第14話 うどん

 コリー主任の圧に屈したグウは、しぶしぶ医務室までユーナを迎えに行った。


 怪我もなく、健康状態も問題ないらしいが、生気のない顔でビクビクしながら後をついてくる様子は、あまり元気そうには見えなかった。


「で、ここが売店。けっこう品揃えいいでしょ?」


 グウは本館一階にある『魔界マート魔王城店』に彼女を案内した。

 魔界のコンビニ的存在だが、人間界のコンビニのような清潔感のある白い箱ではない。

 黄ばんだ白熱電球の下に、ごちゃごちゃと陳列された商品。チェーン店とは思えないアングラ感が漂っている。


「商品は人間界から仕入れてるんで、もし欲しいものがあれば、店長に頼めば一週間くらいで取り寄せてくれますよ。あ、でも値段はよく確認したほうがいいですね。基本的にぼったくろうとしてくるんで。ハハハ」


 グウは笑いながら説明したが、ユーナの表情は硬かった。


「大丈夫ですか? 少し休みます?」


「いえ、大丈夫です……」

 ユーナはか細い声で答えた。


 顔色が悪く、あまり大丈夫そうには見えなかった。

 とても明日から魔界で働いていけそうな雰囲気ではない。

 グウが何を話しかけても、ほとんど目を合わそうとしないし、魔族とすれ違うたびに、ビクッと肩を震わせる。

 野盗に拉致されたばかりだから、魔族を怖がるのは仕方ないが、そもそも、この気の弱そうな女性がどうして魔界で働こうと思ったのか、大いに疑問だった。


「まあ、何日かいれば、すぐに魔界のクソさがわかると思いますが、たとえ逃げ出したくなっても、決して一人で魔王城の外へは出ないでください。護衛なしで外出すると、確実に死にますんで」


 グウがそう言うと、ユーナは顔をこわばらせた。


「あと城の中も、本館以外はなるべく一人でうろつかないほうがいい。この魔王城は魔界で最も秩序が保たれている場所ですが、それでも人間界と比べたら、ずっと治安は悪いです。すれ違うヤツは全員犯罪者くらいに思っといたほうがいいですよ」


 グウはハッキリと言った。

 脅すつもりはないが、事実はちゃんと伝えておいたほうがいい。

 それで帰りたいと思うなら仕方がない。

 無理に魔界で働く必要など、一つもないのだから。


「あなたも、ですか?」


「え?」


「あなたも怖い人だと思ってたほうがいいんですか?」


 ユーナはおびえた表情で、チラッとグウの顔を見上げた。

 グウは返答に困って頭をかいた。


「あー……そうですねえ。確実に善人ではないかな。魔族なんで」


 普通のトーンでそう答えると、ユーナは絶望的な顔をした。

(あ、ちょっと怖がらせすぎたかな?)


「まあ、でも、自分で言うのもなんですが、魔族の中ではわりと優しいほうじゃないかな。とくに人間には甘いって、昔からよく言われるんで」


 そんなフォローを入れてみたが、ユーナはまだ不安そうだった。ビクビクしながら、ずっと自分の手を握りしめている。

 グウはだんだん痛々しい気持ちになってきた。


「そういえば、昼飯まだですよね?」


「え? あ、はい……」


「俺もまだなんですよ。ちょっと食堂行きません?」



 * * *



 社員食堂のメニューを目にしたユーナは、さらに顔色が悪くなってしまった。


「すみません、あまり食欲がなくて……」

 彼女は消え入りそうな声で言った。目の前にある「幻獣ラモアの目玉丼」の食品サンプルを見て「うっ」と、口をおさえる。


「あ、いや、ちょっと見た目はアレなんですけど、意外とヘルシーで美味しいんですよ?」

 グウは慌ててフォローした。

「これとかどうです? 薬草入り鍋焼きうどん! 食べるだけで疲労回復の効果があるんで、体調悪いときにオススメですよ! これならコリー主任もよく食べてるし、人体にも無害なはず!」


