第52話 未知なるインターネット

 次の日の朝。

 ビーズ隊員とザシュルルト隊員は、二人そろって始業ギリギリに出勤してきたが、なぜか二人ともひどく落ち込んでいて、この世の終わりみたいな顔をしていた。


「どうしたんだ、お前ら。何かあったのか?」

 驚いたグウがたずねた。


「いえ……べつに」

 と、力なく答えるビーズ隊員。


「何も聞かないでください。まだ気持ちの整理が……」

 ザシュルルト隊員は虚ろな目をして言った。


(え、何この空気……)

 いつも元気な二人から放たれる、とてつもない負のオーラ。

 かなり気になるが、今は触れてはいけないという空気を感じ取り、とりあえずミーティングを始めようと立ち上がる。

 そのとき、席の後ろにある縦長の窓に、大きな影が映った。


 バサッ、バサッ、と鳴り響く羽音。

 それも尋常じゃないサイズ感の羽音。


「何だ、何だ!?」


 驚いて窓を開けると、おそろしく巨大な三つ目の大鷲おおわしが、地面に降り立つところだった。羽を広げたその大きさは、小型飛行機くらいありそうだ。背中には、珊瑚さんごのような角が生えた黒髪の少年が乗っていた。


「魔王様!?」


「ちょっと話がある。今から来い、グウ」

 魔王はパジャマにガウンを羽織っただけの格好だった。


「今ですかっ?」


 突然の魔王の来訪に、驚きを隠せない親衛隊一同。

 滅多に姿を現さない魔王に、隊員たちは興味津々で窓の外をのぞき込む。


 急に何なんだ、と思いつつも、魔王の命令には逆らえない。

「悪い、後を頼んだ」

 グウはギルティにミーティングを任せて窓から外に出た。


「俺の部屋まで飛ぶ。乗れ」という魔王の言葉に従って、鷲の背に足を乗せると、大きな翼がブワッと羽ばたいて、巨体が浮き上がった。


 この鷲は『三つ目のモグ』。

 車が普及する前に、魔王がよく移動に使っていた召喚獣だ。

 今でもたまに城の周りを飛んでいるのを見かけるが、近くで見ると思いのほか大きい。


 ボエエエエッと不気味な鳴き声を響かせながら、鷲は空高く上昇し、本館の後ろにある高い塔の最上階――魔王の部屋のバルコニーに降り立った。


 魔王は部屋に入ると、ゲーミングチェアに腰かけ、無言でパソコンのログイン画面にパスワードを打ち込んだ。


「あの、話って?」


 グウがたずねると、魔王は深刻な顔をしてこう言った。


「じつは……セイラがストーカー被害に遭っている……かもしれない」


「えっ! 知ってるんですか!?」


 グウが驚いて言うと、魔王もまたびっくりしたように目をパチパチさせた。


「知ってるんですかって……え? お前も知ってんの? なんで?」


「はあ、その、昨日シレオン伯爵から電話がありまして」

 まさか魔王が知っているとは思わなかったグウは、ポカンとした顔で言った。


「シレオンから?」


「ええ。ただ、伯爵も人から聞いただけで、詳しいことは知らないようですが」


「ふうん……まあ、俺も詳しく知ってるわけじゃないけど」

 魔王はそう言いながら、パソコンを操作して動画サイトを開いた。


「魔王様は誰から聞いたんですか?」


「誰からというか、ふつうに配信とかSNSとか見てて知ってたけど」


(自力で知ってた……)

 昨日の葛藤かっとうは何だったんだろう、とグウは思った。


「シレオンは何て言ってた?」


 魔王の問いに、グウは伯爵から聞いた話――セイラがバイト先で話したという内容をそのまま伝えた。


「伯爵は魔族がからんでるんじゃないかって言ってましたが」


「魔族が? なんで?」

 予想外だったようで、魔王はキョトンとした顔をした。


「申し上げにくいですが……魔族至上主義者の中には、魔王様が人間と親しくするのをよく思わない者もいます。魔王様が人間に甘いのをいいことに、人間側がつけあがるのではないかと危惧きぐしているのでしょう」


 主にカーラード議長のことだが、今は名前を出さないでおいた。

 魔王デメの家臣としては彼のほうが古株だ。

 まだ全体像が見えない中で、不用意なことは言えない。


「……なるほど。まあ、今回は人間の仕業だろうが、ありえん話ではない……不快極まりないことだが」

 ビキッと魔王の目のまわりに青い血管が浮き出た。

「俺の趣味趣向に文句をつけるなど、思い上がりも甚だしい。万が一、セイラを傷つけようなどと考える魔族が現れたなら、そのときは俺がこの手で八つ裂きにして、七色広場にさらしてやるわ」


