第39話 200年前

 ヴァルタ王国歴1817年。

 ダリアのとりでにて。


 時刻はすでに深夜。

 ランプの灯りがゆらめく中、本や資料が山積みになった机の前で、一人の老人が頭を抱えていた。


「やはりそうだ……間違いない……」

 フサフサの白いひげを生やした老人は、絶望的な顔でつぶやいた。


 彼はヴァルタ王国で最高位の宮廷魔導士。

 魔王軍との戦争がマズイ状況と聞いて、前線の視察に来たのだが……


「やっべー……」


 素のつぶやきが漏れた。


「やっべーことに気づいてしまった」


 彼は震える手で、机の上にある『ガザリア地方の民間伝承』という本を開いた。


「1709年。パーニャの海龍伝説……」

 老人はうわ言のように、文字を読み上げた。



ヴァルタ王国歴1709年。

ガザリア海を挟んで魔界の対岸にあるパーニャ浜で、漁師たちが出航の準備をしていたところ、海から巨大な龍のような生き物が出現し、浜辺に上陸した。漁師の証言によれば、砂浜に上がった龍は10歳くらいの少年に姿を変え、その頭には、複雑に枝分かれした珊瑚さんごのような奇怪な角が生えていたという。



「そして1715年……」

 老人はつぶやきながら、『魔界史』と書かれた別の本を手に取った。



ヴァルタ王国歴1715年。

魔界西部にある不滅王シレオンの要塞ようさいが、わずか30人ほどの新興勢力に奪われる。

この一味の首領・デメは気性が激しく、暴君デメと呼ばれていた。15、6歳の少年の姿をしており、珊瑚のような角が特徴。


ヴァルタ王国歴1718年。

ドクロア城の戦いで、暴君デメが不滅王シレオンに勝利。王都ドクロア陥落かんらく


ヴァルタ王国歴1720年。

キルゲート城の戦いで、暴君デメが蛇王ベリに勝利。

これにより、デメが魔界を統一。第13代魔王デメ誕生。



 コンコン、とノックの音がした。


「ジョアン様、そろそろお休みにならないと、お体を壊しますよ」


 そう言って入ってきたのは、赤い軍服の上に銀色の甲冑かっちゅうを身に着けた、金髪の女騎士だった。


「アンナ、ワシはとんでもないことに気づいてしまったぞ」


「とんでもないこと?」


「いや、聞かないほうがいいかもしれん。この世には知らないほうが幸せなこともある」


「じゃあ聞かないでおきます」


「……」


「……」


「ほんとに聞かないの?」


「言いたいなら聞きますけど」


「よし。では心して聞け、アンナよ」

 ジョアンと呼ばれた老人は、すくっと立ち上がった。


「お前も知ってのとおり、魔法の発展の歴史とは、魔族との戦いの歴史でもある」


 ジョアンは言った。

 長くなりそうだ、とアンナは思った。


「魔力を帯びた強靭きょうじんな肉体を武器に、パワーでゴリ押ししてくる魔族――これに対抗するため、人間は魔法学や魔法理論を発展させ、多くの優秀な魔法使いを排出してきた。しかし……! お前も知ってのとおり、100年ほど前を境に、人間の魔法使いの魔力はガクンと落ちた。同じ魔法を使っても、100年前の半分の威力しか出せない。この謎の魔力減退の原因を解き明かすため、ワシは長年研究を続けてきた。それはお前も知ってのとおりだ、アンナ」


「はい」と、アンナは相槌あいづちをうった。


「ワシは、魔力減退が始まった前後の歴史を調べまくった。そして、ついにその始まりの年を突き止めた。それが1709年だ! 1709年を境に人間の魔力は弱くなり始めたのだ、アンナよ!」


「1709年……!」

 と、アンナは相槌をうった。


「それからワシは1709年に起きた出来事を調べまくった。そして、このパーニャの海龍伝説にたどりついたのだ」

 ジョアンは本を開いてアンナに見せた。


「うーん?」

 アンナはそのページに描かれた龍の挿絵を見つめた。


「調べまくったところ、パーニャに上陸したこの海龍こそ、現魔王のデメだということが判明した」


「え、そうなんですか」


「そうなんだ。しかし、魔王デメの出現と、人間の魔力減退の間に、どんな相関関係があるのか。そこがサッパリわからん。そこでワシは魔界について全体的に調べまくった……!」


 ジョアンは苦労を噛みしめるように言った。


「まずは、魔界について分かっている情報を整理するぞ、アンナ!」


「あ、はい。どーぞ」


「魔界は大地そのものが魔力を帯びている。その土地で生まれた生き物もまたしかり。だから魔族は肉体に魔力が宿っていて、呪文や魔法陣がなくても魔法を使える。そして、魔族や魔物が死ねば、魔力は魔界に還元される。ここまでは、お前も知ってのとおりだ、アンナ」


