第17話 飴とムチ

「よいしょ」

 ベリ将軍はグウのひざの上にのっかってきた。

 正確にいうと、またがってきた。

 ミニスカートから伸びた白い太ももで、グウの腰を挟み込むようにして、ぺたんと座る。


(何!? 怖い!!)

 グウはいろいろな意味で動揺した。


 クッションの上に投げ出した手のひらを、ベリ将軍の長いピンク色の巻き毛がくすぐる。

 皮膚の感覚はあるのに、腕を動かそうとしても、まったく力が入らなかった。


 ベリ将軍は両手でグウの顔を挟むと、こう言った。

「グウちゃん。お前、よく見るとカッコイイかも」

 ものすごい棒読みだった。


「は?」


「なんか、すごいタイプかも」


(うわ。ぜんぜん感情こもってない)


「好きかもしんない」


(演技下手すぎる……てか、何コレ?)


 これがあめとムチの飴のつもりなのだろうか。

 唐突すぎて、グウは理解が追いつかない。


「もし『デプロラの第三の目』のありかを教えてくれたら、私のオッパイに触っていいくらい好きかもしんない」


「なんだその不自然なセリフ」


 ベリ将軍はグウの両手を掴むと、自分の胸の前に持っていった。

「教えてくれたら、お前の両手を切り落としてブラジャーにしたいほど好きかもしんない」


「何言ってるんですか?」


(これは……色仕掛けなのか? 毒を盛ってからの色仕掛け……タイミングおかしくない? 色仕掛けで油断させてから毒盛るならわかるけど)


 真っ白な、雪のように美しい肌の芸術的な膨らみと、そこにギリギリ届かない指先。

 エロい状況のはずなのに、意味不明すぎてエロに集中できない。いや、エロに集中する必要もまったくないのだが。


「なんか、反応薄い……」

 ベリ将軍はしょんぼりした。


(ごめん……)


「だってベリ様、今さら好きとか言われても、あなたに恋愛感情なんか存在しないって知ってるし。それに、もうお互いそーいう歳じゃない感が……」


「は? ババアって言いたいの?」

 一瞬で顔を曇らせるベリ将軍。


「いや、そういうわけじゃ」

(ババアどころじゃないだろ)


「もう飴やめた。ムチでいく」


(ああ、また予告しちゃった)


 ドン、とベリ将軍はグウをソファの上に押し倒した。

 そして、おもむろに立ち上がると、ブーツで鳩尾みぞおちのあたりを踏みつけてきた。


「今からお前はブタよ」

 と、蔑んだような目で見下ろす。

「この役立たずのブタめ。私の言うことがきけないの?」


(またなんか始まった。今度は女王様?)


「僕は役立たずのブタです、って言いながら泣いて謝りなさい」


 ベリ将軍はブーツでぐりぐりと鳩尾みぞおちを踏みつけてきた。

 痛えな、とグウは純粋にイラッとした。

 言ってやるものか、というレジスタンスの心が芽生える。


(だいたい飴とムチのイメージが安易なんだよ。絶対ムチっていう言葉のイメージに引っぱられてるし。あと、がっつりパンツ見えてるし)


 そう、丸見えだった。

 赤だった。

 横がヒモで、ほぼレースのやつ。

 人形みたいな顔とのギャップがすごい。


 だが、グウもジジイの部類なので、今さらパンツじゃ動揺はしなかった。

「将軍、パンツ見えてますよ」

 と、逆に相手の動揺を誘う。

 謎の攻防戦が開始された。


「見せてあげてるの。光栄でしょ?」

 しかし、相手も歴戦のババア。

 まったく動じない。


「……眼福です」


「さっさとお泣きなさい。豚のように」


「まだイメトレ不足で無理ですね。今日のところは許してほしいな」


「どうしようかなあ。ただじゃ許してあげられないなあ」

 ベリ将軍はブーツのつま先で、グウのあごをクイッと持ち上げた。

「靴でもめてもらおうかな♪」

 将軍、ここでドSモード発動。

 精神を揺さぶりにくる。


(めっちゃ楽しそうでムカつくわ……)

 グウは恨めしく思ったが、ここで悔しそうな顔など見せたら相手の思うつぼだ。

(大人の余裕で受け流してやる)


「靴かあ。靴はやだなあ。あんまり美味うまそうじゃない」

 あくまで平然と言う。大人の余裕発動。

「足ならいいですよ。足は美味そうだ」

 さらに余裕の笑み。


 将軍のまぶたがぴくっと動いた。

 フッと片方だけ口角を上げる。


「そう。それじゃあ……」

 ベリ将軍は、ぺろっと人差し指と中指をめた。

 その濡れた指を、自分の太ももに押し当て、下から上へスーッとなぞる。

「付け根のほうまで、じっくり舐めてもらおうかしら」


 エグめのカウンターが決まった。

 アングルもあいまって破壊力無限大。


「…………」

 グウ選手、心拍数に若干の変化。

(全然平気。平気だけど、顔赤くなってないかな? あ、俺、血緑色だから顔赤くならないや)


「顔が緑だよ」


「毒のせいです」


「私の勝ちね」


(なんの勝負だったの?)


