第59話 会話下手

 女の子ばかり三人と一緒に残された魔王デメは、肩身が狭そうにソファで縮こまっていた。

 よく考えてみたら、セイラのそばに残ったところで、何か気の利いたことを言えるわけでもない。

 はたして、自分はこの空間に居ていいのか。

 セイラの不安を和らげるどころか、自分という存在に不安を感じ始める。


「グウさん、一人で大丈夫でしょうか」

 セイラがつぶやいた。


 グウは破壊されたドローンを回収しに行ったことになっている。


「大丈夫です。隊長は強いので、ストーカーと鉢合わせしてもやっつけられます」

 ギルティがにっこり笑って答えた。


「隊長?」


「あっ、ちがっ、ええと、課長です!」

 ギルティは慌てて訂正した。


「探偵事務所に課とかあるん? 何課よ?」

 エレナが怪訝けげんそうに目を細める。


「え、えっとお…………そんなことよりセイラさん! 肌キレイですよね! 石鹸せっけんは何を使ってるんですか!?」

 ギルティは強引に話を変えた。


(強引すぎる……)

 会話下手なデメですら引くレベルの話題転換だった。


「え? 石鹸ですか? ボディーソープは普通のですけど……あ、でも保湿クリームは毎日塗ってるかも。ギルティさんも使ってみます?」


「いいんですか!?」


 何やら女子っぽいトークが始まった。


「はいっ。手出してください。塗ってあげます!」

「わあ! いい匂い!」

「いいなあ。私も塗ってー」


 目の前で繰り広げられる女の子たちのスキンシップを、デメは直視できずにひざを抱えて顔をうずめた。


 そんな彼に気を使ったのか、

「デメさんも塗りますか?」

 と、セイラが微笑みかけてきた。


「いえぇ、結構ですぅ!!」

 思わず声が裏返った。


「セイラはホンマすごいわ。肌もやけど、髪もすごいケアしてるし。一番年下やのに、一番プロ意識高いっていうか。しかもメンタルも一番強いし。たいした子やで、ホンマ」

 エレナがしみじみと噛みしめるように言った。


「あはは。元気と根性だけが取り柄だから」


「根性あるんはいいけど、困ったときは周りに頼るんやで。私でよかったらいつでも相談に乗るからな」


「ありがとお。エレにゃ大好き。優しいし、頼りになるし、学校の先生むいてるよ」

 セイラはエレナの手を取って、天使のような笑顔を向けた。


「セイラ……アンタはホンマにええ子や」

 エレナがセイラを抱きしめた。


(尊い……しかし、もうこのツーショットも見られなくなると思うと……泣きそう)

 デメはメンバー同士の友情に感動しつつ、改めてチェリクラ解散を惜しんだ。



 ピンポーン。



 ふいに響き渡ったチャイムに、セイラが立ちあがった。

「グウさんが帰ってきたのかな?」


 しかし、インターフォンの画面に映ったのは、グウではなかった。

 20代後半くらいの、ギルティやデメの知らない男だった。


「バジルさん……」


 セイラが息をのんで立ちすくんだ。


「え?」

 デメは驚いてインターフォンを見つめた。

 予想外の訪問だった。

「グウとすれ違いになったのか……?」


「あっちから来るなんて」と、ギルティも驚いた様子。


 ピンポーン。ピンポーン。

 チャイムが何度も押される。


 セイラがエレナの後ろに隠れた。

 エレナの服をギュッと掴んで震えている。


 ピンポーン。ピンポーン。

《セイラ、いるんでしょ。開けてよ、セイラ!》

 ピンポーン。ピンポーン。


 バジルの声が聞こえると、セイラはしゃがみ込んで耳をふさいだ。


(セイラ……バジルをかばうようなこと言ってたけど、本心では怖いんだ……)

 デメはセイラが無理をしていたことに気づいた。


 アイドルとしてファンに向き合おうとする彼女と、まだ17歳の少女である彼女。理想と本音のギャップ。


「よりによって、一番頼りになりそうな大人の男の人がいないときに……」

 エレナがセイラの肩を抱きながら言った。


 デメは一歩前に進み出た。

「俺が……」「私が出ましょう!」

 ギルティがデメの声をかき消した。

(え……)


 ギルティはインターフォンにつかつかと歩み寄ると、通話ボタンを押し、

「今開けます! うるさいからピンポンやめなさいっ」

 と言い放った。


「やめとき! 危ないって!」

 エレナが青ざめて止めようとした。


「いえ、ぜんぜん大丈夫です。私探偵なんで」

 彼女はキメ顔で言って、玄関に向かって歩き出した。


「ちょ、ちょ、ちょっと待て、ギルティ! 俺がいく!」

 デメは慌ててギルティの前にズザーッと滑り込んだ。


「ええ!? 何をおっしゃいます、まお……デメ君を行かせるなんて、そんな」


「いや、わかるよ? わかるけど、俺の立場を考えて!」

 デメは声をひそめてこう続けた。

「今、お前は人間の女の子って設定なんだぞ。ここでお前を行かせたら、俺の立場がなさすぎる……!」


「あ、あー……」ギルティは察した。「いや、しかし……! 主君を危険にさらすわけにはいきません。私もグウ隊長から後を頼まれましたので!」


「いや、危険とかないし。俺が一番強いんだから、守ってもらわなくて大丈夫だって」


「そ、それを言われると、我々親衛隊の存在意義が……というか、大丈夫なんですか? 初対面の人と話すの……その……」


 怖くないんですか?

