第8話 別れの森

 魔王城から東へ50キロ。

 魔界と人間界の境界に、深い森が広がっている。


 約千年前、第8代魔王・デプロラが魔界と人間界を分断するために生み出したという、魔性の樹海。通称、『別れの森』。

 南北に細長いのが特徴で、空から見ると、まるで森自体が国境線のように見える。


 会計課のボボ課長たちは、ここを通って魔王城に戻る途中、野盗に襲われたらしい。


 課長が最後に目撃されたのは、昨晩9時。

 人間界側から戻ってくる課長の車を『魔界の門』の門番が目撃したらしい。


「課長はどうして人間界で面接なんかしたんでしょうか?」

 運転席のギルティが言った。


「面接に来たのが人間だからだよ」

 助手席でグウが答えた。

 半分開けた窓から、爽やかな五月の風が吹き込んでくる。


「え!? 人間を雇うんですか?」


「そう。会計課は半分くらい人間なんだ。知らなかった?」


「そうなんですか!? 全然知りませんでした。魔界で人間が働いてるなんて、びっくり……」


「まあ普通に考えたらそうだよな。けど、会計課みたいなキッチリした仕事は、人間に任せたほうが100倍うまくいくらしいよ」


「あ、それは、なんとなくわかる気がします」


 グウたちは3台の車に分かれて、『界道一号線』を東に走っていた。

 魔界の門と魔王城を結ぶこの『一号線』は、別れの森を南北に分断する大きな道路である。


 彼らが目指すのは、『一号線』の北側にある『ユーグレイスの廃城』。魔王デプロラの時代の遺跡で、今は野盗の巣窟そうくつになっている。

 ボボ課長たちが生きているとすれば、ここに連れ去られた可能性が高かった。


「……」

「……」


 ちなみに、かれこれ40分近く走っている。


「あ、音楽でも流す?」

「あ、ハイッ。お願いします」


 流行りのネオシティポップが車内に流れる。

 この辺りまで来ると、人間界のラジオが入るのだ。


(うーん、なんか喋ったほうがいいのかなあ……)

 グウはひそかに気を使っていた。

(でも最近の若者と何喋ればいいのか全然わからん)

 自称永遠の200歳の自分と、18歳の女の子との間に、共通の話題などありそうになかった。


 ブウウウウウウウンッ

 一台のジープが猛スピードで横に並んできた。


「隊長ー!! なに安全運転で走ってんすかぁ! 先行っちゃいますよー!」

 急に横から声がして見ると、ザシュルルト隊員が運転席の窓から手を振っていた。


「あれっ? お前なんでいんの!? 物資の搬入はどうした!!」

 グウも窓から叫んだ。


「荷物の警護なんて退屈なんで、ジェイル先輩に代わってもらいましたぁ! だって、こっちのほうが戦闘シーン多そうじゃないっすか! っしゃあ! 一番乗りでいくぜぃ!」

 ザシュルルトはそう言って、思い切りアクセルを踏み込んだ。


 助手席のビーズ隊員が「オイ! 飛ばし過ぎだバカ!!」と叫ぶ声が、一瞬で遠ざかっていった。


「……」

 グウとギルティはしばらく呆気に取られた。


「あのバカは、いつになったら俺の言うことを聞くんだろうか」


「うーん」

 ギルティは苦笑いするしかなかった。


「説教したって、次の瞬間には忘れてやがるし。俺の言葉って、そんなに重みがないわけ?」


「重みというより……」

 ギルティは言いかけて、口をつぐんだ。


「ん?」


「あ、いえ……」


「何? 言っていーよ」


「で、では、えっと」

 ギルティは緊張した面持ちで、チラッとグウの顔を見た。

「たぶん、隊長がお優しいからではないかと……」


「え、そうかあ?」


「はい。いつも『ガツンと言う』って言って、あんまりガツンと言ってないですし」


 グウはギクッとした。

「そ、そう?」


「はい。いつも最初は怒ってる感じを出そうとして、頑張って怖い顔してるけど、本当に怒ってるわけじゃないので、だんだん言い方がソフトになって、最終的に許してますよね」

 ギルティはハンドルを握りながら、真面目な顔で言った。


「……」

 グウは両手で顔を覆った。


「どうしました?」


「いえ……よく見てらっしゃるなと……」


(はっず……! 頑張って怖い顔してるのを観察されてるの、メチャクチャ恥ずいんだけど!)