 ユーナは覚悟を決めたように、ぎゅっと目をつむり、

「じゃあそれで……!」

 と言った。


「おばちゃん、鍋焼きうどん二つ!」


「あいよ!」

 腕が六本ある食堂のおばちゃんが、威勢のいい声で返事をした。



 湯気の立つうどんを前にしても、ユーナはなかなかはしを持とうとしなかった。

 緑色のにごったスープをじっと見つめたまま、沈痛な表情を浮かべている。

 魔界の食器に戸惑っているのか、それとも、やはり食欲がないのか。


「どうして魔界に?」

 グウは何となくたずねてみた。


「えっ」

 ユーナはビクッとした。


「いや、あなたみたいな真面目な若い人なら、もっといい職場がいくらでもあるんじゃないかと思って。ほら、会計課の人ってオジサンばっかりでしょ? だいたい魔界で働いてる人間って、人間界で限界まで追いつめられちゃった人が多いんですよ。借金まみれだったり、元ホームレスだったり。魔界にたどり着く頃には大概みんなボロボロです。その点、あなたはまだ余裕ありそうなんで」


 グウはそう言って、うどんをすすった。

 ユーナは下を向いて思いつめたような顔をしていたが、やがてポツリと口を開いた。


「私……もともと普通の会社で事務の仕事をしてたんですけど、人間関係に疲れて辞めたんです……」


「ほう」


「それからずっと派遣とか短期で働いてたんですけど、最近不景気で仕事が見つからなくて……ついには家賃も払えなくなって、ネットカフェに寝泊まりするようになったんです……それで、ネットで仕事探してたら、住み込みで高収入の仕事があったんで、つい……」


 ずーん、という感じの顔で、ユーナはうつむいた。


「……なんか、余計なこと聞いてすみませんでした」

 グウもつられてずーんとなった。


「いえ……私が軽率だったんです。魔界の仕事って聞いて驚きましたが、魔界でも治安のいい場所だから安全って言われて、大丈夫かなって」


「ハハ、悪質な嘘に引っかかってますね」


「私、どこで踏み外したんだろ……」

 ユーナはテーブルにのせた自分の手を、ぎゅっと握りしめた。


「最初の会社を辞めたとき、やっと地獄から解放されたと思ったんです。だけど、地獄の先には、もっとひどい地獄があって……どんどん普通の場所から滑り落ちていって、私……」


 彼女は喋っているうちに過呼吸気味になって、声が震え始めた。


「私……こんなところまで来ちゃった」


 握りしめた手がぶるぶる震えている。

 グウは箸を置いて、ユーナの顔をのぞきこんだ。


「とりあえずスープ飲めば? あったまるよ?」


 その声に、ユーナは初めてまともにグウの顔を見た。そして、この魔族が案外、優しい目をしていることに気がついた。頭に角は生えているが、顔立ちは人間と変わらない。同年代の若者のようだ。


「まあ、来ちゃったものはしょうがないんじゃないですか? 現にここで何年も働いてる人間もいるし、わりと給料もいいらしいですよ。危険はありますが、生きて帰りさえすれば、そのお金を元手に再起をはかることも可能なのでは?」


 彼はそう言うと、動物の骨のような白い箸で、美味そうにうどんをすすった。


「……そう……ですよね」

 ユーナは小さな声で返事をした。


「万が一トラブルに巻き込まれたときは、私の名前を出してください。親衛隊のグウの知り合いだと言えば、それなりの効果はあるはずなんで」


 魔族はそう言って、熱々のうどんにフーフーと息を吹きかけた。

 そのやけに人間らしい仕草に、ユーナは少しばかり安心感を覚えた。

 箸を持つ指には鋭い爪があったが、食事の所作に野蛮なところはない。


 彼女はようやく、いびつな形の白いスプーンを取って、スープを口に運んだ。

 見た目によらず、味は悪くなかった。


「どれくらい魔界にいる予定なんですか?」

 グウがたずねた。


「えっと、三か月の契約です」


「三か月かぁ」

 と、グウは手を止めてつぶやいた。

「三か月もいたら、はくが付きますよ」


「箔?」


「魔界から生きて帰った女っていう箔がね」

 彼はにっと笑った。

「ここで生き延びられたら、この先どこでも生きていける。俺が保証しますよ。だから頑張って三か月間、生き延びましょ」


 彼はユーナの目を見て、やわらかく微笑んだ。

 ユーナは熱いスープが胃の中をじんわりと温めていくのを感じた。


「はい」

 彼女は少し目を潤ませながら、コクンとうなずいた。


「ね? 結構うまいでしょ?」


「はい」

 ユーナは初めて笑顔を見せた。




《Case2 END》

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