第6話 霧のち雨
ギルティは
「
と唱えた。
パアアアアッと、地面に紫色の光で魔法陣が描かれ、その中心から高さ30センチくらいの石柱がニョキッと生えてきた。
「隊長、そこにひざまずいて、その台の上に手を置いてください。血液が必要なんで怪我してるほうの手でお願いします」
ギルティはてきぱきと指示した。
「え、あ、はい」
グウは言われたとおり、石の台に刻まれた古代文字のような
ガチッ
「!」
台から金属の腕輪のようなものが飛び出して、手首を固定された。
「これ大丈夫なやつだよね?」
「大丈夫です! 形式上のことなんで!」
「何が?」
グウは不安そうな顔をしたが、ギルティはかわまず彼のほうに
「闇より出でし
なんだか退治されそうな呪文に、グウはさらに
石柱を中心に風が吹き始め、ギルティの三つ編みのおさげを揺らした。
金色の杖が輝き出し、先端の人面鳥がカッと目を見開いたかと思うと、ガタガタ歯を鳴らして震えはじめた。ギルティは今までにない魔力の波動を感じた。
(杖が熱い! 魔力が満ちていくのがわかる)
熱が皮膚を通じてギルティの手に流れ込んでくる。
はじめは指先から、まるで沸騰した血が血管を通って広がっていくように、腕から肩へ、肩から胸へとめぐっていく。そして――
ドクンッ、と心臓が大きく鼓動した。
これが、グウ隊長の魔力……!
ギルティはぎゅっと杖を握りなおした。「行きます……!」
「待て。まずは広場全体にシールドを展開しろ」
グウが冷静な口調で言った。
「あ、なるほど! 了解です」
ギルティは杖を天に向かって高く掲げた。人面鳥の目が輝き、光の
「よっしゃOK! やっちゃって!」
「はい!!」
杖の先端についた鳥がカッと口を開ける。
「
声とともに、一気に力を解き放つ。
ボッフワァンッ
ガス爆発でも起きたような勢いで、紫の煙があたりを覆いつくした。
シールドの屋根のおかげで煙は広場に充満し、一瞬にして何も見えなくなった。
* * *
数十秒経ってようやく上空のシールドが消え、霧が晴れるように、徐々に視界が戻っていった。
息を止めていたグウは、スハーッと思い切り空気を吸い込んだ。
広場を見渡すと、そこには眠りに落ちた魔族たちが
入隊試験の受験者、シビト家の者、警備隊。
そして、もう一人。
グウの左手に抱きかかえられて、ギルティがスヤスヤと寝息を立てていた。
(自分で煙吸い込んで寝てるし……まあ、それだけ必死だったんだろうな。ずっと気を張ってる感じだったし)
しかし……と、彼は自身の右手を見つめた。
親指の付け根に、食いちぎられたような跡があった。
(大丈夫って言ってたけど、微妙に肉を持っていかれた……)
複雑な表情をしながらも、まさか部下に
「面白いねえ、そのお嬢ちゃん。魔力は弱いけど、いろんな魔法知ってるんだねー」
頭上から声がして、視線を上げる。
魔王軍中央司令部の庁舎の屋根の上から、ベリ将軍がニコニコしながらこちらを見下ろしていた。
「でしょ? ウチの期待の新人です。まだちょっとテンパり気味だけど」
グウはやや切れ長の目を細めて微笑を浮かべた。
「しかし、いずれ立派に俺の後を継いでくれることでしょう。くれなきゃ困る。俺が引退するために……!」
キリッ
グウの目が光った。
そう。それが彼の唯一にして最大の野望。
「へえ。じゃあ親衛隊を引退したら、また一緒に働けるね!」
「はい!?」
「魔王軍に来てくれるんでしょー?」
「いやいやいや、何言ってんですか! 行きませんよ絶対!」
グウはブンブンと首を横に振った。
「俺は辞めたら隠居して『別れの森』でスローライフを送るって決めてるんです。家庭菜園とかDIYやりながら静かに暮らすんだ……!」