「たしかに厳しく言えてないかもなあ、俺。ザシュの奴も、べつに悪い奴じゃないし。ただすっごいアホなだけで」


「うーん、ザシュルルトさんは、なんというか、野生児というか、健康的な魔族の若者って感じですよね」

 ギルティは安全運転しながら苦笑した。

 対向車なんか滅多に来ないと知っていても、ザシュルルトのように道路のど真ん中を時速180キロで走ったりしない。


「まあ、あいつに限らず、魔族の20代なんてほぼ魔物だからな。そう考えると、ギルティはマジでしっかりしてるよなあ。さすがエリートは違うよ。これは俺が引退できる日も近いね」

 グウは頭の後ろで手を組んで、ゆったりとシートにもたれた。


「な、なに言ってるんですか。私なんて、まだまだ経験不足ですし、それにまだ全然……」

 ギルティの表情はだんだんしゅーんと沈んでいった。

「全然、みんなにナメられてるし……」

 チーン、という感じの顔。


「えっ」

 予想外の反応に、グウは動揺した。

「もしや、今朝のパン……セクハラ行為のことを気にされて……? す、すみません! 再発防止に努めるから、どうか辞めないで!」


 グウの焦り具合に、今度はギルティが驚いた。


「そ、そんな! 辞めようなんて思ってませんから!」


「本当に?」


「本当です! 辞めるつもりなんて全然ないです! ないですけど、ただ……」

 と、彼女は少し視線を落とした。

「ただ、ちょっと自信がなくて。みんな、あんまり私のこと副隊長だって思ってないっていうか……正直、私が副隊長なんて、やっぱりおかしいんじゃないかって……みんな私より年上だし、経験も豊富だし……」


 ギルティの不安そうな横顔を見て、グウは少し反省した。

 優等生の彼女がそんなふうに思い悩んでいるなんて、思いもしなかった。


 メイズ子爵家の令嬢で、魔界で一つしかない高校を首席で卒業した超エリート。

 理性とモラルの中で育った、新しい時代の魔族。

 自分たちのような古い時代の魔族――本能と欲望にのみ忠実な化物とは違って、繊細で多感な思考回路を持っているのだろう。


「心配しなくていいよ。みんな年上だけど、みんなお前よりバカだから」

 グウはひらひらと手を振った。

「今はまだ異動してきたばっかりで、みんなお前の力をわかってないだけだ。大丈夫だよ。魔界は強さがすべてだから。実力さえあれば、みんな一目置くようになる。あれだけ魔法使えるんだから、もっと自信持っていいぞ」


「……でも、純粋な戦闘力だけで言えば、フェアリーさんやビーズさんのほうが上だと思いますし」

 ギルティの声は、まだ弱気だった。


「たしかに、あいつらは強いけど、あんな好戦的な奴らに任せたら、親衛隊がただの戦闘狂の集団になっちゃうだろ? 強い奴らだからこそ、強さにおぼれない奴が制御しなきゃダメなんだ」


 グウはすでに豆粒ほどになった部下の車を見つめた。

 真っ直ぐな、滑走路のような道の先に、緑の濃い森が見えてきた。


「だから俺は、お前みたいな奴に親衛隊を引っぱっていって欲しいと思ってる。お前みたいな奴っていうか、お前だけど」


 ギルティがパッとグウのほうを見た。


「頼りにしてるよ」

 と、グウは微笑んだ。


 ギルティの顔に明るさが戻ってきた。

 彼女は「はいッ!」と、元気に返事をした。

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