第64話 セイラ

 最初は、野暮ったい田舎者だと思った。

 私のほうが可愛いなって、優越感に浸った。


 あの子が初めてウチに来たとき、まだ部屋は綺麗で、私のウサギの目覚まし時計をやたら気に入ってた。だから同じのをプレゼントしてやると、めちゃめちゃ喜んだ。

 なかなか可愛げのあるヤツだと思った。


 そして、そのうち気づいた。「持っている」のはセイラのほうだって。


 センターの座を奪われたときも、ただ仕方がないと思った。

 最初はポジション変更に文句を言うファンもいたけど、すぐにそんな声もなくなった。


 当然だ。こんなにひたむきに頑張ってる子を悪く言うなんて、正気じゃない。

 たぶん、チェリクラのファンでセイラを嫌いなヤツはいない。


 嫌われるのは、たいがい私。

 こんな性格だし、仕方がないと思った。


 セイラみたいな人間になりたかった。

 セイラみたいに努力したかった。


 けど無理だった。


 セイラは何も悪くない。

 ぜんぶ自分が悪い。



 なのに、なぜだろう。

 セイラが厄介なファンに粘着されて困ってるのを見て、私は……







 心の底から、安心した。



***



 隠れて見守るつもりが、盛大に見つかってしまい、グウは慌てた。


「みなさん、なんでここに!?」


 セイラは驚いた顔をしている。

 そりゃ驚くだろう。黙って勝手についてきたのだから。


「ごめん……じつは、心配でこっそり後をつけてきたんだ」

 グウは正直に白状した。


 バジルにオフショットを横流ししていた人物の投稿を見せたとき、セイラは明らかに何かに気づいた様子だった。

「ちょっと心当たりがあるから、本人に会って直接話を聞いてみる」

 彼女はそれだけ言って、その“本人”の名前を明かさなかった。

 エレナが問いただしても、

「ごめん。ちゃんと確かめてから話したい」

 そう言って譲らなかった。

 しかも、一人でその相手に会いに行くと言うのだ。


 すでに日も落ちた頃、どこの誰かもわからない相手と、一対一サシで話をつけに行こうとする美少女アイドル。さすがに心配すぎる。

 しかも、魔族に狙われているかもしれないこの状況で、だ。

 到底、見過ごせないということで、ここまで尾行してきたわけだが……


 まさか、横流し犯が同じチェリー☆クラッシュのメンバーだったとは。


(とんでもない修羅場に立ち会ってしまった……!!)

 グウは心の中で嘆いた。


「誰よ? その人たち」

 リナが刺すような視線をこちらに向ける。


 つり目がちの大きな目をした、ツインテールの少女。

 顔立ちが美しいぶん、にらまれると余計に恐い。


「えっと、この人たちは、探偵さんたちで……」

 セイラが慌てて説明しようとする。


「は? 探偵?」

 ますます目つきが険しくなるリナ。


「バジルさんの件で相談に乗ってもらってたの。それで……」


「あ、俺たちのことは気にしないで! 勝手について来ただけだから。存在しないものと思って、どうぞ話を進めてもらって! ね、二人とも!」

「ええ! もう空気だと思ってください!」


 グウが勢いよく隣を見ると、ギルティもブンブンと首をタテに振って同意を示した。


 が、魔王のほうは魂が抜けたように呆然ぼうぜんとしている。


(ダメだ。ショックで放心状態になってる)

