそう決意を固めて、応接室のドアをノックした。


「待ってたよ、隊長」


 ドアを開けたのは、黒髪ロングヘアに猫耳が印象的な、魔王親衛隊のドリス隊員だった。制服もスカートだし、相変わらず女性にしか見えない。


 部屋の中にいたのは、外交課の課長と、魔王の相談役であるデュファルジュ元老、そして、元老の警護を担当しているドリス隊員の三名だった。


「よく来たな、グウ。まあ、かけるがよい」

 豪華なビロード張りのソファに腰かけたデュファルジュ元老が、しゃがれた声で促した。


 デュファルジュ元老は、かなり特徴的な見た目をしている。

 まず、ひたいから上の部分が透明なドーム状になっていて、脳味噌が透けて見えているし、ブヨブヨした薄紫色の皮膚や、白く濁った目もなかなかに不気味である。

 腰の曲がった小柄な体にはフィジカル的な強さはないが、政治的にはカーラード議長に並ぶ権力を持っている。


 というのも、魔王デメは政治的な判断をすべてこの元老に丸投げしているので、議会が決めた法律に署名するとかしないとかも、ぜんぶ彼が決めている。

 なので、議会がGOと言っても、デュファルジュ元老がNOと言えば、それまでなのだ。

 それもあって議会のトップであるカーラード議長とはめちゃくちゃ仲が悪く、常に彼から命を狙われている。


「なんでしょうか。折り入って頼みたいことって……」

 グウは警戒しながらドリスの隣に腰を下ろした。


「ふむ。単刀直入に言うが、お前さん、ちょっと親衛隊を連れて、ダリア市に行ってくれんかの?」


 予想外の話に、グウは一瞬ポカンとした。


「はい? なんで? ダリア市って、人間界の? 昔、ダリアのとりでがあった、あのダリア市ですか?」


「そうです」と、外交課のゴゴン課長が答えた。「ダリア市はヴァルタ王国――現在のヴァルタ共和国の南西部、ガザリア海に面した都市で、リゾート地としても人気ですが、一部の地域が長年にわたって魔族に不法占拠されていることが問題になっている場所でもあります」


「はあ……」

 グウはイマイチ話が見えなかった。


「お前さん、ダリア条約のことは覚えておるかの?」

 デュファルジュ元老がたずねた。


「ダリア条約? あれ? 何でしたっけ、それ」

 グウはポリポリと頭をかいた。


「ほら、前に通信会社の人間が来たではないか。光ファイバーの件で」


「ああ、はいはい! 思い出した」

 

 ダリア条約とは、ダリア市の一部を不法占拠している魔族を魔王軍が討伐するかわりに、魔界に光ファイバーを引くための資金をダリア市が援助してくれるという条約である。

 少し前に、通信会社の人間が魔王城まで打ち合わせに来たが、運悪くシビト子爵家の葬儀に巻き込まれてしまい、体調不良で帰って行った。


「そういえば、ぜんぜん工事とか始まらないけど、どうなったんですか?」


「それなんですよ、グウ隊長……!」

 外交課のゴゴン課長がグワッと身を乗り出してきた。


 ゴゴン課長は緑色の皮膚をしたオーク風の巨人である。スーツがはち切れそうなほどマッチョなので、近づかれると圧がすごい。


「じつは、光ファイバー敷設の条件であるダリア市の魔族討伐がまったく進んでいないため、いつまで経っても工事をしてもらえないのです。何度も南方司令部に催促さいそくしているのですが、どうも軍はやる気がないようで……人間側からも、いつ討伐が完了するのかと、事あるごとに圧をかけられて……もう、参っているんですよ、ほんと……」

 ゴゴン課長は頭を押さえながら言った。


「というわけだから、かわりに親衛隊で退治してきてくれんか? 来月の12日に決行ということで、人間側と調整中じゃ」


「はあ!? 何で俺たちが! 嫌ですよ!」

 グウは叫んだ。

(12日だと!? ふざけるな……その日は……その日は、休暇取得の唯一のチャンスなんだ!!)

