第32話 職業、魔王

 少年は無表情で、じっと二人を見ていた。

 とにかく陰気な少年だった。


 ボサボサの黒髪に、長年太陽を浴びてなさそうな青白い顔。

 ファッションもひどい。

 チェック柄のシャツを、最もやぼったく見える具合にズボンにインしているばかりか、靴やベルトもすべて母親がスーパーの二階で買ってきたようなアイテム。


「誰だ?」

 社長は眉間にしわを寄せた。

「なんだ、この、わざとらしいくらいのオタクは」


「……したのに」


 少年はボソッと声を発した。


「せっかく我慢したのに、なんでまた俺を不愉快にする」


「はあ? 何だって?」

 社長は威嚇いかくするように大きな声を出した。

「つか、どちら様?」


「社長、ほっときましょうよ。なんか、ヤバイ奴じゃないですか……?」

 若いスタッフが引きつった顔で言った。

 無表情でじっと立っている少年が、何となく不気味に思えたのだ。


 少年は顔を上に向けて、なぜかスゥー、ハァー、と深呼吸を繰り返した。


「だめだ。我慢できない」


 彼は小さな声でそうつぶやくと、社長のほうにギョロッと視線を向けた。


「オイ、なんだその目は。ケンカ売ってんのか?」

 社長はケンカ腰になってきた。

 目の前にいるのは、ただの陰キャのガキ。こんな奴が自分に挑戦的な態度をとるなど、許されることではない。


 社長はツカツカと少年に歩みよった。


「なんだ、お前。どちら様かって聞いてんだ! 答えろよ、オラ」


 社長のような人種にとって、格下が格下らしく振る舞わないのは我慢ならないことだった。ちょっと脅かしてやらないと気が済まない。


「魔王だ」と、彼は言った。


「はあぁ? 魔王? 何だそれ。なんかのアカウントかぁ?」

 社長は馬鹿にしたように笑った。


 スタッフもさすがに失笑した。ヤバイ奴じゃなくて、ただのイタイ奴なのかもしれない。


「……たぶん、職業だ」

 魔王は真面目な顔で言った。

「職業、魔王……仕事はただ一つ……」 


 ふいに足元から冷気が押し寄せてくるのを、社長たちは感じた。


「この世で最も邪悪な存在であること」

 魔王の顔に、ビキッ、ビキッと、青い血管が浮かんだ。異様なほどくっきりと膨れ上がったそれは、文様のように顔を覆っていく。


「なっ、なんだコイツ!」

 社長は思わず後ずさりした。


 魔王はすっと右手を前に出した。

 手の平を上に向け、ゆっくりと指を開きながら、


「魔界大百科」


 と、静かにつぶやいた。


 その瞬間、彼の手の平から何か小さな虫のようなものが、ぶわっとい出してきた。

 大量の小さな虫――に見えたものは、文字だった。見たことのない古代文字のようなものが、カサカサと床を這い、壁を登り、天井にまで広がった。


「寄生虫の章。人面虫デュラスピア」


 魔王がそう唱えると、文字に覆われた床がメリッと盛り上がり、二メートルくらいの巨大なムカデのような虫が飛び出してきた。


 ムカデは一瞬にして、社長の体に巻きついた。


「ギャアアアアア」

 二人は大声で叫んだ。


 ムカデの腹には、節ごとに人間の顔――やや横にのびた目・鼻・口があり、皆どこか苦しげにハアハアと呼吸していた。


「イヤァアアアアア!」

 若いスタッフは悲鳴を上げて逃げ出した。


「おい! 待て! おいてくなあぁ!!」

 社長は叫んだ。


「それは魔界で最も醜く、最も成長の速い寄生虫の一種だ」


 魔王はゆっくりと社長に近づいた。

 そして、身動きが取れない社長の心臓のあたりを、人差し指でトンとつついた。


「お前に、世にもおぞましい死を与えてやる」


 魔王がそう言うと、社長の目の前で寄生虫の頭部が四つに割れて、中から蛇腹じゃばら状の管が出てきた。


「ギャアアアアアアアアアアァゴボゴボゴボ……」

 管が社長の口に突入してきた。彼はそれを胃カメラのように飲み込むしかなかった。


「俺が合図をすれば、そいつがお前の腹の中に卵を産み付ける。卵は即座に孵化し、十秒もすれば何十匹もの幼虫が、お前の体を食い破って外に出てくるだろう」

 魔王は社長の目の前で、指パッチンの構えをしてみせた。


 社長は声にならない声でうめいた。


「セイラの夢を食い物にしようとしたお前が、虫の食い物になるとは……フフフッ、怖い世の中だな」

 魔王は社長の言葉を引用すると、初めて口角を上げて笑った。

 真っ白な顔に、ひんやりとした微笑が浮ぶ。

 そして、いよいよ指を鳴らそうとした、そのとき――


「魔王様!!」


 大きな声で呼ばれて、魔王は振り返った。


 そこには、焦った顔をしたグウが立っていた。

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