 さすがに、魔王にそう質問するの無礼だと思ったのか、ギルティは口をつぐんだ。彼女との初対面のシーンを振り返れば、そう思われても仕方ないのかもしれない。


「たしかに俺は……会話が苦手だから、うまく話せなかったらと思うと怖くなるけど……」


 ピンポーン。ピンポーン。

 またチャイムが鳴り始めた。


「でも、敵を怖いと思ったことは一度もない。敵とは会話する必要ないから」


 どこか無機質な響きを帯びたその声に、ギルティの表情が強張こわばった。


「敵……」


「とにかく、お前は中で待ってろ。グウの指示より、俺の命令が優先だ」


「しょ、承知しました……」

 そう言われると、ギルティは引き下がるしかなかった。


 魔王は玄関のドアを開け、一人で外に出た。


「え、なっ……」

 男が出てくるのは予想外だったのか、バジルの顔に動揺が広がる。


「お前がバジルか」


 バジルは普通のサラリーマンといった感じの、中肉中背の男だった。

 小奇麗なブルーのシャツを着ていて、思ったよりオタクっぽくない。

 どう見ても人間にしか見えないし、どちらかというと無害そうだった。


「あ、あれ? 何でいるんですか……さっきスーツの人が出ていくのを、たしかに見たのに」


「出て行ったのは別の奴だ。さっき二号……三つ目の鳥を撃ち落としたのはお前か?」


「は? 鳥? 何の話ですか……」

 バジルは困惑の表情を浮かべた。

 本当に知らなそうだった。


「というか、アナタ……君は、セイラの何?」

 急にバジルの目がわった。

 どうやら魔王の外見が若く、かつ自分より弱そうな陰キャであることに気づいたようだ。


「お前は魔族か?」


「は? 何言ってんの?」


「お前は魔族か、人間か。答えろ」


「はあ? 意味わかんないんだけど。人間に決まってるだろ。てかマジで誰? セイラに会いにきたんだけど。はやく出してくれない?」


「人間かよ……」

 魔王は心底嫌そうにつぶやいた。

 魔族であれば問答無用で殺す気だったが、人間の場合は“ガツンと言って”撃退しなければならない。

 魔王にとっての難易度が跳ね上がった。


「あ、思い出した。君、見たことあるな。握手会でいつもキョドってるオタクの子でしょ。なんでセイラの家に来てんの? ストーカー?」


「はあっ?」

 魔王は思わず目を丸くする。

「ストーカーはお前だろ……自覚ないのか……?」


「あのねえ、新参者だから知らないんだろうけど、俺はチェリクラ結成時からずっとセイラをサポートしてきた功労者なわけ! 今、お前が推してるのは、俺が育てたセイラだから!」

 バジルは興奮したように、つばを飛ばしながら喋った。

「今日もそう。これからソロになるって大事なときに、男と密会するなんて論外だし、そういうことをちゃんと伝えないと、セイラはダメになる。俺はぜんっっっぶセイラのためを思って言ってるのに、何でこんなに理解されないのか」


 魔王はしばし呆気あっけに取られた。

「出禁になった奴が何言ってんだ……」


「それは運営が馬鹿なだけだから! 一度家に行ったくらいで、太客の俺を出禁にする運営が無能なだけ! つか、ろくに金も落としてないガキが、大人に意見するんじゃない!」


「お、俺は大人だし、CDもグッズもいっぱい買ってるわ!」


「もういいってお前。どっか行けよ。セイラ! セイラ! 出てきてよ! 話したいんだよ、セイラ!」

 ピンポン、ピンポンと再びインターフォンを鳴らすバジル。


「やめろ!」

 魔王はバジルの腕をつかんだ。

「お前を見てセイラはおびえてた。お前はファンなんかじゃない。セイラの敵だ」


 バジルは顔を歪め、「放せ!」と叫んで魔王を突き飛ばした。


「はやく出てこいよぉ!! セイラァ!!」

 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン――

 バジルはインタフォーンに噛りつくような勢いで、ボタンを連打した。


「やめろ! セイラが怖がるだろ!」

 魔王はバジルの首根っこを掴んで、グンッと後ろに引っ張った。

 軽く引っぱったつもりだったが、彼は勢いよく廊下の手すりに叩きつけられ、そのまま後ろに倒れ込むように二階から投げ出された。


「うわああああ――」

 ドサッ。


「あっ、やば……」

 魔王は慌てて下を見下ろした。

 駐車場のコンクリートの上に、バジルが目を閉じて倒れていた。


 急いで下に降り、胸に耳を当てて鼓動を確かめる。

 ドクン、ドクン、とわりと元気そうな心音が聞こえた。

 どうやら生きているようで、魔王はふうーっと胸をなで下ろした。


「さて……」


 しかし、この男をどうしたものか。

 魔王はもう説得をあきらめていた。


「魔界大百科」


 彼は静かに唱えた。

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