「アハハハハ。何言ってるのグウちゃん。そんな自由、グウちゃんにあるわけないじゃん」
ベリ将軍はケラケラと笑った。
「忘れたのぉ? グウちゃんは、もともと私の部下でしょ? デメちゃんのところには出向してるだけだよねえ? だからぁ、用が済んだら帰ってくんだよ。当たりめぇだろうが」
急に声のトーンが変わり、彼女の顔から笑みが消えた。
「そもそも私は最初から承諾してねぇんだよ。いつまでダラダラとデメのそばにいるつもりだ?」
(こっわ……)
グウの
「いや、だから、その……戻るのは難しいんですって……ほら、ベリ様だってご存じでしょう」
「お前の努力次第だろ?」
ベリ将軍の目の瞳孔が、シュッと爬虫類のように細くなった。
スー……ッとグウは息を吸った。「……っすよねえ。ですよねえ」
(無理だ。とても反論できない)
「スミマセン。善処しまぁす」
「わかればよろしい♪」
ベリ将軍はニコッと笑った。
「よかったー。最近、誰も叱ってくれなくてさぁ。やっぱ私にはグウちゃんが必要かなって! 待ってるからねー♪」
彼女はそう言い残すと、うっすらと漂う紫の霧の中に消えていった。
「よく言うよ。俺の意見なんか聞いたことないくせに」
グウは吐き捨てるように言った。
霧は晴れたが、かわりに雲が出てきて、七色広場に影を落とした。
雨が降りそうだな、とグウは思った。
* * *
ぽつぽつと、雨粒が窓ガラスを叩いた。遠くで雷が鳴っている。
眺めのいい高層ビルのオフィスで、一人の男が頭を抱えていた。
デスクの上には、見覚えのない契約書。そこには、はっきりと自分のサインがある。
パソコンのメールの履歴は、見覚えのないやり取りであふれている。自分には絶対にできないような、巧みな交渉、絶妙な
いったい何が起きてるんだ……。
男はぞっとした。
コンコン、とノックの音がした。
「社長、失礼いたします」
そう言って秘書が入ってきた。
「明日のワイルドシップ様との打ち合わせですが、先方から
「ワイルドシップ?」男は目を丸くした。「どこの会社だ、それは?」
「えっ?」秘書の女性は驚いた顔をした。「あの、社長が買収を進めている企業ですけど……」
男は
買収だと?
また俺の知らないところで、俺の会社がデカくなろうとしている。
「あ、ああ、わかったよ。適当にスケジュール調整してくれ」
部屋を出て行く秘書の後ろ姿を見ながら、男は考え込んだ。
そもそも、あの美人秘書は誰が雇った? ついこの間まで秘書なんかいなかったのに。
……そうだ。俺は少し前まで、小さなベンチャー企業の若手経営者にすぎなかったはずだ。それが、いつの間にか、こんな大企業の社長に……どう考えても俺の力じゃない……俺は……俺は……
男はふらふらと立ち上がり、大きなガラス窓に映る自分の顔を見つめた。
俺はいったい、どうしてしまったんだ……
空に閃光が走り、雷が鳴り響いた。
その瞬間、ガラスに映った自分の顔がニヤリと笑った。
「!!」
次に振り返ったときには、すでに男の顔に恐怖はなかった。むしろ嬉々として、何かに期待している様子だった。
携帯が鳴り、彼は電話に出た。
「やあ、これはどうも。お疲れ様です」
彼はポケットに手を突っ込んで、ゆったりとガラスにもたれた。
「で、どうでした? 魔界のほうは」
男は口元に笑みを浮かべた。
その瞳は、赤く
人間界に夕闇がせまっていた。
窓ガラスの向こうでは、大都会のオフィス街に、すでに灯がともり始めている。
《Case1 END》
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