第5話 地獄絵図

「……許さん!!」


 腰の曲がったシビト子爵が上体を起こした。

 バサッと赤い衣がひるがえり、中から骨と皮だけのヌーに似た獣が姿を現した。

 ただし手足は6本で、それぞれが異様に細く長い。

 2本の大きな角の間には小さな老人の顔。

 腐敗した皮膚がダルダルにたるんで、洋服のドレープみたいなひだができている。


「貴様ら全員、骨のずいまで腐らせてやる! まずはベリ! 貴様からだ!」

 シビト子爵は大きく口を開けると、口からドス黒い液体を噴射した。消防車の放水くらいのすごい水圧だった。


 ベリ将軍はさらりと身をひるがえして避け、黒い液体は後ろにいた魔族に直撃した。


「ギャアアアア」

 液体を浴びた魔族は煙を上げて溶けていった。

「ひいっ」

「うわっ、顔にかかった!」

 近くにいた者にも黒い液体が飛び散った。液体を浴びた皮膚の一部がジュージューと煙を上げて変色していく。

「うわぁっ! 腕が! 腕があっ!」

 周囲はさらにパニック状態になった。


「キャハハハハハッ」

 ベリ将軍はなぜか笑いだした。

「子爵ったら、私に喧嘩売ってくれるんだ! 意外と元気あるじゃん。超見直した!」


 グウはまずい気配を察した。

「待って、ベリ様! 穏便にいきましょう!」


「何言ってんの、グウちゃん! せっかくのめ事だよ! 『揉め事は基本、殺し合いで解決』。それが魔族のルールでしょ?」


 将軍はそう言いながら、両手を首のあたりに持っていくと、豊かな髪をふぁさ、と払った。

 さらさらと流れる髪から、細い糸状のものが何本かこぼれ落ちる。

 抜け毛? いや、違う。

 蛇だ。

 糸のように見えたのが、あっという間に太く長くなり、地面に落ちるときには、すでに体長5、6メートルの赤黒い大蛇へと変わっていた。


 十数匹の大蛇が、巨大な波のうねりのように、シビト子爵に向かって押し寄せる。キィエエエエ、という耳をつんざくような叫び声が上がり、子爵は暴れまわって所かまわず黒い液体をまき散らした。

 さらに蛇は子爵だけでなく、葬式の参列者や、入隊試験の受験者にも襲いかかる。

 赤い衣が引き裂かれ、次々と腐乱した肉体をさらす参列者たち。


 入り乱れる大蛇とヌーの群れ。

 反撃のドス黒い汁の噴射。

 歌が止んでも錯乱状態の魔族がもとに戻ることもなく、七色広場は地獄絵図の様相をていしてきた。


「ああ、もうメチャクチャだ……」

 グウはなかば呆然ぼうぜんとして言った。


 ギルティは混乱してきた。

(ど、どうしよう、この状況。もうグチャグチャすぎて、誰に絶対的安眠パーフェクト・スリープをかけていいかわからない。でも、グウ隊長は怪我してるし、私が何とかしないと……)


「ギルティ、うしろ!!」


 グウの声に反応して振り返ると、大蛇が牙をむいて目の前に迫っていた。

 咄嗟とっさつえをかまえてシールドを展開する。

 空中に浮かび上がる幾何学きかがく模様。


 ガキイイインッと、蛇の牙がシールドに激突した。


 間に合った――


 と、思った瞬間だった。

 バリッと、シールドにヒビが入った。


「え」


(そうだ……この蛇はベリ将軍の魔力で生み出されたもの……魔力で負けてるんだ……)


 バリーンッ、とシールドが砕けた。

 突進してくる蛇の真っ赤な口が、ギルティの視界を覆う。


 食べられる。


 そう思った瞬間――目の前で蛇の頭が消えた。


 頭はふっとんで、少し離れた地面にドンッと音をたてて落ちた。

 赤い断面をさらして、蛇は力が抜けたように地面に倒れた。


 一匹だけではない。十数匹いたほかの大蛇もいっせいに首が落ち、倒れていった。

 魔力でつくられた蛇の亡骸なきがらは、ほどなくして消滅した。


 呆然ぼうぜんとするギルティの目に飛び込んできたのは、ベリ将軍とシビト子爵の間に立つグウの姿だった。その右手には銀色の光を放つ細身の刀身。そう、負傷していたはずの右手――まだひじから下にゆるんだ包帯が巻きついている右手で、彼はサーベルを握っていた。


(まさか隊長が斬ったの? これ全部?)

