第65話 不安の先へ

 魔王が川に落ちた。


「魔王様!!」

「デメさん!?」


 慌てて橋の下をのぞき込むグウたち。

 大きな黒い川の水面には、魔王の姿は見当たらなかった。


 これには、リナも「うそ……」と、口をおさえた。

 まさか自分の行動がこんな事態を引き起こすなんて、彼女も想像しなかっただろう。


「ど、どうしよう……誰か、誰か!」

 セイラはパニックになりながら周囲に助けを求めた。

「きゅ、救急車、じゃなくて、レスキュー隊! レスキュー隊を――」「大丈夫! 呼ばなくていいから!」

 グウが慌てて止める。


 そのとき、ザパァンッと川岸の遊歩道の近くで水飛沫みずしぶきが上がり、水面から魔王が飛び出してきた。

 二メートルほど飛び上がった彼は、そのままさくを超えて遊歩道に着地した。


「デメさん!」

 セイラが駆けだした。


「良かった! 泳ぐの苦手なのかなって、一瞬心配しちゃった」

 ほっとした表情で、セイラに続くギルティ。


(若干、人間離れした動きだったけども……)

 と、思いながらグウも移動する。

 まあ、人前で魔法を使わなかっただけマシか。


 魔王はずぶ濡れの状態で、遊歩道をのそのそ歩いていた。


「デメさん! 大丈夫ですか!?」

 セイラが駆け寄った。


「あの、これ……」

 魔王が差し出した手には、チェキが入ったフォトフレームが握られていた。

「ちょっと中に水入っちゃったけど……」


 セイラは呆然ぼうぜんとそれを見つめた。

「なんで……」

 彼女の唇がわなわなと震える。

「こんなもののために……なんで? おぼれちゃったらどうするんですか!?」


「え?」

 急に怒られた魔王は目を丸くした。


「よかった……死んじゃうかと思った……!」

 セイラは差し出された魔王の手を、両手で包み込むように握ると、ぼろぼろと大粒の涙をこぼした。


「え、え、な、なんで泣くの?」

 急に怒られたうえに泣かれた魔王は、狼狽うろたえるしかなかった。

「ご、ごめん……大事なものだと思ったから……」


 セイラは魔王の手からチェキを受け取ると、涙に濡れた目でそれを見つめた。


「こんなチェキ一枚のために……こんな……」


 写真の中では、二年前の自分たちが、夢と希望に胸を膨らませてまぶしく笑っている。

 冒険が始まった日。

 三人でどこまでも行けると思った。


 ううっ、と嗚咽おえつが漏れる。

 彼女はそれをギュッと胸に押し当てると、今まで抑えていた思いが爆発したように、肩を震わせて泣いた。


 魔王はどうしたらいいかわからず、そばでオロオロするしかなかった。

 抱きしめる、なんて選択肢は、もちろん彼の頭にはない。ずぶ濡れだし。


「あ、リナさん……」

 ギルティが気づいて声を上げた。


 遊歩道の少し離れたところに、リナがじっと立っていた。


「リナ……」

 セイラは涙でぐちゃぐちゃの顔を上げた。


 リナはちらりと魔王の無事を確認すると、こちらに背を向けて立ち去ろうとした。


「待って!!」

 セイラが叫んだ。

「解散ライブは絶対やるから! ぜったい、三人でやるから!」


 リナは足を止め、背を向けたまま答えた。

「何言ってんの? 無理でしょ、こんな状態で。二人でやれば?」


「やだ!! だって私、解散ライブのために今日リナと話そうと思ったんだもん!」


「え?」

 リナが思わず振り返る。


「最後のステージに、モヤモヤした気持ちのまま上がりたくなかったの。だから今日どんな結果になっても、三人でライブするんだって決めてた」

 セイラは涙をぬぐいながら言った。

「リナが私のこと嫌いでもいい! だから、あと一回だけ全力でライブやろうよ! チェリクラは、三人でチェリクラだもん。三人じゃなきゃダメなの!!」


 リナは黙ったまま、うつむいていた。


「あ、の……リナたん……」

 魔王がビクビクしながら口をはさんだ。

「俺の家来、じゃなくて、友達が、あなたの大ファンで……だから、その、解散ライブ……見送らせてやってください、あいつに。あなたのこと」


 リナはぎゅっと唇を噛みしめた。

 そして、やはり何も言わずに、くるりと背を向けて歩き出した。


 カツカツとヒールの靴音が遠ざかっていく。


「ライブ出てくれるでしょうか、リナさん……」

 ギルティが心配そうにつぶやいた。


「出てくれます。リナなら、きっと」

 セイラは、リナの後ろ姿を見守りながら言った。

 それから、彼女はグウたちのほうに向き直ると、深々と頭を下げた。

「デメさん、グウさん、ギルティさん。いろいろ力になってくれて、本当にありがとうございました」


 ありがとうございました――と感謝を述べられて、グウたちは何とも言えない顔になってしまった。

 何だか、ほろ苦い結末だった。

 はたして本当に力になれたのだろうか。


「デメさん、ごめんなさい。服がずぶ濡れ……」


「あ、いえ、俺が勝手に飛び込んだんで」


「あの……ありがとうございました」

 彼女はほんのりほほを紅潮させながら、フォトフレームを両手でぎゅっと握りしめた。

「デメさん……私、助けてもらってばかりで、何もお返しできてないけど……でも、いつか売れっ子になって、それで、デメさんが困ったときは、絶対助けますから……!」


「え、いや、あの、おかまいなく」


「絶対お金貸しますから!!」


「あっ、はい……」


「本当は私……ソロになるの不安だし、将来のこと考えると怖くなるときもあります。リナの言う通り、順風満帆じゅんぷうまんぱんにいくワケないってわかってます」

 セイラは少し目を伏せて言った。

「でも、きっと見ていてくれる人がいるから。いいときも、ダメなときも……アイドル、セイラ・ピアーズの生き様を、誰かがきっと見ていてくれる。たとえリナが見ていてくれなくても」


 彼女は自分に言い聞かせるようにそう言うと、まっすぐにデメの目を見た。


「見ていてくれますか? デメさん」


 何か覚悟が決まったような、迷いが吹っ切れたような彼女の澄んだ瞳を、デメはとても美しいと思った。


「はい。必ず」

 彼は大きくうなずいた。

「最後までぜんぶ見届けます。アイドル、セイラ・ピアーズの歴史を」


 そう言うと、セイラは美しい目を細めて笑った。

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