「軍の仕事なんだから、軍の中でどうにかしてくださいよ。南方司令部がダメなら、中央司令部に言ったらいいじゃないですか」


「とっくに言いましたよ!」

 ゴゴン課長はクワッと目を見開いた。

「でもベリ将軍から『わかった』と返事があったきり、何の動きもなく……そのまま北部遠征に行ってしまって、しばらく帰ってこないんですよ……!」


「そもそも、この件には軍は消極的なんじゃよ」と、デュファルジュ元老。「軍だけじゃない。ダリア条約の締結は、議会でも反対意見が多かったからの」


「そうなんですか? だいぶ魔族側にお得な条約に思えますけど……」

 グウは首をかしげた。


 自国のならず者を取り締まれていない魔界と、その被害を被っている人間界。

 人間側からしたら、なんでそんな野蛮な魔界のために、光ファイバーなんぞ引いてやらなきゃならんのだ――って感じだろう。


「もともとダリア市は、200年前の戦争で魔族が人間から奪った土地ですからね。戦争終結後に返還されましたが、住み着いた魔族が出て行かないまま今日に至っています。魔族の伝統的価値観では“奪う”のは美徳。返す道理がないという意見が根強くありまして」

 ゴゴン課長は困り顔で言った。


「そうそう。それで人間のために同胞を討伐することに、カーラードをはじめ魔族至上主義者の連中がこぞって反対しておっての」

 デュファルジュ元老が面倒くさそうに言った。


「じゃあ、魔族討伐に行ったら余計にカーラード議長ににらまれるじゃん。やっぱり嫌です」


「大丈夫、大丈夫、そこはワシがフォローするから、安心して行って来るがよい。ダリア市はいいところじゃよ? 暖かいし、海もあるし。ねえ、行きたいよね、ドリスちゃん?」

 元老は急に甘えたような声を出した。


「うん、行きたーい。もうデュファルジュのおじいちゃんの警護するの飽きたー」

 ドリスは笑顔で言った。


「えー。ひどーい」


 元老の猫なで声に、グウは虚無の表情を浮かべる。


「おい、観光旅行じゃねえんだぞ、ドリス」

 グウはそう言ったあと、ジトッとした目で元老をにらんだ。

「俺は嫌ですよ。悪いけど、アンタは信用できないんだよ、デュファルジュ元老。フォローするとか言ってますけどね、200年前のダリアのとりででのこと、俺はまだ忘れてませんからね」


「ギクッ」


「あの夜、アンタとカーラード議長との間で板挟みになった末、アンタの命令に従って、砦から人間を逃がし、和平に協力したのに、そのあと守ってくれませんでしたよね?」


「そうなの? おじいちゃんひどーい」

 ドリスが心のこもってない声で言った。


「うぐっ」と、目をらす元老。


「俺はあのあと、ブチ切れたカーラード議長にボコられた挙句、反逆罪に問われて、処刑台まで行ったんだからな」


「いやでも、助けたじゃん。最終的に」


「ギリギリ過ぎなんだよ! もう『最後に言い残すことは?』のインタビュー始まってたからね!?」

 グウはそう叫んだと、ムスッと腕を組んだ。

「とにかく俺は行きませんよ。来月は忙しいんです」


「そう言わずに! どうかお願いします、グウ隊長。あなたの力が必要なんです!」

 ゴゴン課長が懇願するように言った。


「いや、俺じゃなくてもいいでしょうよ」


「よくないんですよ! なにせ今ダリア市にいる最大勢力は『黄金の牙』という最強最悪の盗賊団。その頭があの『八角のダブ』なんですから」


「八角のダブ……聞いたことあるな。なんか昔からマイペースに盗賊やってる人ですよね? 魔王も戦争もガン無視で、我が道を行く感じの……」


「はい。権力に無頓着むとんちゃくなため、歴史の表舞台には登場しませんが、いにしえの魔族で、実力は四天王クラスだと言われています」


「うわ……絶対戦いたくない。嫌だ、行きたくないっ!」

 グウは両手で頭を抱えて嫌がった。


「大丈夫だ。戦う必要はない」

 デュファルジュ元老が言った。


「え? どういうこと?」


「戦わずして勝つ方法がある」

 元老は白濁した目を細め、不気味な笑みを浮かべた。

「魔王様に御出陣いただくのだ」


「はい?」


 何言ってんだ、このジイさん。

 あの引きこもりが行くわけないだろ、とグウは思った。

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