第34話 初めての握手

 駐車場の床や壁に広がっていた文字が、シュルシュルシュルと、魔王の手の平に吸い込まれていく。

 まもなく、階段のほうから男女の話し声が聞こえてきて、セイラとシレオン伯爵が姿を現した。


 ギリギリだったな……とグウは思った。

 じつは、魔王が地下に降りてすぐ、シレオン伯爵の携帯にセイラから連絡が入ったのだ。で、ちょうど近くを移動中だというので、ここで待ち合わせることになった。


「あ、デメさん!」と、セイラは手を振った。「えっ、社長も?」


 彼女は床にうずくまっている社長に気づくと、驚いて立ち止まった。


「ど、どうしたんですか?」


 グウと魔王はギクッとした。


「え、えっと」

 魔王は助けを求めるようにグウのほうを見た。


「いやあ、その、偶然バッタリお会いして、立ち話してたんだけど、どうも社長さんの具合が悪いみたいで、俺たちで介抱してたんだ」

 グウはそう言い訳すると、社長の横に屈みこんで、背中をさすってみせた。


「そうなんですか。あの、大丈夫ですか?」


「大丈夫、大丈夫。ただの二日酔いだって」

 グウはヒラヒラと手を振った。

「それより、セイラちゃん、いいこと聞いたよ! この前言ってた違約金の件だけど、どうやら社長さんの勘違いだったみたいで、払わなくていいってさ」


「え! 本当に!?」


「うん。さっき俺と魔王さ……デメ君で、しっかり確認したから。セイラちゃんも、ほかのメンバーも、いつでも自由に辞められるって。ですよね、社長さん?」

 グウは社長の顔をのぞき込んだ。

「ですよねえ?」

 と、社長にしか見えない角度で怖い顔をする。


 社長はおびえ切った表情で「ハイ」と答えた。


「アハハ! よかったね、セイラ。ちょっと僕、展開についていけてないけど」

 シレオン伯爵がポンとセイラの肩を叩いた。


「はいっ。本当に、よかった……!」

 セイラは目を潤ませながら、両手で口を押さえた。


「あとはメンバー同士で話し合って、自由に決めたらいいよ」

 グウはそう言って微笑んだ。


「グウさん……ありがとうございます」


「何か予定と違うけど、結果オーライってことでいいかな! アハハハハ」

 シレオン伯爵はヘラヘラと笑った。

「いいかい、セイラ。これからも何か困ったことがあったら、一人で悩まずに、誰かに相談するんだよ。僕は常に君の味方だから、いつでも頼ってくれていいよ――ってデメが言ってました」


「ファッ!?」

 魔王は素っ頓狂な声を上げた。

 セイラがぱっと魔王のほうを見る。


「い、言ってない! お、お、俺は、俺なんか、そんな……!」

 魔王はうろたえた。

「……俺は何もやってないし……一人じゃ何もできないし……できないけど、ただ、その……えっと……」

 伝えたいことがまとまらず、魔王は言葉につまった。

「その…………う…………」

 完全につまった。

 そして、自分が作り出した沈黙に耐え切れず、下を向いた。


「デメさん」

 と、セイラは両手で魔王の手を取った。


「ふぇっ!?」

 魔王はビクッと飛び上がった。


「デメさん。私、デメさんがグレープホールに行けるって言ってくれて、嬉しかった」


 魔王が顔を上げると、セイラがきらきらした大きな目で、自分のほうを見ていた。


「あなたのおかげで、今、自信を持って言えます。私、絶対にグレープホールに行くから、見ててください」


 熱意と希望に満ちあふれた、最高に美しい笑顔がそこにあった。


 あまりにまぶしくて、魔王はやっぱり下を向いた。

 だが、今度はちゃんと言葉が出てきた。


「はい……応援してます。あなたの夢が叶うように」


 魔王はそう言って、握手会で握れなかった彼女の手を、遠慮がちに握り返した。


 ふう、とグウは息をついて、安堵と疲労の入り混じった微笑を浮かべた。

(ほらな。やっぱりこれが一番いいエンディングだろ?)

 と、心の中で魔王に言う。


「めでたしめでたし、だねぇ♪」


 魔王の横でピンク髪の少女がうなずいた。


 ん?

 と、全員が思った。


「お、お前、お前……何で来たああああ!?」

 魔王はベリ将軍を指さして叫んだ。


「ベリちゃん!! あれほど出てくるなって言ったのに……!」

 シレオン伯爵が頭を抱えた。


「ほえっ!? え!? はっ!?」

 セイラは憧れのベリを前にパニックに陥った。


「あのね、セイラ、これはそのー、会社のプロモーションの関係で……」

 

 シレオン伯爵は必死に言い訳をしようとしたが、セイラは聞いていなかった。


「な、なんで? なんでいるのっ? えっ?」


 その取り乱し具合を見て、グウはセイラと初めて会ったときの魔王を思い出した。

(ほぼ魔王様と同じリアクションなんだが……)


「お嬢ちゃんがデメちゃんの推しー?」

 ベリ将軍はずいっとセイラの顔をのぞき込んだ。


「えっ、あっ、かわっ、はあっ」

 セイラはもう息をするだけで精一杯という感じだった。


「ふーん、可愛いねえ♪」

 ベリ将軍はそう言って、セイラの頭を撫でた。


「はっ、はわわわわわわわ」

 セイラは顔を真っ赤にしながら奇声を発した。


 グウはチラッと魔王のほうを見た。


 魔王はプルプル震えていた。


 何もしてないのに最後にパッと出てきて、セイラの関心を根こそぎかっさらっていったベリ将軍。いくら推しの推しとはいえ、ベリ将軍アンチだけは譲れない魔王だが、推しの感動の対面を邪魔するわけにもいかず、ただ泣きそうな顔でプルプル震えることしかできない。


(ちょっと可哀想……)

 グウはめずらしく魔王に同情した。


 そして魔王は、いっそうベリ将軍のアンチになった。



 * * *



 その後、チェリー☆クラッシュのメンバーは、そろって事務所を退所。

 

 ちなみにあの事務所は、次々と所属タレントが辞めていき、最終的に廃業に追い込まれたという。





《Case4 END》

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