第28話 殺意

「魔王様、それはいけません」

 グウは冷静に止めた。


(魔王様にしては、今日はやけに穏便というか、物わかりがいいと思ったが……セイラちゃんの前だから我慢してただけか……)


「何でダメなんだ?」

 魔王はくるりと振り返った。

「セイラは事務所を辞めたいと言ってたし、あいつはセイラにとって邪魔なんだろう? 50万くらい俺が用意してやってもいいが、それより事務所を潰したほうが手っ取り早い。何より、あの男はセイラをぶった。だから俺が直々に手を下すことにする」


 魔王は淡々と喋った。


(うわー……この静かな感じ、けっこうキレてるパターンだ。セイラちゃんといる間、ずっと耐えてたんだろうな)

 厄介だな、とグウは思った。

(下手なこと言うと俺が殺されるぞ、これ。慎重に説得しないと)


「魔王様、何も殺すことはありません。相手は人間です」


「だからどうした」

 魔王は無機質な声で言った。

「この俺を不愉快にした者を、生かしておけと言うのか」


 魔王の頭上に、まるで木の枝が茂るように、巨大な角が形成されていく。もう魔力を制御する必要も、角を隠す必要もない。月明かりの下に浮かび上がる、珊瑚さんごのような複雑怪奇な輪郭。神秘的で、かつ不気味な光景だった。


「魔王様」

 グウは落ち着いた声で呼びかけた。

「ご自身の言葉をお忘れですか。『人間界に手を出すな』――殺していいのは魔界に侵入してきた人間だけで、人間界で暮らす者には手を出してはならない。それが、あなたが魔王になってから天下に号令された唯一の法であったはず。それを、魔王様が自ら破るようなことがあっては、ほかの魔族に示しがつきません」


 魔王はちょっと目をそらした。

「だが、場合によるだろ。クズは例外だ」


「簡単に例外を作ってはダメです」

 

 魔王はカッと目を見開いた。

 ズケズケ言われて、カチンときたらしい。

 それでもグウは続ける。


「魔王様。よくお考えください。魔王様が『人間界に手を出すな』とお命じになって以降、魔族による人間の殺傷事件は一割以下にまで減少しました。皆あなたの怒りを買うことを恐れて、人間に手出しできずにいるのです。このルールが有耶無耶うやむやになってしまったら、魔族はきっと、適当な理由をつけて好き勝手に人間を襲うようになるでしょう。そのときに死ぬのはクズだけじゃない。セイラちゃんみたいな夢を追う若者や、魔王様が尊敬してやまないゲーム開発者の方々だって、犠牲になるかもしれないんですよ」


 魔王は何も言わなかった。

 ただ、その白い顔にはビキッ、ビキッっと青い血管が浮かび上がった。


(言い返せないからって、無言で青筋だけ浮かべんなよ。怖いんだよ)


「それにセイラちゃんだって、ファンに人殺しなんかして欲しくないと思いますけど」


「じゃあ俺はどうすればいいのだ!!」

 魔王は声を荒げた。

 空気がビリッと震える。

「俺は魔族で、魔王だぞ!! 殺すことと奪うこと以外、何ができるというのだ!!」

 彼は感情をむき出しにして、目の前のグウにぶつけた。

 ほとんど獣の咆哮ほうこうのようだった。


(ド迫力……)

 グウは生きた心地がしなかったが、表面上はあくまでも毅然として、背筋を伸ばして立っていた。


「金が必要なら、俺がいくらでも用意してやる。あの子が大きいホールで歌いたいなら、俺が歌わしてやる。ホールの一つや二つ、いつでも力ずくで奪えるからな! 観客だって何万人でもかき集めてきてやる。俺が世界一のアイドルだと言えば、セイラは世界一のアイドルだ! 異論のあるヤツは全員ブチ殺す。その気になれば、俺はあの子のために何でもできる! 何でもだ!! だけど……! だけど……セイラはきっと、そんなこと望まないから……」

 魔王は悔しそうに眼を伏せた。


 グウはふう、と息をついた。

「さすが魔王様。よくわかってらっしゃる」

 と、ようやく安堵の表情を浮かべる。

「たしかに、そんな方法じゃ、あの子の夢は叶わない。無理やり売れっ子にしたって、みんなから愛されるアイドルにはなれませんからね」

 グウは穏やかな声で言った。

「魔王様だって、地道に頑張ってるあの子だから、応援したくなったんでしょ。本当にファンなら、ファンとして応援してあげましょうよ。あの子が自分で夢を叶えるのを」


 魔王は黙って唇を噛みしめていた。

 ――と思ったら、突然、グウのすねを蹴った。


「いってぇ!! 何するんですか!」


「お前! 魔族のくせに、何でそんなマトモなことばっかり言うんだ!」


(えぇ……マトモなこと言ったら蹴られた……理不尽すぎる!!)


「はあ」と、魔王は息を吐いた。「ファンというのは、もどかしいものだな。できるのは応援することだけか」


 グウは腕を組んで、少し考えた。

「もしかすると、一つだけできることがあるかもしれませんね」


「何だ」


「いえ、確認してみないとわかりませんが、セイラちゃんの契約の件で、少し気になることがありましてね」

 グウはちょっと考え事をするように、ぼんやりと月を見上げた。

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