「ですねー」

 アンナはちょっと面倒臭くなってきた。


「ちなみに、魔界の大地に漂っている魔力は、人間でも呼び出して使うことができるが、それは黒魔法と呼ばれ、禁忌とされている。汚れたエネルギーを使うと、魂が汚れるからだ。これはお前も知っているだろう、アンナよ」


「知ってまーす」


「そう、ここまではみんな知っている。だから、ワシはさらに踏み込んで、魔族の進化の歴史まで調べた。とくに注目したのは、魔族の祖先ともいえる『魔祖まそ』という存在。この『魔祖』というのは、いわば肉体を持たない不定形な魔力の塊。肉体という器を持たないため、魔力は垂れ流しの状態だ」


「ふむふむ」


「これらの要素をもとに、ワシはある仮説にたどり着いた。もしや魔王デメは、1709年まで、この『魔祖』の状態だったのではないか。そして、覚醒とともに肉体を持ち、垂れ流しだった魔力は、肉体に留まるようになった。歴代最強といわれる魔王の魔力、その供給がストップしたのだから、魔界に漂う魔力の総量は減ったはず。そして、その直後……人間が呼び出せる魔力も減った。これは何を意味するか。つまり…………」


 ジョアンはたっぷり溜めてからこう言った。


「魔力……我々が神や精霊の力を借りていると思っていた、このエネルギーは…………魔界のエネルギーだ!!」


「うそぉ!?」

 アンナは本心から驚いた。


「恐ろしいことに、我々は魔界からエネルギーを呼び出して使っていたのだ。魔法には神々の力を使う神聖魔法と、精霊の力を使う精霊魔法があるとされているが…………ぜんぶ思い込みだ!!」


「ええええ!?」


「最初っからぜんぶ黒魔法だ!!」


「まじでぇ!!」


「魔法は人間のものではなかったのだよ、アンナ……」

 ジョアンはガクリと肩を落とした。

 その顔にはどんどん悲壮感が広がっていく。

「魔法は最初から魔族のものだった。そして我々が使っていた魔力は、いまや魔王デメのもの」


「そんな……」

 アンナもようやく事態の深刻さがわかってきた。


「勝てない」

 ジョアンはしわだらけの指で顔を覆った。

「魔族相手に魔法で戦っても、人間は勝てない。この戦争は負ける……」



「じゃあ戦争やめる?」



 急に第三者の声がして、二人は飛び上がるほど驚いた。


 いつのまにか窓が開いていて、窓枠に見知らぬ男が腰かけている。

 庶民のような飾り気のない格好をして、くたびれた黒い帽子をかぶった、まだ若い男だった。


「な、なんだ、お前! どこから入った!?」

 アンナが叫んだ。


「どうも。魔王直属暗殺部隊の者です。とある方々のパシリで来ました」


「魔王直属……魔族なのか!?」

 ジョアンは後ずさりした。


「ええ、魔族です」

 男は帽子を取った。

 その瞬間、頭の両側からにゅーんと角が生えてきた。

 黒髪に見えたが、よく見ると髪は緑色だった。


「おのれ、魔族め! ジョアン様を暗殺しにきたか!」

 アンナは剣を抜いて体の前で構えた。


「いや、そのことなんだけど、ちょっと聞いてくれません?」


 魔族の若者はフランクな調子で言った。

 ジョアンとアンナは困惑して、顔を見合わせた。


「今、同時に二人にパシられて困ってるんですよ。カーラードっていう赤鬼みたいなオッサンには、このとりでの人間を皆殺しにして来いと言われ、デュファルジュっていう脳味噌スケスケのじいさんには、話のわかる人間を連れて来いと言われた。板挟みもいいとこですよ。どうしろってんだ、まったく……」


 魔族はため息をついた。


 二人は呆気あっけに取られた。

 これほど人間臭い魔族には会ったことがなかった。


「俺個人としては、人間とは戦いたくない」


 パシリの魔族はそう言ったあと、ピタッとジョアンに視線を合わせた。


「アナタ、すごく話がわかりそうだし、発言力もありそうだ。ちょっと一緒に来てくれませんかね?」


 ジョアンは戸惑った。

 はい行きます、などと即答できるはずがない。普通ならば。

 しかし、このまま魔族と戦争を続ければ、人間の未来が……


「信用できるか! ジョアン様、罠に決まってます! 魔族の言うことなど――」

 

 ジョアンはスッと手を出して、アンナの言葉を制した。


「わからんな。このままいけば魔族は確実に人間に勝てる。それなのに、なぜ交渉を持ちかける? 魔族は人間界を支配したいのではないのか?」


「支配したがってる連中もいるけど、俺は全然」

 魔族はそう言って肩をすくめた。

「だって、魔族が支配する世界とか嫌でしょ。魔族なんかクソですよ」


 ジョアンとアンナはポカンとした。


「あ、やべ。怒られる。今のは聞かなかったことにしてください」



 それから約200年。


 ジョアンもアンナも、すでにこの世にいない。

 この夜の出来事を覚えているのは、そのパシリの魔族だけである。

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