第36話 カーラード議長

 赤黒い皮膚に、四本角。

 二メートルを超える堂々たる体躯たいく


 魔界四天王の一人にして、事実上の最高指導者。

 魔界元老院最高議長カーラード。


 彼は『勝者の晩餐ばんさん』の絵の前まで来ると、満足そうにそれを眺めた。

「もともと私のコレクションの一つだったが、多くの目にふれるべき作品だと思い、ここに飾らせた」

 議長はドスの効いた低い声で、ゆったりと話した。

「人間ごときに心を奪われ、人間の夫の子供まで生んだ、魔界史上最も愚かな魔王。魔族の誇りを失った者の末路がいかなるものか。じつに教訓に満ちた絵だと思わんか? グウよ」

 金色の鋭い瞳が、ギロリとグウのほうを見る。


「いやあ、おっしゃる通りで」

 グウはヘラッと愛想笑いを浮かべた。


 カーラード議長は二メートルの高みから三人を見下ろし、一番小さなギルティにぴたりと目を止めた。


 ギルティは身のすくむ思いがした。


(なんて大きい人だろう……)


 親衛隊のガルガドス隊員と同じ種族で、遠い親戚だという話だが、目の前に立ったときの威圧感はまるで違う。

 伝統的な黒い装束に、豪華な装飾品。口髭くちひげをたくわえた威厳のある顔つきは、まさに魔王の風格。というより、ビジュアル的にいえば現魔王のデメより、はるかに魔王っぽい。

 デメがほとんど政治に関与しないため、実質的には彼が魔界を支配していると言っても過言ではない。


「この者は親衛隊の隊員か?」

 カーラード議長は眉間にしわをよせた。


「はっ、我が隊の新しい副隊長であります」


「ギルティ・メイズです。お会いできて光栄――」「はあ……」と、ギルティがまだ言い終わらないうちに、カーラード議長は深いため息をついた。


「情けない。このようなみすぼらしい角無しが副隊長とは。最強をうたわれた魔王親衛隊も、ずいぶんと落ちぶれたものよ。やはり若い世代の弱体化は深刻な問題だな」


 ギルティはびっくりした。

 たしかに自分には角がないが、まさか面と向かってそんなことを言われるとは思ってもみなかった。


「お言葉ですが、カーラード議長」

 グウが言った。

「角無しが弱体化の証だという説は、科学的な根拠がございません。角無しでも実力のある若者はたくさんおります」


 隣にいるギニョールは震え上がった。ひきつった顔で、やめとけ、と目配せをする。


「現に彼女は優秀です。それは私が保証します」


「ほう……」


 カーラード議長はグウのほうに歩み寄ると、いきなりガッとグウの首をつかんだ。


「!!」


 グウの手から茶封筒が落ち、議長の取り巻きたちは後ずさりした。

 彼は片手で軽々とグウの体を持ち上げると、腕を振りかぶって顔面から床に叩きつけた。


 大理石の床がバキッと音を立てて砕け、グウの顔は床にめりこんだ。


「隊長!!」

 ギルティは慌ててグウのそばに屈みこんだ。


「貴様、いつから私に講釈を垂れるほど偉くなった」

 議長は怒気のこもった低い声で言った。

「立場をわきまえよ」


 グウが顔を上げると、大理石の破片がパラパラと落ちた。


「失礼いたしました」


「貴様には、ほかにも言っておくべきことが山ほどあるが――まあいい。来週の四天王会議にとっておくことにしよう」


 カーラード議長はそう告げると、くるりとグウたちに背を向けた。

 そして、何事もなかったかのように、取り巻きを連れて階段を下りていった。


「隊長、大丈夫ですか?」

 ギルティが悲痛な面持ちで言った。


「ああ、心配ない」

 と、グウは上体を起こした。

「はあ。やだなあ、来週の会議……」


「お前、なんちゅー恐ろしいことを……心臓が止まるかと思ったで」

 ギニョールがあきれ顔で手を差しのべた。


「ごめん、ごめん。なんかイラッとしちゃって」

 グウはその手を取って立ちあがる。


「なんかって……気持ちはわかるけど、相手を考えてほしいわ」


「そうですよ!!」


 ギルティが強い口調で言ったので、グウはビクッとした。


「私、あれくらい全然気にしません! なのに、なんで……もし私のために隊長に何かあったら、そのほうが私……」

 ギルティはもちろん怒っているわけではなかったが、悔しさとか、申し訳なさとか、いろいろな感情がいっぺんに押しよせて、どうしていいのかわからなかった。


「べつにお前のためじゃないよ。ただ事実を言っただけだ」

 グウは軽い調子で言った。

「さ、いくぞ。じゃあな、ギニョール」


「おー、また今度」


 ギルティは後悔した。

(なんで隊長を責めるようなこと言っちゃったんだろう……)


 だがグウは気にしている様子はない。階段の途中で振り返ると、

「いいか、ギルティ。将来どんなに偉くなっても、ああいう大人になっちゃダメだぞ」

 と冗談っぽく言った。


 いつもと同じ、ゆるいテンション。

 ギルティはホッとして、少し心が軽くなった。


「はい! もし将来四天王になっても、威張り散らさないようにします!」


 そう元気よく答えると、グウは声を出して笑った。


「やっぱ見どころあるよ、お前」


 彼が可笑しそうに言うので、ギルティもつられて顔がほころぶ。


「そうだな。俺の跡を継いで隊長になったら、次はお前が四天王だ」


「繰り上がりですもんね」

 ギルティはニッと笑った。


 ぐちゃぐちゃした感情が解きほぐされて、気持ちが明るくなってきた。


(私、隊長が上司で良かったな)


 グウはギルティを認めてくれる。

 お前は優秀だ、自信を持て、といつも言ってくれる。


(きっと、私が自信がなさそうだから……)


 我ながら、かなり甘やかされてると思う。

 でも、だからって、優しさに甘えようとは思わない。

 手を抜いたり、サボったりしようとは決して思わない。

 むしろ、この人のために……

 もっと、この人の役に立つために……


「隊長、私……」

 ギルティは足を止めた。

「私、もっと勉強して、もっと強くなって、角無しだからって誰からも馬鹿にされないくらい実力をつけて……それで、もし次にカーラード議長が隊長にひどいことしようとしたら、その時は私がぶちのめしてやります……!」


 グウは一瞬キョトンとしたが、そのあとすぐに笑顔になって、

「ありがとな。心強いよ」

 と、嬉しそうに言った。


 彼はそれから少し、考え事をするように目を伏せたかと思うと、

「じゃあさ……」

 と、急に真剣な眼差しでギルティを見つめた。


(えっ……)

 ギルティはドキッとした。


「来週の四天王会議、ついて来てくんない?」


「えぇ……?」


 ギルティのかすかなトキメキは一瞬で消し飛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る