 ベリ将軍はぺたんとグウの上に座り込んだ。


「もーいーや。なんか、よくわかんなくなってきた。飴とムチやめる」


「俺も丁度わかんなくなってたところです……」


「やっぱ頭使うのは性に合わん。体動かすほうがいーや」

 ベリ将軍はグウの腹の上であぐらをかいた。

 女王様のロールプレイが抜けると同時に、ぶりっ子キャラも一緒に抜けていったようだ。


「なあ、なんでそんなにデプロラの目を奪うのに消極的なんだ? あれがあれば、お前も親衛隊を辞めれるんじゃねえのか」


 喋り方が昔に戻っている。

 10年前にアイドルの真似事を始める前までは、こんな喋り方だった。


「そんなにデメのそばにいたいか? 男が好きなの?」


「違います」


「私はただ戦いたいだけだ。ずっとデメ一強じゃつまんねえだろ。300年前に約束したじゃねぇか。いつか一緒にデメをボコろうって」


「してませんよね、そんな約束」


「また一緒に天下を目指そうぜ。隣にいろよ」


「…………」

(まったく共感できないのに微妙にグッとくるのが嫌だな)

「ベリ様、俺は……」


(だが、この際ハッキリ言うべきだろう。今まで威圧感にビビって濁しに濁してきたけど、そろそろ自分の意見を言わなきゃダメだ。覚悟を決めろ、俺)


「俺はあなたに拾われて、あなたに生かされた。今でも恩義は忘れてない。でも……今、魔界はデメ様の下でかなり安定してる。人間界ともうまくいってるし、このまま平和が続くなら、俺はそのほうがいいと思ってる……」


 少しの沈黙があった。


「そっか。残念だな」

 ベリ将軍は静かに目を伏せた。

「お前がそう言うなら仕方ない。お前を食って、私の強さに変えるまでだ」


「へ?」


 ベリ将軍はグウの左手をつかむと、大きなパンでも食べるみたいに両手で持った。そして、ハムッと指を口に入れた。


「!?」


 しかし、すぐに口から出した。


(びっくりしたー)


 と思ったら今度は、ショートケーキの皿に残った生クリームにディップした。そして、もう一度口へ。


「あれ、ベリ様? ベリ様、ちょっと」


 ガブッ


「い゛」


 ブチッ


 ベリ将軍はモグモグとよく噛んでから、それを飲み込んだ。

 彼女がパンみたいに両手で持ったグウの左手、人差し指の第一関節から上がなくなっていた。


「味の薄いグミだ。生クリームをトッピングして正解だった」

 ベリ将軍は唇についた緑色の血をペロっとなめた。

 本人に向かって味の感想を述べるとは、まさに魔王の所業だ。


 そして、今度は中指をパクッと口にくわえた。

 本能的に腕を引こうとするが、やはり力は入らず、ピクピクと指先が震えただけだった。


 ブチッ


「……っ」


「痛いか?」


 ベリ将軍はやけに優しい手つきで顔に触れてきて、グウの目にかかった髪を払った。


「可哀そうだから、残りは死んでから食ってやるよ」


「死ん……でから……?」


「顔は最後にしよう」

 彼女は白く細い指で、グウのまぶたほほ、唇をゆっくりと撫でた。

 腹の上から伝わる体温に比べ、指はひんやり冷たくて、触れられるとぞくぞくした。


「ベリ様」

 グウはかすれた声で呼んだ。


「ん?」


「なんか、息苦しいんですけど」


 ベリ将軍はニッと歯を見せて笑った。

「えへへ。さっき心肺機能に影響ないって言ったの、嘘なんだ♪」


「それ、ついちゃいけない嘘でしょ……」


「さすがのお前も、息できなかったらマズいんじゃない?」


「マズいですね」

(逆に心肺機能さえ無事なら、わりと大丈夫なんだけど)


「この毒でグウちゃんを殺せるなら、いにしえの魔族以外はたいがい殺せるねっ。どれくらいで死ぬか観察しとこ」


(マジで言ってる?)


 呼吸が浅くなってきた。

 うまく息が吸えない。


(あれ? もしかして俺、ここで退場?)

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