第66話 波紋

 帰りの車の中で、魔王はいつものように小型ゲーム機で遊ばずに、ぼんやり窓の外を見ていた。

 着ているTシャツとジーンズは、ギルティが近くのショッピングモールで買ってきたものだ。


「グウ」

 と、ふいに彼は呼んだ。

「しばらくの間セイラに護衛をつけようと思う。諜報課に話を通しておけ」


「諜報課ですか?」


「ああ。こちらを監視していた魔族のことが気になる。セイラの周囲で不穏な動きがないか探らせたい。危険がないとわかり次第、護衛はすみやかに解除する。あまり監視するようなマネはしたくない……」


「承知しました」

 グウはうなずいた。


 諜報課と聞いて少し意外に思ったが、たしかに人間界に長期間潜伏するなら、親衛隊の誰かに任せるより、諜報課のほうが適役かもしれない。

 というか、よく考えると親衛隊で任せられそうな隊員がいなかった。

(あいつらじゃ、二、三日で正体バレそうだもんな……)


 とはいえ、グウは諜報課の課長とは、あまり親しくない。


「ギルティ、お前、元諜報課だったよな? 諜報課のジムノ課長ってどんな人だ?」


「ジムノ課長ですか?」

 運転席のギルティがバックミラー越しにグウを見た。

「うーん、そうですねぇ。ちょっと不愛想だけど、冷静で合理的で、信頼できる方ですよ」


「そっか。よかった」


 どうか、これ以上ややこしいことになりませんように――とグウは祈った。



 こうして、セイラのストーカー騒動は、一握りの謎と不安を残したまま幕を閉じたのだった。



 ちなみに、チェリー☆クラッシュの解散ライブは、その後、無事に開催された。


 もちろん、そこにはリナの姿もあった。

 三人の間にどんなやりとりがあったのかは定かでないが、彼女は最後までチェリクラのリナとして舞台に立ち、ファンに向かって挨拶をした。


「私が最後までアイドルでいられたのは、ファンの皆さんとスタッフさん、そして何よりここにいるメンバーのおかげです! いつかまた二人に胸を張って会えるように、しっかり前を向いて歩いて行きたいです!」


 そして、最後は三人で手をつないで観客にお辞儀をした。


 割れんばかりの拍手と声援の中で、チェリー☆クラッシュはその活動に幕を下ろした。

 三人で歩んだ冒険の旅は終り、これからは別々の道を歩いていく。

 ファンは号泣しながら、その新たな旅立ちにエールを送った。


 そして、その号泣するファンに混じって号泣する三人の魔族――眼鏡と坊主とオタク少年――がいたことはあまり知られていない。



 * * *



 セイラの警護が諜報課に正式に要請された翌日。

 諜報課長ジムノは、王都ドクロアを訪問した。


「正式に警護の要請が来ましたので、明日にも二名の諜報員が人間界に派遣されます」


 無機質な声でジムノは言った。

 彼は、ひどく痩せた細長い体と細長い顔を持ち、灰色の皮膚をした、枯れ枝のような魔族であった。


「愚かな」

 相手は万年筆を走らせる手を止めて、深いため息をついた。

「まさか、そこまで人間の娘に入れ込んでいようとは……」


「我々も不本意ではありますが、かといって、警護中に何かあれば私の責任問題。どうか対象へは手出しされませんよう、お願い申し上げます。カーラード議長」


「言われなくとも、わかっている」

 大きな革の椅子に腰かけて、カーラードは苦々しそうに言った。

「もはや、その娘を殺す殺さないの段階ではなくなった」


「というと?」


 広々とした魔界元老院の議長室には、彼ら二人しかいなかった。

 そこに、カーラードの低く重たい声が響く。


「魔王デメの時代はもう終わりだ」


 ジムノは予期していたのか、その糸のように細い目には、動揺は見られなかった。

「ご決断なさるのですか」


「仕方あるまい」

 カーラードは再び万年筆を取り、憎々しげにこう言った。

「あれだけ人間と距離を置けと、グウにも釘を刺していたというのに……あの役立たずめ」


「むしろ、グウ隊長が人間との交流を促進しているのかもしれません。その証拠に、魔王親衛隊の隊員が、“布教”などと言って人間界のCDを配り歩く姿が目撃されています」

 ジムノは乾いた声で淡々と述べた。

「200年前の戦争終結時の立ち回りといい、グウ隊長は親人間派とみて間違いないかと」


 メリッ、とカーラードの握る万年筆がきしんだ。


「グウめ……やはり、あのとき反逆罪で処刑しておくべきであった」

 彼は低い声に怒気をにじませた。

 メリメリと、手に力がこもる。

「一刻も早く始末せねばならん……!」


 バキンッと万年筆が砕ける音が響いた。





《Case7 END》

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