第24話 ブラックな事務所

「な、なんでっ? なんでいるの!?」

 魔王はパニック状態で彼女を指さした。


「少し前からうちでバイトしてるんだ、ねえ?」

 シレオン伯爵は彼女に笑いかけた。


 シックな黒いワンピースに、白いエプロンに、ポニーテール。ステージ衣装とはだいぶ印象が違うが、たしかにセイラ本人だった。


「はいっ。おかげさまで、もうすぐ一か月になります」

 セイラは愛想よく返事をした。

「えっと、オーナーのお友達ですか?」


「そうそう、大親友なの。ねえ、デメ?」


 魔王は完全に放心状態で、シレオンの戯言ざれごとなどまったく耳に入っていなかった。彼は今、間近で見るアイドルの圧倒的な可愛さを受け止めるだけで精一杯だった。 


(まさか、こんなところで本人に遭遇するとは……)

 グウもさすがに驚いた。

(ていうかバイトって。この子、今日ライブだったよね?)


「昼間にライブしてたのに、もう夜にはバイトしてるんですか? ハードすぎない?」

 思わず若者を心配してしまうジジイ。


「言われてみれば、たしかに!」

 セイラは今気づいたかのように言った。

「でも、どっちも楽しいんで大丈夫です! それに、家賃とかレッスン料のためにも、できるだけバイトは入れときたくて」


「あれえ? レッスン料って、事務所持ちじゃないの?」

 と、シレオン伯爵。


「あ、えっと、事務所でもレッスンは受けさせてくれるんですけど、それだけじゃ足りなくて、自分でもダンススクールに通い始めちゃって。そしたら、さらに生活がギリギリに」  

 セイラは苦笑いを浮かべた。


「ああ、なるほど。そういうことか。君の事務所ブラックだから、レッスンすら受けさせてもらえないのかと思って心配しちゃった」

 伯爵はヘラヘラと笑った。


「ちょっと、ラウルさんっ! ファンの前でそういうこと言わないでくださいよっ。あ、ファンじゃないんだった! すみません!」

 セイラは慌ててパッと口をおさえた。


「いえいえ、もうファンみたいなもんなんで」と、グウは手を振った。「今日のライブもすごく良かったし。ねえ、魔王様?」


「えっ、あ、はい! 素晴らしいライブでした」

 魔王は大きく首を縦に振った。


(でした!?)

 魔王が敬語を使えることを、グウは初めて知った。


「わぁ、よかったぁ! ありがとうございます! ぜひまた見に来てくださいね!」

 セイラは屈託のない笑顔で言った。

「じゃあ、私、時間なんで上がらせてもらいます。あ、ラウルさん、あとで社長が挨拶に行くって言ってました!」


「はいはーい。りょうかーい」


 セイラはペコリとお辞儀をすると、厨房のほうへ向かった。

 ポニーテールの髪がシャンプーのCMみたいにツヤツヤ光ながら揺れる。


(あの透明感、魔族には絶対に出せない)

 と、グウは思った。


 途中、別の店員がすれ違いざまに、

「あ、セイラちゃん! ジャガイモが大量にあるから、少し持って帰っていいってさ!」

 と、彼女に告げた。


「やったあ、イモ類!! 備蓄できる! ありがとうございまーす!」

 セイラは飛び跳ねながら喜んで、パタパタと走り去っていった。


(備蓄? そんなに食糧に困るほど金欠なのか?)

 グウはさらに心配になった。

「握手会、あんなに行列できてたし、けっこう売上ありそうだったけどな……」


「アハハ、ダメダメ」

 と、シレオン伯爵が手を振った。

「売上なんて、ほとんど運営費用で持ってかれちゃうから、彼女たちの手元には微々たるお金しか残らないよ。チェキ代のバック率も事務所によってバラバラらしいけど、あの子の事務所だと、あんまり期待できないだろうなぁ」


「ずいぶん詳しいんですね」と、グウ。


「フフッ。君たちが今日ライブ見てきたあのライブハウス、僕がオーナー。潰れそうだったらから、この前買ったんだ~」


「マジで?」

(この人、どこまで人間界で勢力を拡大するつもりなんだ?)

