第18話 微妙な感情

『魔族には他者に対する愛情はない。あるのは肉欲と多少の好みだけで、恋愛も結婚も、所詮は人間の真似事である』


――シレオン著『無情論』より


 ギルティはその有名な本の一節を、複雑な気持ちでながめた。

 彼女の机の上には、『幹部候補生向け研修資料 魔族の心理①』と書かれた冊子が置いてある。


 今日は珍しく、どこの部署からも雑務、もとい応援要請を頼まれなかったので、魔王親衛隊の執務室には、半数以上の隊員が残っていた。


「グウ隊長、遅いですね」

 ギルティはぽつりとつぶやいた。


「今頃ベリ将軍に食われてるか、ガチで食われてるか、どっちかだね」

 ぽっちゃり体型のフェアリー隊員が、ドーナツをかじりながら言った。


「え?」


「つか戻ってくんのかな? 盛り上がっちゃってもう戻ってこないんじゃね? 俺もどっか遊びに行っちゃおっかなー」

 派手な髪型のザシュルルト隊員がウキウキしはじめた。


「いや、隊長のあの疲れ具合じゃ、そう何ラウンドも無理だよ。今日中に戻ってこなかったとしたら、食われたあとに食われたとみて間違いないね」

 フェアリー隊員がキラリと目を光らせた。

 

「食われてもいいから、吾輩もベリ様に食われたい」

 グラサンのゼルゼ隊員が渋い声で言った。


「あの、皆さん何を言ってるんですか?」

 ギルティは頭が混乱した。


「副隊長、ゲス共の会話には参加しないほうがいいですよ。下品なのがうつるんで」

 ビーズ隊員が眼鏡をクイッと上げた。


「なんでー? 猥談わいだん楽しいじゃん。副隊長も参加したいですよね?」

 ザシュが無邪気に誘った。


「そうだよ、ビーズ。童貞がバレるのが怖くて自分が猥談に参加できないからって、副隊長を巻き込むなよ」

 フェアリー隊員がたしなめるように言った。


「誰が童貞だ!! ちげーし!!」

 ビーズ隊員が立ち上がって否定した。


「べつに悪いことじゃないよ、ビーズ」

 優しいガルガドス隊員がフォローした。


「だから違うって!!」


「この中だと誰とやりたいですか、副隊長」

 ゼルゼ隊員がたずねた。


「わ、私、研修行ってきます!!」

 ギルティはバタバタと荷物を抱えて、執務室を飛び出した。


(やっぱり欲望しかないのかな、魔族って)

 ギルティは廊下を歩きながら、はあ、とため息をついた。


 魔族には愛情がない。

 昔からそう言われているが、ギルティは懐疑的だった。

 少なくとも、両親は愛し合っているように見えるし、自分も普通に恋愛してみたいという願望はある。人間界の少女マンガを読むとキュンとするし、きっと誰かを好きになれるような気がする。

 しかし、本当に愛情を持たない魔族もいるんだろうな、と最近思うようになってきた。


(グウ隊長はどうなんだろう。本当にベリ将軍とそういう……)

 ギルティはいろいろ想像しそうになって、ブンブンと首を振った。


(はしたないわよ、ギルティ! グウ隊長だって大人の男性なんだから、私がいちいち詮索せんさくすることじゃないわ)

 そう、大人の男性……男性……


(なんか、やだなあ)

 ギルティは顔が熱くなった。


(グウ隊長はおじいちゃんみたいに優しいし、純粋に上司として好感を持ってたのに、こういう話を聞くと、変に異性として意識しちゃう。あんまり考えないようにしよ)


 今日の講義の場所は、魔王軍の庁舎だった。

 ギルティはあの庁舎のギラギラした雰囲気がちょっと苦手だった。



 * * *



 夕暮れ時の草原を風が吹き渡っていく。

 眺めのいい丘の上。

 どこまでも続く草原を見下ろす、彼女の後姿を見ていた。


「デメと戦うんですか」


 彼女は後ろを向いたまま、「ああ」と、答えた。

 夕日を浴びた淡いピンク色の髪が、風に揺れるたびにキラキラ光る。


「戦ったら死にますよ」


「それが?」


「わざわざ命を無駄にすることもないと思いますけど」


「無駄?」と、彼女は鼻で笑った。「何言ってんだ、お前。そもそも魔族の命に意味なんかねえだろ。意味があるのは強さだけだ。私もお前も、ただの魔力のつまった肉のかたまりにすぎない。死んだら食われて、また誰かの強さになる」


 それから彼女は振り返って、ニコッと笑顔を見せた。


「それだけのことだ」


 その晴れやかで、どこかはかなげな笑顔が、300年経った今でも、グウの記憶に残っている。



 * * *



 浅い呼吸を繰り返す。

 息を吸おうとしても肺が広がってくれず、いつまでも苦しさが解消されない。

 空気中でおぼれているような感覚。


「じつは、ある人からグウちゃんを殺してくれって頼まれてさ」


 ベリ将軍は優雅に紅茶をれ始めた。

 予想外な話に、グウは耳を疑った。

(なんで俺なんかを? 誰が?)


