第21話 聖地アーキハバル

 都心に近づくにつれ、電車の中は混雑し始めた。


「おい、グウ」

 魔王が呼んだ。


「は、何でしょうか」


「見られているぞ」

 魔王は不安そうな顔で言った。


 向かいの席に座った2人組のギャルが、こちらを見ながらクスクス笑っている。


「まさか、魔族だってバレてるのか」


「いえ、違うと思います」


 お忍びで来ているグウたちは、人間界で目立たず行動するために、魔族の特徴である角を隠していた。隠すというか、魔力量を調整して引っ込めている状態で、今はイボくらいの大きさに縮んでいる。

 もともと二人とも人間に近い姿をしているので、角さえなければ、グウはちょっと髪がワカメ色なだけの普通の青年に見えるし、魔王も興奮して顔に青筋さえ浮かべなければ、ちょっと顔色が悪いだけの根暗な男子高校生に見えなくもない。


 本当は魔王城からアーキハバルまで車で行けるが、人間界の交通ルールを守れる魔族のドライバーがいないので、交通量の多い都会では、なるべく電車やバスで移動するほうが無難だ。


「たぶん、魔族だってことはバレてないと思います。おそらくですが、我々のこのTシャツに原因があるかと」


「えっ」

 魔王は驚いて、自分が着ている限定Tシャツを見た。



 チェリー☆クラッシュ 祝♡2周年 アニバーサリーライブ

  LIVE to kill Cherry Boy!! (※童貞を殺すライブ!!)



 Tシャツには、そのような文字が大きくプリントされていた。


「ちょっと装備を身に着けるのが早すぎたかもしれません。会場に着いてからのほうがよかったかも」


「え、なんで? だって今日のライブの限定グッズだぞ。今日しか着れないんだから、たくさん着ないと勿体もったいないではないか」


「いや、それはそうなんですけど……」

(そういう問題じゃないんだって)


 グウはこっそりパーカーのチャックを上げた。



* * *



 魔界の門から、電車で1時間半。

 オタクの聖地、アーキハバル。

 魔界から日帰りで行ける範囲では一番大きな町で、魔族の若者からも人気の観光スポットである。


 約30年ぶりに人間界を訪れたグウは、街の景色に愕然がくぜんとした。

 カラフルな建物と巨大なテレビ。ピカピカ光る看板。

 あちこちから聞こえてくるガチャガチャした電子音。

 深い森に覆われた魔界とは似ても似つかない、極彩色の大都会。 


(知ってはいたけど、魔界って本当にド田舎なんだな……)


 30年前に来たときも、まるで未来都市のようだと感じたが、その時よりもさらに発展していることに、グウは驚かされた。


(建物も高くなっているし。あと、こんなに人多かったっけ?)


「見ろ、グウよ。これがアーキハバルだ」

 なぜか魔王が誇らしげに言った。



 ライブ会場は、とあるビルの地下一階にあった。

 階段を下りて扉を開けると、小さなステージの前に、すでに三、四十人ほどの人間が集まっていた。


「なんだ、この暑苦しい人間どもは」

 大人数が苦手な魔王は顔を曇らせた。

「これではよく見えん。おいグウ、追い払え」


「はぁ!?」

グウは耳を疑った。

「何言ってるんですか、魔王様! みんなセイラさんのグループのファンなんですよ!」


「ファン? なんだ、それは?」


 グウは唖然あぜんとした。

(何でそこは知らないんだよ! この世間知らず!)


「ファンというのは、その、なんというか……応援団みたいなものです。アイドルはファンの応援があって成り立つ職業なんですから、この人たちがいなくなったら、困るのはセイラさんですよ!」


「そうなのか?」


「そうです。それに、みんなチェリー☆クラッシュが好きでここに来てるんですから、いわば魔王様の同志でしょ。同じアイドルを好きなもの同士、仲良くしないと」


「みんなチェリクラが好き…………ならば仕方がない」

 魔王は案外、素直に納得した。

 そのとき、急に会場が暗くなり、音楽が流れ始めた。


「あ、始まるみたいですよ」

 パッとステージが明るくなり、三人の女の子が舞台上に現れた。


「あっ、うわっ、ほ、本物! 本物!!」

 魔王はグウの腕をバシバシ叩いた。


「うおおおおお、リナたーん!!」

「セイラァァァァァァ!!」

「エレにゃーーーーー!!」

 怒号のような歓声が上がった。


 アップテンポの音楽に合わせて、フリフリの衣装を着た女の子たちが歌って踊る。

 それぞれ、赤、青、黄色の服を着ていて、魔王の推しであるセイラは黄色の衣装だった。


「こんにちは! チェリー☆クラッシュでーす! 最後まで楽しんでけよっ、チェリーボーイども!」

 間奏の間に、赤色の子が会場に向けて叫んだ。


「うおおおおおおおおおおおお!!(咆哮)」


 会場の熱気はすさまじかった。

 何か意味不明な文言を叫びながら、激しくサイリウムを振る男たち。

 およそ常人には理解できない暗号めいた合いの手が、阿吽あうんの呼吸で展開される。

 まるで何かにとりかれたかのような一心不乱の声援に、魔族の二人は圧倒された。


「な、何なんだ、この呪文は」

「すごい一体感ですね……」


 ファンたちが曲の合間にメンバーの名前を叫ぶので、セイラ以外のメンバーの名前もわかってきた。赤がリナで、青がエレナというらしい。


 グウはアイドルのことはよくわからないが、同じ人型の生物として、三人とも美しい部類の人間であることは理解できた。

 細い。白い。顔が小さい。

 何かこう、人間の中でも、とびきり精巧につくられた人間という感じがする。


「みなさーん! 楽しんでますかー!?」

 二曲目が終わったところで、セイラが会場に向かって呼びかけた。


「いえええええええええい!!(絶叫)」


「次の曲も一緒に踊ろぉ! 行くよーっ! 『妄想エンドレス』!!」

 それからセンターに来て、ソロダンス。


「セイラァァァァァァァ!!(歓喜)」


 ターンしながら横にはけるとき、会場に向かって置き土産のようなウインク。ふわっとミニスカートが広がり、嘘みたいにサラサラの髪が視界の中を流れていく。


 なるほど、とグウは思った。

 魔王が彼女に目を止めた理由が、なんとなくわかった気がする。

 存在感があるのだ。ずば抜けて。

 容姿だけなら、他の二人のほうが垢ぬけていて華があるかもしれない。

 それでも、三人の中で一番目立っている。

 ダンスも一番メリハリがあって、うまいかどうかはわからないが、見ていて清々しい。指先まで神経が行き届いていて、どの瞬間を切り取っても、全力で『アイドル』というものに徹している感じがする。

 目がくらむほどのスポットライトを浴びながら、それ以上に内側から光っているように見える。


「うぐっ」

 突然、胸をおさえてうずくまる魔王。


「どうしました!?」


「何なんだ……この尊いものは……!!」


「!?」


「胸が苦しい! 息が……息ができない……!」


 グウはかける言葉がなかった。

 歴代最強の魔王が、思わぬところで命の危機にひんしていた。

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