 ギルティは状況が飲み込めなかった。

(まったく見えなかった……ていうか見てなかった……)


「へえ、グウちゃん。そっちにつく感じ?」

 ベリ将軍がたずねた。どことなく嬉しそうに見える。


「どっちにもつきませんよ。マジでいい加減にしてください、二人とも」

 グウがげんなりした顔で剣をさやに納めると、将軍はつまらなそうな顔をした。


「口をつつしめ。この成り上がり者が……」

 あちこち蛇にまれたせいで血まみれのシビト子爵が、体を震わせながら頭をもたげた。「そこをどけ!! 貴様ごときの出る幕ではないわ!!」


「ホントだよ。コレぜったい俺の仕事じゃねえし」

 グウは左手をすっと横にのばした。


 ギルティはドキドキしながら様子を見守る。

(左手……何か魔法を使うのかしら)


「先に謝っときます。ごめんなさい」

「貴様、何をする気――」


 バチーンッ


 グウは左手をフルスイングした。


(素手でビンタ!!)

 ギルティは予想を裏切られた。


 シビト子爵は地面に顔からめり込むように倒れた。


「ああ、旦那だんな様っ」「おじい様ー」

 と、シビト家の面々が集まってきて、子爵をどこかに運んでいく。


「ギルティ」と、グウが呼んだ。


「は、はい!」ギルティは急いで駆けつけた。


「まだ錯乱状態の奴らが暴れてる。あいつらを何とかしたい。力を貸してくれ」


「はい!」

 ギルティは威勢よく返事をしたあと、ちらりとグウの腕に目をやった。

「隊長、あの、腕はもう大丈夫なんですか?」


「うん。もう治ったみた――」


 グウがそう言って腕を持ち上げたとたん、ダラーンッと腕があらぬ方向に曲がり、緑色の血が噴き出した。


「あ」


「キャーーーッ」

 ギルティは真っ青になって叫んだ。

「たたたた、大変ッ、すぐ手当をっ」


「あ、待って――」


 ほどけた包帯の隙間からグウの傷を見たギルティは、ぎょっと目を見開いた。

 肉がえぐれて骨が露出しているひどい状態だったが、それはともかく、傷ついた組織がざわざわとうごめいている。細い管のようなものがニョロニョロと伸び、枝分かれし、植物のように茂っていく。まるでカイワレ大根の成長を早送りで見ているような……


(何これ……)

 ギルティはぞわっと鳥肌が立った。


 グウは腕を吊るしていた三角巾でパサッと傷を隠した。

「手当は後でいいよ。それより相談なんだけど」


「あ、は、はいっ」


「お前のあの煙ってヒト魔法だよな? 人間が呪文や魔法陣で魔界からエネルギーを呼び出して使うみたいに、俺の魔力を使って広場全体に煙を噴射できたりする?」


「!」

 ギルティの頭の中で思考が駆け巡る。


(どうしよう。理論上は可能なのだけど、呼び出せる魔力の総量は結局、術者の技量次第……私の力じゃ大した魔力は呼び出せない。どうしよう。せっかく隊長が私を頼ってくれてるのに、役に立ちたいのに……!)

 ギルティは必死に考えた。

(あ、でも待って……生贄いけにえの呪文を使えば私でも……)

 彼女はハッとひらめいた。

(そうだ!! 隊長を生贄にすれば!)


「できます!!」


「さすが!」

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