「その人がね、私が『くーでたー』ってやつを起こせるように応援してくれるって言うの。なんか裏では色々あるみたいだよ? お前が思ってるほど、魔界は平和じゃないのかもね」


「……れ……りようさ……」

 利用されてますよ、と忠告したかったが、息が続かなかった。


「油断したね。殺さないと思ったでしょ?」

 ラズベリーピンクのリップで彩られたベリ将軍の唇が薄く横にのびた。


(ああ、これはんだかも)

 たしかに油断していた。というより自惚うぬぼれていた。


「私はお前を気に入ってるから殺さない。そう思ったでしょ?」


 まさに命運が尽きたという感じがした。


「思った」

 グウは最後に残った力で笑みを浮かべた。


(間抜けな死に方しちゃったな)


 ほんの一瞬、ベリ将軍の瞳がかすかに揺れたように見えたが、気のせいかもしれない。

 だんだん意識が薄れてきて、グウは目を閉じた。

 頭の中に、諸々のやり残したことが走馬灯そうまとうのように浮かんでくる。

 結局、魔王親衛隊をギルティにちゃんと引き継げないまま投げ出す形になってしまったな、とか。魔王は結局引きこもったままだったな、とか。

 少しでいいから森でスローライフを送ってみたかったな、とか――


「ヒマだなー。今どんな感じ?」

 耳元でベリ将軍の声がした。


(え、まだ話しかけてくるの? せっかく走馬灯始まってたのに……)


「ねえ、死ぬまでしりとりデスマッチやる?」


(やるわけねーだろ。つか、もう声出ねえよ)


「ここに、解毒剤がありまーす。ほら、飲みたい~?」

 ベリ将軍がテーブルの上にある、青いラムネみたいなびんを持ち上げた。


(うわ、イラッとするわぁ、そのノリ……てか、解毒剤あったんだ。なんで交渉に利用しなかったんだろ)

 これが欲しれば、デプロラの第三の目のありかを教えろ、とか言えたのに。

 たぶん思いつかなかったんだろうけど。

 今となっては、グウはもう一言も喋れそうにない。


「これを、お前の目の前で――飲む!」

 ベリ将軍は勢いよく瓶の中身を口に流し込んだ。


「ふ……」

 おかしくて、思わず貴重な息が漏れる。

(フフ、馬鹿だ、この人)


 だが、そろそろ限界だった。

 眠気に似た、終わりの気配。

 グウはついに目を閉じた。








 ふいに、やわらかいものが唇に触れた。

 ひんやりとした液体が喉に流れ込んでくる。

 否応なく飲み込む。

 甘くて、ちょっと苦かった。


 うっすら目を開ける。

 ベリ将軍が青い瓶を手に、ソファの横に座り込んで、自分の顔を見下ろしていた。

 そして、再び解毒剤を口に含むと、口移しでグウに飲ませた。


(なんで?)


「なんでって顔してるね。教えてあげようか? うぇっ。めっちゃ苦い、この薬。後からくる系だ」

 彼女は慌てて紅茶を飲むと、一息ついた。


(言わんのかい……)


「10分もすれば、動けるようになるよ」

 ベリ将軍はグウの上によじのぼると、そのままうつ伏せに寝転がった。

 さらにグウの右手をつかんで、自分の頭の上にセット。

 強制的に、頭をナデナデしているような図にさせられる。

「ちょっと寝ようかな」

 彼女はそうつぶやくと、グウの胸の上でそっと目を閉じた。



 * * *



 講義を終えたギルティは、魔王軍庁舎の廊下を歩いていた。

 なんだか、あまり集中できなかった気がする。


 不良高校みたいな雰囲気に圧倒されつつ、ラクガキだらけの廊下を足早に歩いていると、前からグウがやって来るのが見えた。


「グウ隊長!」

 ギルティは駆けよった。


「おー、ギルティ。そういや、今日研修だっけ?」


 グウはいつも通りのゆるい感じだった。


(着衣に乱れはない)

 ギルティは冷静に観察したあと、ハッと我に返った。

(私ったら何考えてるの!! はしたない! はしたないわよ、ギルティ!)


「あれ? どうしたんですか、その手」

 ギルティはグウの左手に巻かれたハンカチに気づいた。


「ああ、ちょっとそこで食われちゃって」


「ええ!?」

(本当に食われてる!!)


「大丈夫。また生えてくるから」


「はあ……」

(あまり詳しく聞かないほうがいいかも)


「あれ? 隊長、口も怪我されてます? 何か赤い……」

 ギルティは言いかけてハッとした。

(ちょっと待って……)


「え?」

 グウは手で口をぬぐった。

 そして、指についたラズベリーピンクの色を見て、ギクッとした顔をした。


 ギルティもそのリップの色に見覚えがあった。

(ひゃあああああ!! やっぱりそういう関係なんだ! ししししまった!! とんでもないことを指摘してしまったわ!!)


「あ、いや、これはアレだ、あのー」

 グウの目がめちゃくちゃ泳いだ。

 今まで見せたことのない動揺。


(きゃああああ!! き、気まずい!! 気まず過ぎて窒息する……!!)

「あ、あああアレですよね! いいいいイチゴジャムでもお食べになったんですかっ?」

(何を言ってるの私! お食べになってるわけないでしょ、そんなもの!!)


「そ、そう。ちょっとベリ様と、と、トースト食べてきた」


(トースト!?)

「なるほど! この時間、小腹がすきますよねっ!!」

(絶対食べてませんよね!?)


「すくよなあ。ハハハハハハ」


「アハハハハ」


 二人のぎこちない笑い声が廊下に響き渡った。





《Case3 END》

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