 まあ、好きなアイドルグループのこんな場面を目撃してしまったら、ショックも受けるだろう。


 この空気の重さ……

 魔王の精神状態のためにも、メンバー同士でケンカはして欲しくないが、部外者の自分たちが口を挟めるような雰囲気でもなかった。


「リナ……何でそんなことしたの?」

 セイラが青ざめた顔でたずねた。


「べつに。あいつなら喜んで買うと思ったから。それだけ」

 リナは淡々と答える。


 セイラは困惑したように眉根を寄せた。

「……お、お金に困ってるの?」

 そうじゃなければ、そんなことをする意味がわからない、という表情。


「なんで?」


「留学するんだよね……それで、お金が必要とか……?」


 ふっ、といきなりリナが吹き出した。

「留学なんかしないし! アハハハハッ」


 急に笑い出したリナに、セイラはますます混乱する。

「えっ、なんで? だって、留学するから辞めるんでしょ……?」


「表向きはね。でもホントはそんなの嘘。私ね、事務所クビになったんだ」


「えっ!?」


「援交やってんのがバレてさ。ホントはクビなんだけど、お情けで卒業って形にしてもらったの。留学ってのは体裁を整えるための、ファン向けの言い訳」


 セイラは絶句した。


 魔王は魂が完全に抜けたのか、白い灰のような顔色になっていた。そのまま風に吹かれてサラサラ崩れていきそうだ。


「話ってそれだけ? だったら帰っていい? 今、新しく出会い系のサクラのバイトも始めてさ、忙しいんだよね」

 リナが体の向きを変えようとする。


「待って……」

 セイラが呼び止めた。

「まだ聞きたいことがあるの。この前、私の家に来たとき……机に飾ってたチェキ、もしかして、持って帰った?」


「ああ」

 と、リナは小さなハンドバッグに手を突っ込んだ。

「これのこと?」


「えっ」

 思わず声を上げたのはギルティだ。

 魔族たちにとっても、これは予想外だった。


 リナの手の中には、透明なアクリルのフォトフレーム。

 三人のサイン入りのチェキに、『めざせ! グレープホール!』の文字。


 チェキが無くなった理由は、リナがセイラの家に来たときに持ち去ったからだった。

 そう。最初から侵入者などいなかったのだ。


「なんで……取ったの?」

 セイラはもはや、恐ろしいものでも見るような顔で、仲間を見つめた。


「盗んだみたいに言わないでくれる? アンタが代表して持ってただけじゃん。べつに……なんか綺麗な青春の1ページみたいに飾られてたから、イラッとしただけ」


「どうして……? リナにとっても、そうじゃないの?」


「はあ?」

 リナは眉間にしわをよせた。

「勝手に綺麗な思い出にしてんじゃねーよ!!」


 急に発せられた大声に、セイラはビクッと肩を震わせる。


「私は……」

 リナは荒い呼吸をしながら、絞り出すように言った。

「私は、ずーっと苦しかった……!」

 行き場のない怒りをたたえた目に、みるみる涙が溜まっていく。

「アイドルなんか、目指さなきゃよかった! そんなモンを目指したせいで、私はもうボロボロだよ……! こんなに頑張ったところで、結局チェリクラなんか誰も知らないじゃん! こんなド底辺グループのために二年も無駄にして、ほんっと馬鹿みたい!」


「チェリクラを悪く言わないで!」

 セイラが初めて強い口調で言った。

 手を前に差し出し、まっすぐにリナを見据える。

「返して!」


 だが、その眼差しはリナをさらに刺激した。


「アンタさあ、ホントにグレープホールなんて行けると思ってんの? 行けるわけねぇから! そこにたどりつく前に、風俗にたどり着くのが目に見えてるっつーの!」


「お、おい……」

 魔王が思わず口を挟みそうになるのを、グウが制した。

 黙って見守りましょう、と目配せをする。


「ていうか、そんなに頑張ってグレープホールに行った先に何があんだよ! いつまでステージの上にいられるんだよ! 年食って、人気なくなって、忘れられそうになったら脱いで……アンタ想像したことあんの!? それとも自分だけは特別だと思ってる? 自分だけはいつまでもチヤホヤしてもらえると思ってんの? だったら悪いけど、世の中そんなに甘くないから!!」


 涙声で言葉をぶつけるリナ。


 言葉が、現実が、真正面からセイラに殴りかかる。


「私はっ」


 セイラは言葉をつまらせて、ふうっと息を吐き出した。

 涙がこぼれないように上を向き、乱れた呼吸を整える。

 それから、もう一度まっすぐにリナを見つめた。


「私はグレープホールに行くわ」


 一点の曇りもない澄んだ眼差しで、彼女はそう誓ってみせた。

 その声はもう震えてはいなかった。


「たとえそこが通過点でも、その先に何が待っていたとしても、私はただそこを目指して全力で走るだけ。グレープホールの先がどうなっているかは、自分の目で確かめる。そうじゃなきゃ納得できない。ちゃんと自分でそこに立って、この目で確かめるわ!」


 リナも、魔族たちさえも、一瞬、息をのんだ。


 もはや、リナは言い返す言葉を持たなかった。

 ただセイラをにらんだまま、ボロボロと目から涙をこぼしている。


「一生ひとりで夢見てろよ……」


 リナはそう言うと、ひゅっと手首を返して、橋の上からチェキを投げ捨てた。透明なフォトフレームが、フリスビーのように回転しながら飛んでいく。


「あっ」とセイラが叫んで、橋の欄干らんかんに駆けよったが、すでにチェキは何メートルも先だった。


 グウとギルティは、もちろんセイラよりも反応は速かった。

 だが、誰よりも速く動いたのは魔王だった。


 セイラが「あっ」と言った時には、魔王は欄干を蹴って、フォトフレームに向かって飛んでいた。

 一瞬で縮まる距離。

 彼は空中でそれをキャッチすると、一瞬、安堵あんどの表情を浮かべ、そのまま数メートル下の川に落ちていった。


「魔王様!」

 思わず、その肩書を叫びながら、欄干から身を乗り出す魔族たち。


 橋の下でザパンッと水飛沫みずしぶきが上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る