 シレオン伯爵のあまりの手広さに、グウは警戒心すら抱いた。


「ウフフフ。街に活気がなくなると商売がやりにくいからねぇ。というわけで、セイラの事務所の人間も知り合いさ。何なら、さっきまでそこで打ち上げしてたよ。メンバーはとっくに帰ったけど、まだスタッフは残って飲んでるみたい」


 伯爵はグウたちの斜め後ろの席を指さした。

 そこには男2人、女1人のグループがいた。

 

「セイラちゃんの事務所、良くない事務所なんですか?」


「そうねぇ。ふつうに胡散うさん臭いかなぁ。セイラたちに還元しないぶん、プロモーションにお金かけてるようにも見えないし。そのわりに、ほっぺにチューとか、けっこう際どいことやらせてるし。地下アイドルでも、そのへん厳しいとこは厳しいからね。チェリクラみたいにバリバリ接触OKって、少ないほうじゃないかな。まあ、それでファンが獲得できるなら、本人たちはいいのかもしれないけど」


「ふうん。なかなかシビアな業界ですね。人間界なのに……」

 グウは何だかやるせない気持ちになった。セイラがいい子そうなだけに、いろいろと報われてほしいところだが……と案ずる魔族のジジイ。

「ほらね、魔王様。やっぱりアイドルも大変なんですよ。きっと綺麗ごとだけじゃやってけないんでしょ。でも健気じゃないですか。レッスンのためにライブの後までバイトして。きっと疲れてるだろうに、あんなに愛想もよくて。まあ、ファンの前だからかもしれないけど。俺は好感度上がりましたけどね」

 そう言って、魔王のほうを見ると……


 彼は妙に澄んだ目をして、どこか一点を見つめたまま、動きを止めていた。


「あの、魔王様?」


「グウ、決めたぞ。俺はセイラのファンになる」

 魔王は一点の曇りもない澄んだ瞳で言った。

 知り合って300年以上になるが、グウがいまだかつて見たことのない顔だった。



 * * *



 数分後、一人の男がグウたちの席の横で立ち止まった。


「どうも、ラウルさん。いつもセイラがお世話になっております」

 40歳くらいの日焼けした長身の男がにこやかに言った。


「こちらこそ。いつも御贔屓ごひいきにあずかりまして」

 シレオン伯爵は慣れた様子で挨拶をした。どうやらお得意様らしい。


 男はグウたちの斜め後ろの席、セイラの事務所のスタッフがいるテーブルに腰を下ろした。


「あれがセイラの事務所の社長だよ。悪そうな顔してるでしょ。チンピラみたいに見えるけど、ほんとにチンピラだよ」

 伯爵は笑いながら言った。


「へえ……」

 グウはその色黒の男をチラリと見た。

 たしかにギラギラした雰囲気はあるが、それほど凶悪そうには見えない。まあ、あくまで魔界の基準だが。


 厨房のほうからパタパタと足音が聞して、私服に着替えたセイラが戻ってきた。淡い黄色の長袖のワンピースを着ている。歩くたびに、ひざ丈のスカートがふわっと揺れ、おろした髪に天使の輪のようなツヤがきらめいた。


「社長、少しお話いいですか」

 セイラは緊張した面持ちでそう言うと、事務所の社長の正面に座った。



 ――30分後。



「おい、何なんだ。あのエラそうな男は」

 魔王はイライラしながら言った。セイラたちの席が気になって仕方がないようだ。


 たしかに、彼女たちのテーブルは雰囲気が悪かった。

 店内がにぎやかなので、すべての会話が聞こえるわけではないが、楽しい話題でないことだけは確かだ。

 はじめはセイラが喋っていたが、途中からは社長が一方的に説教をしているように見える。


「なんか空気悪いですね」

 グウも心配になってきた。

 セイラはこちらに背を向けて座っているので、表情はわからないが、あきらかに委縮しているように見えるし、対する社長は話しながらワインを飲み続け、だんだん声が大きくなっている。


「何でそんなことも理解できないんだ、お前は! 馬鹿なのか!」

 急に社長が怒鳴り、セイラの肩がビクッと震えた。


 スッと魔王が腕を伸ばした。

 青い海耀石かいようせきの指輪をはめた人差し指で、社長の額のあたりを指さしている。というか、狙っている。

 グウは焦った。

「あれ、魔王様? 何か発射しようとしてる!?」

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