第27話 夢と魔法
「私がいけなかったんです。ちゃんと契約書、確認しなかったから」
タオルを肩にかけたセイラが言った。
彼女は雨に濡れたワンピースを脱いで、レストランの制服に着替えていた。
セイラの事務所の人間たちは、あの後すぐに帰ったらしく、魔王とセイラが戻ってきたときには、もう姿はなかった。
「オーディションに受かって、事務所と契約できたことに舞い上がっちゃって。内容なんてちゃんと見てなかった。契約のときは社長もすごく優しくて、説明も丁寧だったから、ぜんぶ言われた通りにしちゃって……」
セイラはそう言ってうつむいた。
「まあ、事務所側がちゃんと説明しなかったのは問題だけど、そういう違約金が発生するケースは、ほかの事務所でもあるみたいだね」
シレオン伯爵が言った。
「てことは、辞めるには、やっぱり違約金を払うしかないんですかね?」
グウがたずねた。
「それは実際に契約書を見てみないと何とも」
伯爵は肩をすくめた。
「ねえセイラ、契約書のコピーは持ってる?」
「えっとー、もらってないような……?」
セイラは斜め上のほうを見た。
記憶になさそうである。
「ああっ、なんで私ってこう、しっかりしてねぇんだべ!!」
と、彼女は頭を抱えた。
(だべ!? 急に
グウはちょっと驚いた。
「やっぱり私、甘いですよね……今日も社長に言われました」
(あ、もとに戻った)
といっても、もともとイントネーションは微妙に訛ってはいた。
「過激なサービスより、パフォーマンスで勝負したいって言ったら、『考えが甘い』って。むしろ、もっと攻めたサービスをやったほうがいい、みんなそうやって苦労して這い上がっていくものなんだって。たしかに、それもわかるんです。でも……このままじゃ、どんどんなりたいアイドルから遠ざかっていく気がして……」
セイラは
彼女の話を、魔王は黙って聞いていた。
頭にタオルをかぶっているから、表情はよく見えない。
彼もまたずぶ濡れだったので、男性店員用の黒い制服の上下を借りて着ていた。
セイラはスッと顔を上げると、
「私、頑張って、違約金ためます」
と言った。
「もっと実力つけて、もっといい事務所に入ります。ダンスのレッスンをしばらくやめて、その分バイト入れれば、なんとか貯められない額でもないし。ちょっと時間はかかるかもしれないけど……うん、どうにか払える気がしてきました! それにメンバーとも、ちゃんと話し合って決めないと!」
彼女の表情からは、もう悲壮感は感じなかった。
はやくも前向きに考え始めたみたいだ。
見かけによらずタフな子だな、とグウは思った。
「あの、余計なお世話かもしれないけど、君、まだ17歳なんだよね? 一度、親御さんに相談したほうがいいんじゃない?」
グウは魔族にしてはまともな提案をした。
セイラは首をふった。
「私、親の反対を押し切って……というか、親とのガチ喧嘩の末、高校も辞めて、一人で田舎から出てきたんで、今さら親には頼れなくて」
並々ならぬ覚悟だな……と、グウは思った。
「よっぽどアイドルになりたかったんだね」
セイラはエヘヘッと、照れたように笑った。
「私、小さい頃から、ずっとベリに憧れてて、彼女みたいになるのが夢なんですっ」
「え!!」
三人の魔族は声をそろえて叫んだ。
「そ、それは……」
なんて恐ろしいことを、とグウは思った。
「嘘だ……」と、魔王は顔をひきつらせた。
「ちょっと人間の女の子が目標にするものではないような……だって、ベリは魔族だよ?」
シレオン伯爵も動揺を隠せなかった。
「魔族だけど、最高にカワイイじゃないですかっ」
セイラは目をキラキラさせて言った。
「歌もダンスも超すごいし! あんな激しいダンスを踊りながら生で歌えるアイドルなんて、ほかにいませんよっ」
と、熱を込めて語る。
まるでファンみたいだ。ファンなのか。
あんな凶悪なものに憧れるなんて、セイラの将来が心配だ、とグウは思った。
「いや、そもそも人間とは基礎体力が違うし。花道で伸身二回宙返り決めるとか、もうアイドルのやることじゃないよ」
伯爵はブンブンと顔の前で手を振った。
「それがカッコいいんじゃないですか! 私、ベリのアクロバットに影響されて体操クラブに入ってたんで、バク転できるんですよっ」
「うそぉ!?」
「だから、いつかベリみたいに、グレープホールでライブをするのが目標なんです」
セイラはなぜか顔を赤らめながら言った。
「グレープホール?」
グウは首をかしげた。
「え! 知らないんですか!?」
セイラは信じられない、という顔をした。
「ダメダメ。グウは人間界……じゃなくて、芸能界とか全然わからない人だから」
伯爵は危うく口を滑らしそうになりながら、
「グレープホールっていうのは、そこでライブができれば一流って言われるくらい超有名なホールで、アーティストにとっては憧れの場所なんだよ」
と、説明した。どうやら人間界では一般常識らしい。
「グレープホールに行きたいなんて言ってるの、チェリクラでも私だけなんですけどね。ほかの二人はすごく現実的で。たしかに、今の私たちがグレープホールに行けるなんて、誰も思いませんよね」
セイラは自嘲気味に言った。
「私だけが行けると思ってるんです」
えへっ、と彼女は恥ずかしそうに笑った。
「行けるよ」
ずっと黙っていた魔王が、ふいに口を開いた。
「自分ができると思ったことは、必ずできる。この世界はもともと、そういう仕組みなんだ。魔法なんて言葉ができる前から、ずっと」
魔王はうつむき加減のまま、静かに喋った。
「誰ができると思わなくても、セイラができると思うなら、それは必ずできる。セイラの魔法はもう始まってる。俺にはわか……」
そこで魔王はハッと顔を上げた。
皆が自分に注目していることに気づき、とたんに声が小さくなる。
「いえ、何でもないです……」
「デメさん……」
セイラは驚いたように目を丸くした。
急に魔法とか言い出した魔王のことを、ヤバい奴だと思ったのか。
いや、違うようだ。
彼女の表情は、きらきらと明るくなった。
「ありがとうございます。私、頑張ります!」
* * *
どうにか終電で魔界の門までたどり着いたとき、迎えの車の運転手は待ちくたびれて熟睡していた。
深夜の『界道1号線』。
小雨の降る中、
それが魔王の車だと誰もが知っているので、野盗も襲ってこない。
ほかの車であれば、深夜に森を走ろうものなら、もれなく襲撃される。車は貴重品だから、みんなが欲しがるのだ。
「アーキハバルの夜景を見たあとだと、魔界が暗く感じますね」
グウは窓の外を見ながらつぶやいた。
「あっちが明るすぎるんだろ」
魔王は携帯用ゲーム機に視線を落としたまま、ぶっきらぼうに答えた。
彼はいつにも増して
* * *
魔王城に到着する頃には、すっかり雨は止み、空には月が出ていた。
しーんと静まり返った七色広場に、二人の足音だけが響く。
昼間に
「おい、グウ。来週もう一度アーキハバルに行くぞ」
前を歩く魔王が言った。
「え? 来週もですか」
「チェリクラの定期公演だ。週に一回はライブがある」
(てことは、毎週ライブに付き合わされるってこと!?)
グウは気が遠くなりかけた。
(さすがに無理だわ。親衛隊でローテーション組もう……)
「来週もライブを見て、CDとグッズをいっぱい買うんだ。それから、セイラの事務所の社長を殺して、またゲーセンに行く」
グウは思わず足を止めた。
(今、なんて言った?)
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