第56話 怪しい者じゃありません
インターフォンの小さな画面に映し出されたのは、若い女性だった。
「やっほー。来ちゃった!」
と、画面越しに手を振っている。
長い髪をポニーテールに結った、粗い画質でもわかるくらいの美人だ。
「え、エレにゃ!?」
魔王がソファーの上でのけぞった。
その人は、チェリー☆クラッシュのメンバー、エレナだった。
玄関のドアが開くやいなや、彼女はガバッとセイラに抱きついた。
「はわわっ、びっくりしたあ。エレにゃったら、急に来るんだもん」
「ごめんごめん。午後の授業が休講になったから、セイラの顔でも見に行くかぁと思ってん」
彼女はセイラの頭をぽんぽんと撫でた。
エレナはセイラよりも背が高く、お姉さんっぽい雰囲気だった。
眉のあたりで前髪を切りそろえたセイラに対し、彼女はおでこ全開。
アイドルの衣装のときとは全く印象の違う、大人っぽいロングスカートを履いている。
「あれ、お客さん!? ごめん、帰ろか?」
エレナは特徴的なイントネーションで喋った。魔王直属暗殺部隊のギニョール隊長と話し方が似ている。たぶん西のほうの方言だ。
このような方言は、『別れの森』ができる前に、人間界の南西部から魔界へ
「いや! 俺たちが帰りますんで!」
魔王は勢いよく立ち上がった。
エレナは部屋に入ってくると、黒いスーツ姿の三人組を見て、
「お葬式?」
と、首をかしげた。
「ちがう、ちがう。探偵さんたち。ストーカーの件で相談に乗ってもらってるの」
「は? 探偵?」
エレナは
「こ、こ、こんにちは。デメ探偵事務所、所長のデメです」
「助手のグウです」
「同じく助手のギルティ・メイズです」
魔族たちは打ち合わせどおりの自己紹介を述べた。
「なんで一人だけフルネーム? てか所長どう見たって未成年やん。怪しい……」
エレナは疑わしそうに目を細める。
「いや、こう見えて彼は大人でして」
グウがフォローを試みる。
「あれ? デメ探偵事務所ってことは……」
セイラが何かに気づいたように魔王のほうを見た。
「もしかして、デメって苗字なんですか?」
「え?」
「ずっとファーストネームだと思ってたけど、苗字だったんですか?」
魔王は目を泳がせながら、「……はい」と答えた。
「じゃあお名前は?」
セイラは澄んだ瞳で、無邪気にたずねた。
魔族たちの表情がひきつった。
苗字がないなんて当たり前すぎて、フルネームを考えていなかった。
魔族は人間と違って「家族」や「家系」の意識が希薄なため、「姓」や「氏」といった概念があまり浸透していない。ギルティのメイズ子爵家のような由緒正しい家柄でもない限り、苗字を持つのは
グウも生まれてこの方、苗字を名乗ったことはないし、自分の出生については何一つ知らない。
ましてや古の魔族である魔王に苗字などあるはずもない。
「デメです……」
魔王は絞り出すような声で答えた。
「名前も!?」
「デメ・デメさん!?」
「はい……」
魔王は酸っぱいものを噛み潰したような顔で
(魔王様、とっさに思いつかなかったか。苦しい。これは苦しいぞ……)
グウは魔王を悲痛な面持ちで見つめながらも、自分も聞かれたらどうしようかと考えた。
「グウさんも珍しい名前ですよね。フルネームなんていうんですか?」
(やばい、聞かれたあああ!)
はやく答えないと不自然だ。
「え、えーと、フルネームはグウ……う、ううー……」
「いやいや、今考えてますやん。『ううう』って、必死にひねり出そうとしてるやん」
エレナの厳しい視線。
「いえ、違いますよ。『ウウウ』って苗字なんです。グウ・ウウウです」
「ウウウ!?」
セイラとエレナが驚きの声を上げ、ギルティと魔王は“マジか、お前”という表情でグウを見た。
(やめろ、そんな目で見るな! 仕方ないだろ、マジで浮かばなかったんだから!)
「ほんまかいな……怪しすぎる……!」
エレナの視線はさらに鋭くなった。
「やっぱ、ちゃんと警察に相談したほうがええって! セイラ!」
「うーん、そぉだよねぇ……」
ハキハキと軽快に話すエレナに対し、セイラは北国
だが、おっとりしているにしても、少し歯切れの悪い反応だった。
「あのー、何か警察に言えない事情でも?」
グウは思い切って聞いてみた。
「え? あ、いえ……言えないわけじゃ」
彼女は少し
「ただ、もしかしたら、バジルさんがストーカーになっちゃったのは、私のせいかもしれなくて……」
「どういうこと?」
「返信しちゃったんです。バジルさんに」
セイラの話では、ファンとの個人的なやりとりは事務所から禁止されているらしく、メッセージが届いても、返信することはないそうだ。
もちろん、バジルに対しても同じように対応していたが、一度だけそのルールを破ってしまったことがあるという。
「この画像が送られてきたんです」
セイラはそう言って、スマートフォンの画面を見せた。
そこには、ジャージ姿のチェリクラメンバーが、フローリングの床に座ってくつろぐ姿が写っていた。ダンスの練習中の一コマだと思われる。
「これ、スタッフさんが撮ってくれたオフショットで、メンバーと一部のスタッフさんしか持ってないはずの写真なんです。私びっくりしちゃって、それで、どこで手に入れたのか質問しちゃったんです……」
セイラはそう言って目を伏せた。
長い
「バジルさんは、知り合いから貰ったって。でも、それが誰なのかは教えてくれませんでした」
それを境にバジルの行動はエスカレートし、しかも、同じような出所不明のオフショットを度々送ってきたという。
「なるほど」と、ギルティが
「私が先にルールを破っちゃったから……」
「そんなん、セイラのせいちゃうって! たった一度の返信でストーカー化するほうが異常やん。てか、誰やねん、写真流出させてるの!」
エレナは感情が高ぶっているせいか、早口になっていた。
「わからない」
セイラはうつむいた。
「今の事務所のスタッフさんには、すごく良くしてもらってるし……そんなことするなんて、考えられないし、考えたくもないよ」
話の最中に、スマホの画面にピコンと通知がついた。
メッセージに未読1件の表示。
「まさかバジル?」
案の定、バジルからだった。
メッセージを開いたとたん、セイラの顔色がさっと変わった。
「何これ……」
全員が画面をのぞき込む。
送られてきたのは、短いメッセージと一枚の画像だった。
『この男だれ?』
画像に写っていたのは、黒いスーツを着た、緑色の髪の男。
窓辺に立つグウの後ろ姿を、外から撮影したものだった。
「見られてる?」
グウは背後の窓を振り返った。
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