第33話 トゥルーエンドのために

 なんじゃこりゃ……!!

 と、グウは思った。


 ただならぬ悲鳴を聞いて、急いで駆けつけたはいいが、グウの目に飛び込んできたのは予想外の光景。

 魔王と、セイラの事務所の社長と、なんかヤバい虫……

(てか、何なんだあの虫! キモ!!)


「お待ちください。何があったか知りませんが、多分やりすぎです」

 状況は飲み込めないが、とりあえず止める。


(せっかく穏便に事を運ぼうとしてたのに、どうしてこんな事態に……)


「やりすぎ?」

 魔王は眉をひそめた。

「お前はこいつがどういう人間か知っているのか? 俺が今どれくらい不愉快か、お前は知ってて止めようとしているのか?」


(いや、ぶっちゃけ知らんけど……)

 グウにわかるのは、魔王の尋常でない怒りと、状況のヤバさだけだった。


 考えてみれば、ここが事務所の近所である以上、鉢合わせする可能性はなくはない。軽率に魔王を一人にした自分の落ち度だ。


「わかりました。そいつの悪行については、あとでちゃんと話を聞きますから。それで、魔王様にご納得いただけるよう、然るべき処置を取りましょう。とにかく、殺しはいけません。人間界で人殺しはダメだと、この前も言ったじゃ――」「黙れ!」


 魔王の顔に、ビキッと太い血管が浮き出た。

「それでも俺が殺すと言ってるんだから、口出しするな!」


「しかし、魔王様……」


「黙れ!!」


 青白い光線がグウのほほをかすめた。

 振り返ると、数メートル離れたコンクリートの壁に焼け焦げた跡ができ、細い煙が上がっていた。


 銃弾でも傷をつけることができないグウの皮膚に、うっすらと血がにじむ。


「聞こえなかったか? それ以上言うなら、お前の命もないぞ」


 魔王はすでに人間の形相をしていなかった。

 ギョロッと見開かれた目といい、血管の透けた皮膚といい、何かグロテスクな深海生物に近づきつつあった。


「魔王様……」

 なんでだ。どうした。

 さっきまで自販機にはしゃいでいたのに、たった数分でこの豹変ぶり。いつもの内気で繊細な少年の面影は、もはやどこにもない。


 ――お前も勘違いしないほうがいいよ、グウ。いくら温厚になったとはいえ、コイツが史上最恐の化物であることに変わりはない。

 ふと、伯爵の言葉を思い出す。


(俺だって、できればこんな化物相手に、意見なんか言いたくねえよ……)


 グウは一瞬、色々なことを天秤にかけた。


 正直、この男を身をていして守ってやる義理はないし、人間を一人殺したところで、すぐに秩序が壊れるわけでもない。


(だからといって、ここで魔王様に人間を殺させていいのか?)


 グウは悩んだ。

 魔王親衛隊長として、どうするべきなのか。


 ぶっちゃけ、この仕事に対して何のプライドもポリシーも持ち合わせていないし、辞めていいならいつでも辞めたいし、続けている理由といえば「仕方なく」が90%だが……残りの10%の中には、多少なりとも自分の意思が……目的が存在するわけで……


 そう……

 魔王デメが、ただ強いだけの魔王に成り下がっては困るのだ。


 グウは床にひざまづいて頭を下げた。

「魔王様。どうか私の話をお聞きください」

 と、かしこまって言う。

「決して、この人間のために申し上げているのではありません。私は魔王様のために申し上げております。たとえ、あなたのお怒りを買おうとも、どうしても一つだけ言っておきとうございます。私をお手討ちになさるのなら、どうかそのあとに」


 しばらく魔王の怒りに満ちた荒い呼吸が聞こえていたが、さすがにグウの献身的な言葉が効いたのか、

「申してみよ」

 と、返事があった。


「では申し上げます」

 グウは顔を上げて、こう言った。

「恐れながら、魔王様はルートを間違っておいでです」


「何?」


「よくゲームしてるときに、一人でぶつぶつ言ってるじゃないですか。ルート分岐で正しいほうを選ばないと、トゥルーエンドにたどり着けないって。今がその分岐です、魔王様。この男を殺すか、殺さないか。ルートを間違えば、一番いいエンディングは見れませんよ」


 魔王の顔の上で、青い血管がドクドクと脈打った。

 何か言いたそうな目でグウをにらむ。


「魔王様。今一度、セイラちゃんの顔を思い出してください」


「え?」


「悪人とはいえ、身近な人間が死んで、あの子がどう感じるか、よくお考えください」


 グウはまっすぐ魔王の目を見て言った。


「べつに血を流さなくたって、彼女はこの男と縁を切れるのです。あの子のアイドルとしての再出発を、明るく晴れやかなものにしたいとは思いませんか」


 魔王の青い瞳が、小刻みに揺れている。

 心の内側で感情がせめぎ合っているのがわかる。


「あの子は大きな夢を持っていて、それを叶えるのは、きっと並大抵のことではなくて、この先、辛い思いをすることもあるでしょう。挫折もするだろうし、競争とか、妬みとか、人間の醜い姿もたくさん見ることになるかもしれない。しかし、せめて……、せめて我々魔族がするような血みどろの殺し合いや、無慈悲な殺戮とは無縁でいて欲しいとは思いませんか。我々がむ、この残酷な、殺伐とした世界など知らずに……魔王様が惹かれたあの明るさを忘れずに生きていって欲しいとは思いませんか」


 魔王の指パッチンに構えたままの手が、ブルブルと震えている。

「ゔ……ゔぐぐぐぐ」

 彼はうなり声を上げながら、歯を食いしばった。


 そして――

「クソッ!」

 と、コンクリートの床をダンッと足で踏みつけた(砕いた)あと、ようやくその手を降ろした。

 同時に、人面虫デュラスピアもスッと消えた。


 解放された社長は、床にうずくまって、すぐに吐きはじめた。


 グウも緊張から解放されて、ふーっと息を吐いた。

(よおし、よく我慢したぞ。クソ魔王)


 しかし、ほっとしている場合ではなかった。


「あ、すみません、魔王様。あともう一つ、お知らせが」

 グウはひょいと手を挙げた。


「なんだ!!」

 依然としてイラついている魔王が、荒々しく返事をした。


「もうすぐ、ここにセイラちゃんが来ます」


「は!?」


「なので、はやく魔法を解除してください」


 地下駐車場の床や天井には、まだ魔王の魔法である『魔界大百科』の黒い文字が広がったままだった。


「お、お前、それをはやく言わんか!」


 魔王の顔が、いつもの内気な少年の顔に戻っていた。

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