 魔王が鋭い爪の生えた指に力を込めると、メキメキと音が鳴った。


 たぶん本当にやるだろうな、とグウは思った。


「魔王様は人間の仕業だとお考えですか?」


「ああ。魔族とは関係ないだろう。だって、俺がセイラを知る前から、そいつセイラのファンだったし」


「え? そいつって……ストーカーが誰かわかってるんですか?」


「わかるも何も、堂々とネット上でもストーカーしてるし。まあ本名とかは知らないから、そう意味では、誰かわからんが……」

 魔王はそう言って、ある動画を再生した。

「とりあえず、これを見ろ」


 それは三日前に行われたセイラのライブ配信だった。

 彼女は視聴者と雑談しながら、動物のキャラクターばかりが出てくる、ほのぼのとした雰囲気のゲームをプレイしていた。


「このコメントを連投してるバジルって奴がストーカーだ」

 魔王がそう言ってチャット欄を指さした。


 チャット欄には、ライブを視聴中のファンが書き込んだコメントが表示されていた。次々とコメントが書き込まれては、流れて消えていく。

 そんな中で、同一人物によるおびただしい数のコメントが異様な存在感を放っていた。


『さっきから質問してるんだけど』

『なんで答えてくれないの?』

『俺だけ無視ですか』

『最近リプも返してくれないよね』

『DMも無視だし』

『この前会ったときも逃げたよね』

『逃げても家知ってるけどね』


 バジルの常軌を逸した連投にざわつくチャット欄。

『ヤバいのいるな』

『荒らしやめろ』


 しかし、セイラは笑顔を崩さず、落ち着いて対応しようとする。

「み、皆さーん! 落ち着いてっ。荒らしはこっちでブロックするから、皆さんはスルーしてくださいねっ」


『なんでブロックするとか言うの』

『そんなこと言うなら、今から家いくから』

 そんなコメントが流れた直後だった。



 ピンポーン。



 チャイムの音が配信に乗った。

 セイラがはっとした顔で後ろを振り返る。


「……ちょっと見てくるから、待っててくださいね」

 彼女はそう言って、画面から消えた。


『やばいやばい』

『開けちゃダメだ』

『大丈夫!?』

『出ないほうがいいんじゃない?』

『通報したほうがいい?』


 セイラのいない配信画面に、心配のコメントが猛スピードで流れていく。

 画面はしばらくその状態のままだった。魔王は動画を早送りした。


「この状態が5分くらい続いた。普段はROM専の俺も、思わずコメントしてしまうくらい、心臓に悪い時間だった」

 彼はそう言いながら、5分後に動画を進めた。


 ようやく画面の中にセイラが戻ってきて、笑顔でこう言った。

「ごめんなさい! 宅配便頼んでたの忘れてた。心配させちゃってすみません」


 魔王はそこで動画を止めた。

「セイラはこう言ってるが、本当に宅配便だったのかは……ファンの間では実際にバジルが来たのではないかと噂になっている」


「このバジルって奴には、魔王様は会ったことないんですか? ライブには来てないんで?」


「わからん。ライブには来てるっぽいけど、顔知らないし、どれがバジルだか……」

 魔王は肘掛に頬杖ほおづえをつきながら言った。

「ヌシ殿は会ったことがあるそうだが」


「ヌシ殿? って誰ですか?」

 グウは首をかしげた。


「なんだ、覚えてないのか? お前が言ったんだろ、あのライブハウスのヌシだって。ほら、チェリクラのライブに来ていた古参の者だ」


「え? あー……なんか急に話しかけてきた人ですか?」


「そう。結成当初から追いかけている最古参で、箱推しなんだが、最推しはセイラということで、時々リプをくれるようになり、そのうちDMでやりとりする仲に」


「ちょっと何言ってるかわかんないです。全体的に」

 知らない用語の数々に、グウの耳は混乱した。


「ヌシ殿のことは今はいい。とりあえずオタク仲間だと思え」


(いつの間にかネットで友達つくってる……)

 グウはいろいろと頭が追いつかなかった。


「それより、気になるのはバジルの最近のつぶやきだ。ヌシ殿がスクショして送ってくれたのだが……これを見ろ」


 魔王がモニターに映した画像には、バジル11というSNSアカウントの投稿がずらりと並んでいた。動画にコメントする時と同じアイコンなので、どうやら同一人物らしい。


『どうも。出禁になりました』

『ありえない。今まで俺がどれだけ金を落としたと思ってんだ。あんなにグッズ買ってやったのに。そのお返しがこれですか?』

『運営はマジでゴミ』

『セイラに俺の悲しみを伝えたい』

『セイラは俺を誤解している』

『またブロックされている。説明する機会すらもらえない』

『所詮、俺はただの金ヅルだったんですね』


 恨みつらみが延々と続いたあと、最後のつぶやきはこうだった。


『許せない。これで済むと思うな』

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