第63話 ある少女の一日

 ピピピピピ。

 ピピピピピ。

 ピピピピピ。

 

 鳴り響く電子音に、少女は無意識的にウサギの目覚ましに手をのばした。


 だが、実際に鳴っていたのは彼女の目覚ましではなく、彼女が「クズ」と呼んでいる男の携帯のアラームだった。


 うっすら目を開けると、ベッドに腰かけた若い男が、彼女の財布から金を抜き取っているのが見えた。


「ちょっと! 何やってんのよ!」


 少女は金を奪い返そうと手を伸ばしたが、男はそれをひょいと避けて立ち上がり、

「いいじゃん。またオヤジと飯行って稼げばいいだろ」

 と、床に散らかったゴミを蹴飛ばしながら出口に向かった。


「ふざけんなよ!」


 少女はウサギの目覚まし時計を掴んで、男の背中に投げつけた。


「いってえな! 何すんだよ!」


「返せよ!」

 少女は勢いよく立ち上がって、男の腕にしがみついた。

「前に貸した分もまだ返してもらってないし! つか家賃払わないなら出てけよ!」


「放せ!」

 男は力いっぱい腕を振り払った。


 少女は弾き飛ばされて、服やカバンやゴミの山の上に倒れた。


「こんなゴミ屋敷、言われなくても出てってやるよ!」


 バタンッと閉じる扉。


「出ていけクズ! 二度とくんな!」

 少女は涙声で叫ぶと、扉に向かって手当たり次第に物を投げつけた。


「痛……」


 気づくと、腕から血が出ていた。

 服の下にあったCDのケースが割れて刺さったらしい。


 ガシャン。


 少女は積み上がったゴミと私物の山の上で仰向けになった。

 起き上がるのも、手当をするのも、もう面倒くさかった。


 どうでもいい。

 ぜんぶ。


 そうして彼女は目を閉じた。




 30分ほど眠っただろうか。

 携帯の振動が彼女を起こした。


 確認すると、ある人物から1件のメッセージが届いていた。


『話したいことがあるんだけど、今日家に行ってもいい?』


 その文面で、少女はすぐに悟った。

 あの件がバレたのだ。


 ああ、終わるんだな……と、彼女は思った。

 今日一日だけで二つの人間関係が終わる。


『夜なら空いてるけど、家はダメ』

 少女は返事を打つ。

 この部屋は見せられない。かといって、カフェなんかで腰を落ち着けて話すような内容でもなかった。


『7時にコルテオ橋の真ん中に集合で』


 その場所なら、互いの家の位置からして、帰り道は真逆の方向。


 会って、話して、正反対の方向に去ってゆく。

 決別の舞台にふさわしい場所だと思った。



* * *



 そして、夜。


 少女は川沿いの遊歩道を通って、コルテオ橋にやってきた。

 車道を覆う巨大な鋼のアーチが青くライトアップされて、川面を輝かせている。


 相手は言われたとおり、橋の真ん中で待っていた。


「ごめんね、急に呼び出して……」


 澄んだつややかな瞳が、不安そうに揺れていた。

 少しあどけない顔立ちに、緊張の色がにじんでいる。


「話って何?」


「あの……ね」

 相手はおそるおそる唇を動かす。

「この前スタッフさんが撮ってくれたオフショット…………バジルさんに売った?」

 その声は緊張で震えていた。

「教えて……リナ」

 

 ああ、やっぱり。

 予想通りの話だった。


「うん。売ったよ」


 少女があっさり認めると、セイラは心底ショックを受けたような顔をした。


「えええええええ!?」


 ふいにセイラの背後から大声がした。


 見ると、上空のアーチと路面を結ぶ太い柱の陰から、少年が顔をのぞかせている。ひどく顔色の悪い少年で、目を見開いて驚愕の表情を浮かべていた。


「ちょっと! 見つかっちゃいますって!」


 また別の男の声がした。何やら柱の後ろが騒がしい。


「えっ、みなさん!? なんでここに!?」

 振り返ったセイラは驚いた顔で言った。


 いったい何者なのか、柱の後ろからわらわらと黒いスーツを着た三人組が出てきた。

「いや、ええっと……これは……」

 緑色の髪の男が気まずそうな顔で頭をかく。


「リ、リナたんが……リナたんが……なぜ……」

 顔色の悪い少年はひどく動揺した様子だった。

 彼は信じられないという顔で少女を――チェリー☆クラッシュのリナを見つめていた。

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