第25話 一触即発

「ちょっと、魔王様!」

 グウは思わず、バッと魔王の腕をつかんだ。

「何する気ですか!? ダメですって!」


「邪魔するな。アイツの脳味噌を派手にぶちまけてやるのだ」

 魔王はものすごい形相でセイラの事務所の社長をにらんでいた。

 目のまわりに青い血管がビキビキと浮かんで、ヤバイ顔になっている。


「ダメダメダメ! 落ち着いて! セイラちゃんの前ですよ! 目の前でそんなグロシーン見たら、一生のトラウマになりますって!」


「そうっ、そうだよ! いったん落ち着こう、デメ!」

 シレオン伯爵も慌てて止めた。

「僕がやんわり言ってくるから。頼むから僕の店で事件起こすのだけはやめて!」


「やんわり!? やんわりで済むか! アイツ、セイラに馬鹿って言ったんだぞ!」


 ガタッ

 と、セイラたちの席から物音がした。


 振り返ると、テーブルの上でワイングラスが倒れている。

 そばにはセイラの手。

 彼女は料理がのった皿を持ったまま、青ざめていた。

 おそらく、社長に料理を取り分けようとして、グラスを倒してしまったのだと思われる。ポタポタと、社長のスーツにしずくが落ちた。


「す、すみません!」

 セイラは慌ててナプキンを持って立ち上がった。


「おーい、誰かくもの持ってきてー」

 シレオン伯爵が店員を呼んだ。


「あ、よかったらコレも」

 と、グウが自分のナプキンを手に取った、

 そのとき――


 バチンッ


 と、音が響いた。


 次に、ドサッという音。

 見ると、セイラがほほをおさえて、床に座り込んでいる。


「何やってんだ、このグズ! そんなだから売れないんだ!」

 社長の怒号が響いた。


 どうやら社長がセイラの頬をぶったらしい、と理解する前に、ピカッと青い光がグウの目のはしにうつった。

 魔王の指先に、凝集したエネルギー体の発光。


「魔王さ――」

 とっさに攻撃を手でさえぎろうとするが、一歩遅かった。

 発射された光線がグウの爪の先をかすめる。


 間に合わない、と思った瞬間――

 放たれた光線がスウッと、何もない空中に吸い込まれるように途切れた。


「!?」

(攻撃が消えた?)


 何もない空中――だと思っていた部分が、急にペロリとがれた。

 まるで空中に透明なセロファンが貼ってあったみたいに、薄っぺらい何かが、ぺろーんと手前にめくれている。


「よっこらしょ」

 気の抜けた声とともに、シレオン伯爵が立ち上がった。

 そして、その薄い透明な物体をシュッとつかむ。

 物体はたちまち縮んで白いハンカチになり、伯爵の胸ポケットにおさまった。


「今のは?」と、グウがたずねると、


「薄い異空間。さっき貼っといた」

 と、彼は何でもないように答えた。


(何ソレ……空間魔法ってこと? すげえ……)

 グウは思わず感心した。


 空間魔法――すなわち異空間の構築・操作に関する魔法は、あらゆる魔法の中で最も難易度が高いとされ、使える者は魔界でも数えるほどしかいない。


(そんな高等技術をあっさりと……さすが元魔王、空間魔法も職人技の域に達してるな)


「店で暴れないでって言ったでしょ」

 シレオン伯爵は、苛立いらだちを含んだ鋭い視線を魔王に向けた。

 その瞳にギラッと赤い光が宿る。


 魔王もギロッと伯爵をにらみ返した。

 何本も血管が浮き出たその顔は、すでに人間の形相ではなかった。


(おいおい……)

 グウの体に緊張が走る。

(今そこ二人でケンカすんのはマジでやめて!)


「今の何? 何もないところから、急に布が……」


 一部始終を見ていた事務所のスタッフがざわついた。

 気づけば、セイラや社長も含めて、まわりの人間が自分たちのほうをじっと見ていた。


 ヤバイ、と魔族たちはあせった。


「まさか魔法?」

「え? 魔法使いってまだいるの?」


「て、手品でーす!!」

 シレオン伯爵は両手を広げて、ジャジャーンという感じのポーズをとった。

 色々な意味で苦しい言い訳。


「手品?」

「え、でも何か青い光が見えたような」


「ペンライトでーす!! ねっ?」

 伯爵は必死な顔でグウたちを振り返った。


「ペンライトです!!」

 グウは力強く答えた。


「な、何なんですか、急に。何をやってるんですか、あなた方は」

 事務所の社長が戸惑った顔で魔族たちを見た。


「そっちこそ何をやってるんですか、社長! 暴力はいけませんよ!」

 伯爵は議論をすり替えつつ正論をぶつけた。


「あ、あなたには関係ありませんよ! こっちは仕事の話をしてるんです」

 社長はさすがにバツが悪いようで、目をそらした。


「うちの従業員でもあります。大丈夫かい? セイラ」

 伯爵はひざをかがめてセイラに手を差し伸べた。


 魔王が隣でぎゅっと拳を握りしめるのを、グウは見た。


「私……」

 セイラがうつむいたまま口を開いた。

「私、事務所、辞めます」

 彼女は顔を上げて、キッと社長のほうを見た。

「辞めて新しい事務所を探します。未払いの給料を払ってください」

 彼女のはっきりとした声には、決意がこもっていた。

 その場の勢いで言っているわけではなさそうだ。もしかすると、前々から考えていたことなのかもしれない。


 社長は怒りで顔を歪めた。

「なら違約金を払え」

 と、威圧的な声で言う。 


 隣にいる事務所のスタッフらしき若い男が、驚いたような顔で社長のほうを見た。


「違約金?」

 セイラの顔に動揺が広がる。


「契約期間の途中で辞める場合は、違約金として50万を払ってもらう約束だ。こっちだってお前らのレッスンやプロモーションに金かけてんだ。当然だよな? 給料はもちろん払ってやるよ。2か月分だから8万くらいだろ? 違約金50万から8万引いて、差額の42万を今すぐ払えるんなら、辞めるなり何なり好きにしろよ」

 社長は怒気をはらんだ声で、責め立てるように言った。


「そんな……違約金の話なんて聞いてません……」

 セイラは泣きそうな顔で言った。


「ちゃんと契約書に書いてある。よく読まないほうが悪いんだろ」

 社長は冷たい目でセイラを見下ろした。

「いいか? これは仕事なんだ。部活じゃないんだよ。契約書は入部届じゃない。お前にはちゃんと契約を履行する義務がある。違約金が払えないなら、契約期間の3年間はみっちり働いてもらうからな」


「ちょっと社長、未成年相手にそんな言い方……」

 シレオン伯爵が見かねて口をはさんだ。


 セイラは唇をきゅっと結んで、悔しさをこらえているようだったが、突然ぱっと立ち上がると、店の出口に向かって駆けだした。


「セイラちゃん!」

 グウは呼び止めようとしたが、セイラは店から飛び出して行ってしまった。


 ガタンっとテーブルが揺れて、今度は魔王が駆けだした。


「え、ちょ、魔王様!?」


 呼び止める間もなく、彼もまた店から飛び出して行ってしまった。

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